第26話 眼鏡
「どう瀬田さんの荷物は見つかった?」
一緒に探しているスタッフに訊ねた。彼は静かに首を横に振る。
瀬田しずかさんがいた場所は食堂と曽我くんを検査するために使った医務室くらいだ。もちろんそのどちらにも彼女の忘れ物らしいものはない。つい今しがた南月さんのスマホに瀬田さんから電話がかかってきて忘れ物があるから取りに行くと行っていた。
そして、古矢ゆりかが飛んできた場所は瀬田さんの自宅からだった。彼女が上がってきてシンクになって消えていった直後に何ごともなかったかのように南月さんに電話をかけてくる。あまりにも不自然だ。
古矢ゆりかは瀬田しずかさんになにかをした。おそらく瀧岡由美那さんを殺害したのも彼女だ。なぜそうしたのかはわからないがゆりかは人間に戻ってこれらのことをやりたかったのだ。そのおかげでかなでさんは排除されずに済んでいる。
荷物が見つからないということは忘れ物は方便だ。瀬田さんがやってくるのは古矢ゆりかの指示だろう。本人が直接ここに乗り込むのではなく瀬田さんを介するのなぜか?それを知るためには瀬田さんを呼び込むのが一番手っ取り早い。
もちろんリスクは高い。だから南月さんや曽我くんを彼女に近づけてはいけない。彼女がここに着いたら勾留して聞き出すしかないか。だとしたらまた自衛隊に協力してもらわないといけない。
私は食堂を出て司令官を探しに向かった。
御厨山さんから今日は一日部屋から出るなと言われた。彼女は昨夜のわたしとしずかの電話での会話は当然知っていた。わたしのスマホは御厨山さんたちに盗聴されているから。
「しずかになにかあったんですか?」
わたしの質問に
「後できちんと話すから今は言うとおりにして欲しい」
と言っただけだった。昨夜、駐屯地内が慌ただしかったのとなにか関係があるのかしら?
一人で考え込んでいるとノックの音が聞こえた。ドアを開けると奏が立っていた。
「な……南月さんも部屋から出るなって言われたのか?」
まだ、わたしを苗字で呼ぶことに慣れていないらしい。自分から言い出しておいて。それにしても部屋から出るなと言われて言うことを聞かないのは奏らしい。
「しずかがここに来るからみたいなんだけど、理由はわからない」
「瀬田が?どうしてあいつが来るのに俺たちが軟禁されなくちゃいけないんだ?」
そんなこと知らないわよ。奏は腕を組んで考え込んでいる。やがて腕をほどいて
「俺は瀬田に会ってくる。お前はここにいろ」
廊下を歩き出した。そんなこと言われて「はい、そうですか」なんてできるわけないでしょう。わたしも彼の後をついていく。
守衛さんからの連絡で瀬田しずかさんがやってきたのがわかった。彼女は勝手知ったる様子で研究棟まで一人でやってきた。安心させるために私が彼女に話しを切り出す役を引き受けていた。
「瀬田さん、こんにちは。南月さんから話しは聞いてるわ。なにか忘れ物があるんですって。いったい何かしら?」
「南月ちゃんから聞いてませんか?」
彼女は視線をまっすぐに固定していながらなにも見ていないようだった。
「ええ、彼女もなにかは聞いていないそうよ。私たちもあちこち探し回ったんだけどそれらしいものは見つからなかったの。教えてもらえれば一緒に探してあげられるわ」
「いえ、そんなお手数をおかけするわけにはいきません。……曽我くんと南月ちゃんに手伝ってもらいます」
やはり目的はあの二人か。
「彼女たちは研究で手が離せないのよ」
「だったら、どうして御厨山さんがここにいらっしゃるんですか?」
「今日の研究は私がいなくても進められるから」
彼女は私の言葉を無視して先へ進む。これは隊員に強制的に止めてもらうしかないか。私は事前に決めておいた合図を出そうとする。だが、その隙に瀬田しずかさんは私の横をすり抜けて廊下を駆け出した。
まっすぐに曽我くんたちの部屋に向かっている。
俺と優子が廊下の角を曲がろうとしたところへ瀬田に出くわした。
いきなりでビックリした俺に対して瀬田は冷静に俺の顔を確認したかと思うとおもむろに俺の手を握った。
「手を離して、曽我くん!」
廊下の向こうで御厨山さんが叫んでる。いったい何があったんだ?
瀬田と俺の手から光が輝き、しばらくすると消えた。……優子との巨人化が失敗した時のように。
その時、瀬田は驚いたように俺の顔を見た。
「……どうして?」
そうつぶやいたかと思うと俺の手を離してまた駆け出していった。俺たちの横をすり抜ける際、優子の顔を睨んだような気がしたが。
自衛隊員たちが突然、湧き出したように現れて彼女の後を追い出した。
「曽我くん、なんともないの?」
御厨山さんが訊いてきたから俺は「ちょっと光ったくらいです」と正直に答えた。
「光ったの?」
御厨山さんは驚いたように訊いてきた。そう言えばあいつに触れた時に光ることなんてなかった。どうして今日に限って。
「南月さん待って。あなたは行っちゃいけない」
その声で我に返る。優子が瀬田の後を追って駆け出していったのだ。俺も後を追う。
どうして奏としずかが触れてまるで融合するかのように光ったのか?わたしにはわからないけど、彼女がこれからしようとしていることは止めなくちゃいけない。それだけはわかった。
本来ならわたしの先を走っている自衛隊員の仕事のはずだけど、わたしが行っても足手まといにしかならないだろうけど、行かずにはいられなかった。
わたしたちの部屋に行くと彼女はまっすぐ誠司さんの部屋の前で止まった。
予想外だった。てっきり奏の部屋に行くと思っていたのに。どうして誠司さんの部屋に行かなくちゃいけないの。そこには誰もいないのに。
彼女は迷わずドアを開けて中に入る。鍵がかかっていなかった?そんなはずない。確かにわたしが誠司さんの部屋に鍵をかけた。
部屋の入り口を囲むように隊員たちが立っている。彼らはわたしの邪魔をするように通せんぼをする。
「瀬田しずかさん、そこは北科くんの部屋です。あなたの荷物はそこにはありませんよ」
隊員の一人がしずかに語りかける。それを無視するように部屋の中を物色する音が聞こえる。
「しずか!なにやってるの」
わたしは部屋の中にいるしずかに向かって叫ぶ。彼女の返答はない。やがて奏と御厨山さんがやってきた。
「瀬田は何やってるんだ?」
奏が訊いてきた。そんなことわたしが知りたいわよ。
「眼鏡はどこ?」
部屋の中からしずかの叫ぶような大声が聞こえた。……眼鏡?どうしてしずかが誠司さんの眼鏡に用があるのよ。
わたしは隊員の脇をすり抜けて部屋の前に向かう。そこで別の隊員に捕まったけど部屋の中は見ることができた。中はぐちゃぐちゃに散乱していた。
「しずか!」
「南月ちゃん眼鏡を出して」
わたしを見つけるとしずかは詰め寄ってきた。隊員がわたしの前に立ちはだかる。
「あれがないといけないの。早く出して」
眼鏡って……。たしか誠司さんは部屋に置いてあると言ってた。もうかけることもないとも。だとしたら捨ててるわけじゃなくて簡単に取り出せないところにあるはず。考えられるとしたらベッド下のスーツケースの中?
だけど、それはしずかに知られてはいけない気がする。
「ごめん、どこにあるか知らない」
わたしの言葉に落胆の色を隠せないでいる。
「眼鏡だったら……こちらで預かっているわ。ちょっと調べたいことがあったから。よかったら研究室まで取りにきて」
わたしの後ろにいつの間にか御厨山さんが立っていた。眼鏡を調べてるってそんなこと聞いてない。もしかしたらわたしと同じでとっさの嘘かもしれない。彼女もしずかに誠司さんの眼鏡を渡してはいけないと思っているのね。
しずかが御厨山さんの言う通りにしようと歩き出した時、彼女の足に何かが当たった音が聞こえた。
足下を見ると黒いスーツケースがベッドの下から少しだけ覗いてた。それに足を取られたらしい。なんて間の悪い。しずかが屈んでスーツケースを引っ張り出そうとする。
「しずか。早く眼鏡を取りにいかないといけないんじゃない?」
しずかの気を逸らせようとしたのがかえってまずかった。
「これを先に見たいです」
そう言ってスーツケースを引き出して開けようとする。どうか鍵がかかっていますように。だけど神頼みも空しくスーツケースは簡単に開いた。誠司さんのバカ!ちゃんと鍵をかけててよ。
開いたスーツケースの中からシャツや下着の他に眼鏡ケースが出てきた。彼女は迷うことなくそれを手に取って開けた。中から細身の赤いフレームの眼鏡が出てきた。誠司さんがかけていた眼鏡。どうして彼女がこれを欲しがるのかわからない。いや、欲しがっているのはゆりかだ。
眼鏡を手にしたしずかの体に異変が起きた。わたしたちに起きる融合と巨人化の第一歩の輝きが彼女に起こったのだ。まさか?眼鏡を手にしただけで?
「下がって!全員退避」
指揮をとっている自衛官が廊下に集まっているわたしたちに向かって怒鳴る。このまましずかが巨人化したら巻き込まれる。頭の中は冷静なんだけど体は言うことをきかない。そう思っていると
「なにやってんだ!」
という声とともに奏がわたしの腕を引っ張って自分の背に隠す。
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