第32話 タイプ・エイト
医務室の扉をノックすると「どうぞ」という声が聞こえた。入ると瀬田が一人でベッドに上半身を起こして座っていた。
「もう起きてていいのか?」
俺の問いかけに「はい……」とか細い声で応じる。
それで会話が止まる。考えてみれば、あの会議に参加したくないからここに来たわけで目的があって来たわけじゃない。瀬田にかけるべき言葉を持っているわけではないから、会話が続かなくても仕方がないとは思うが、それにしてもだ。
「申し訳ありませんでした」
やがて瀬田が切り出してきた。
「どうして謝るんだ?」
返ってくる答えがわかりきっているのに、つい訊いてしまう。
「だって、その顔。私のせいなんでしょう?」
彼女は俺の顔を指さす。左頬に貼られた湿布薬がこんなに目立ってるんだから気にしない方がおかしい。
「……瀬田って結構強かったんだな」
俺がそう言うと顔を両手で覆って
「言わないでください。私、そんなに強くないです。古矢……さんが……」
それ以上は言葉を失ってしまったようだ。
「……なあ、いつ行けばいいかな?」
俺の問いかけに覆っていた手を外してから首をかしげてこちらを見つめてきた。
「瀬田の親に……紹介してくれるんだろう?いつ行ったらいいのかな?」
「え?……どうしてですか?奏くん、誤解は早く解いてくれって言ってませんでしたか」
この先の言葉が出てこない。用意してないんだから当たり前だけど、それにしても何か気のきいた言葉が出てきてもいいじゃないか、俺の脳みそ。
「奏くん、強い女の子が好きなんですか?」
「……どうして?」
「だって小さいころに南月ちゃんにいじめられた話しを楽しそうに話してくれてたじゃないですか?だから私、諦めてたんですよ」
「いや、たしかにそんな話しもマックでしたけど、それで南月を好きになったわけじゃないし。それよりもあの時はめちゃくちゃ悔しかったから、だから空手もはじめたし、やり返したりしたから……」
「私に負けて、悔しいですか?」
瀬田は俺に凛とした眼差しを向けて言った。
「ああ……悔しい」
見つめ返す。そして、ベッドの上に置かれていた彼女の右手に手を触れる。瀬田の手が一瞬こわばって引きかけたが少し力を込めてそれを抑えた。
諦めたのか力をゆるめ、俺の手に左手を添えてきた。そして、俺たちの手が光りはじめた。
「……光ってますね」
「光ってるな」
「光ってるだけですね」
「そうだな」
彼女はクスリと笑って、俺も苦笑する。
「あいつらはこうやって手を握れないんだよな」
俺の言葉に瀬田がハッとした顔をした。
「……私、南月ちゃんと奏くんが巨人になったのがうらやましくて仕方なかったんです。どうして『私とは一緒になれないんだろう』って思っちゃって。でも、考えたら南月ちゃんたちの方がずっと大変なんですよね」
俯いてる彼女の頬に手を当てて
「だったら、絶対あいつらは俺たちをうらやましがるさ」
そう言った。瀬田は笑いながら
「私、南月ちゃんをうらやましがらせたいです。……いじわるですね、私」
そうつぶやく。
「そうだな。いじわるだな、俺たち」
瀬田はこちらを見てコクリとうなずいた。
「……頼みがあるんだけど」
俺の言葉にしずかは微笑んで応えてくれた。
研究棟の中の二階から四階をぶち抜いている観察室。そこに「サンプル3」が保管されている。わたしと誠司さんははじめてその部屋に足を踏み入れた。彼が
「もし、これがうまくいったら優子の力で人間を取り返すことができるはずやから」
と言って「サンプル3」を分離することを要求してきたから。
「なあ、優子」
「サンプル3」を見上げながら彼が声をかけてきた。同じようにはじめて見る「サンプル」を見ていた、わたしは「はい?」と聞き返した。
「さっきはすまんかったな。僕は大阪弁になると人が変わったようにおしゃべりになるから。不愉快な思いをさせたんちゃうかな?」
たしかに大阪弁を話すようになった彼はなんだか性格が変わったような気がする。でも、それは全然不快じゃない。むしろ距離が近づいた気がして嬉しい。わたしは一つ深呼吸をして
「ねえ、誠司」
と名前を呼んだ。彼は驚いたようにこちらを振り返った。わたしも彼を見返す。
「……キス、しようか」
「……!」
「……?」
「……」
「……チュウ、しよ?」
「いや、キスの意味を知らんのとちゃうから」
あ、そうだったの。
「それに『チュウ』は大阪弁ちゃうし。……いや、それよりもなんや突然、呼び捨てにしたりキスを求めてきたり、ビックリするわ」
彼は顔を赤らめながら問い返してきた。
「わたしは大阪弁を話す誠司が好きだよ。なんだか壁がなくなった感じがして。だから、わたしも少しでも自分の中の壁を取っ払おうと思ったの。呼び捨ては元々、誠司から言い出したことだからね。今さら驚くのもおかしいよ」
わたしはつとめて笑顔を作る。なんでもないことのように思ってもらいたいから。
「それに……こんな時じゃないと、わたしたちって手も繋げないじゃない。もちろんキスだって。だったら巨人になる機会を利用したっていいんじゃないかな」
彼は少し考え込んでから周囲を見回す。
「せやな……せやけど……ここでは、な」
上を見ると四階あたりの壁に大きなガラス窓が張り付いてある。そこから御厨山さんや研究室のスタッフの人がこちらを見ているはずなのだ。ううん、やっぱり衆人環視の中でキスをするのは勇気がいるか。
「……二人とも準備はできた?それじゃもう一度手順を説明するわね」
スピーカーから御厨山さんの声が聞こえてくる。タイミングが良すぎる。まさか、こちらの話しを聞いてたんじゃないでしょうね?彼女ならあり得る気がして怖いわ。
「まず目の前のランプが点灯したら巨人になってもらいます。その時はおそらくエースのはずだから北科くんは右手を軽くあげて合図をおくってください。……いや今はいいから」
誠司が右手をあげて合図をおくったのを突っ込んできた。
「それからランプが二回点滅をはじめたら北科くんは南月さんの意識の中に沈んでください」
これは誠司がトレイと融合した時に感じた感覚を御厨山さんなりに表現しなおした言葉だ。「暗闇に押し込まれた」よりも能動的な気がする。
「それで南月さんは自分の意識が現れたら右手を軽く胸に当てて合図をおくって……今はいいって言ってるでしょう」
もちろんわたしもボケてみる。夫唱婦随ってやつ?
「その合図をこちらが確認したらランプをまた点灯します。そうしたらサルベージの開始です。南月さんは目の前の『サンプル3』に手を突っ込んでください。それで誰か人を手にしたら引いてください。もちろん無理をしないでね。無理だと判断したらやめてくれていいから」
北科くんと南月さんがそれぞれ挙手で合図をおくってきたのでスイッチを入れてランプを点灯する。
二人は手を取り合いタイプ・エースに姿を変えた。エースは右手を軽くあげる。やはり主導権を取っているのは北科くんの方ね。
ランプのスイッチを点滅に切り替えて二回でスイッチを切る。さて、どうなるか。
研究棟の四階にある部屋のスタッフ全員が固唾をのんで見守っている。
……一分もしないうちに巨人は右手を胸に軽く当ててきた。
「こんな合図、必要なかったわね」
私は一人つぶやく。
そこには赤地に銀色のラインが入ったボディをした巨人が立っていた。タイプ・エイトだ。
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