第18話 普通の生活を返して
「優子!」
古矢が姿を変えた巨人が木更津駐屯地から飛び去ったのを確認すると同時に僕は建物から飛び出して優子たちのところに走っていく。
もう優子も曽我の野郎も分離して元に戻っとる。僕が近づいた時には曽我が立ち上がろうとしているときやった。
「きさまぁ!」
僕は思わず曽我の胸ぐらを掴んでぶん殴ってやろうと右手を伸ばした。せやけどその手が宙で止まる。あかん、こいつに触れてもうたら僕とこいつが融合してまうかもしれへん。そう思ったら地面に倒れとる優子ですら抱きかかえることがでけへん。それがわかっとるから曽我もその場にとどまってなんの行動も起こせへんのやろう。
その時、
「なにやってんの!」
怒鳴り声が聞こえてきた。振り返るとこちらに走ってきたジープが停まって中から迷彩服を着た女性隊員が飛び降りて走ってきた。
彼女は優子のそばに駆け寄って一瞥して優子に声をかける。反応が返ってきたのを確認するやためらいなく背負うた。そして、ジープまで走って優子を乗せると
「早く、あなたたちも乗りなさい!」
僕らに向かって叫ぶ。あわてて走ってジープに乗り込む。ジープは僕らを乗せたことを確認するとゆっくり走りだした。車内にシートを敷いてそこに優子が横に寝かせられとる。さっきの女性隊員が優子の体を触りながら「ここは?痛くない?」などと訊いてた。
僕と曽我はなにもでけへんまま、車内の隅で座っとるしかなかった。
医務室で簡単な診療が行われた。驚いたのは一昨日にうけた傷がかなり回復していたことだった。聞けば北科先輩も巨人になった後は視力がいくらか回復したらしい。今の眼鏡の度が合わなくなったとこぼしていたとお医者さんが言ってた(この人も自衛官だそうだ)。
優子の様子を訊ねると意識はハッキリしていたそうだ。外傷も見受けられないがかなり身体的、精神的に負担がかかったらしく今は眠っているらしい。
医務室を出ると母と御厨山さんがなにか言い争いをしていた。というより一方的に母が怒っているみたいだ。母のそばにいる瀬田が俺に気がついて近づいてきた。
「あの人が奏くんの体を詳しく調べたいって言ってるんです。それに奏くんもここで保護したいって言っててそれでお母さんが怒ってるんです」
瀬田の説明を聞いてそりゃそうだろうなと思った。実の娘から十七年も離された上に息子まで取り上げられるのはたまったものじゃないだろう。俺もこんなところにいるつもりはない。
そう言ってやろうと母たちのところに向かおうとすると瀬田が俺の手を取った。俺は振り返って
「どうした?」
と訊ねた。瀬田は
「……ううん、なんでもありません」
と言って手を離した。
ベッドで横になって眠っている優子を見ながらおのれの無力さに腹が立ってる。
僕は怒りに任せて曽我を殴ろうとした。奴の方がガタイはでかいし、おそらくケンカも強いと思う。まともに戦っても勝ち目はない。それでもそちらを優先しようとした。せやけど、あの自衛隊員みたいに優子のことを心配するのが第一やったはずや。
触れへんでも声をかけることくらいでけた。そんなことすら思いもつかんかった。
眼鏡を外してため息をつく。巨人になってから視力がめっさ上がった。裸眼やとまだちょっとぼやけるけど、今の眼鏡の度は合うとらんからずっとかけたまんまやと目が痛うなってくる。スチールデスクの上に置かせてもらう。
「眼鏡外すと印象がだいぶ変わりますね」
優子がこっちを見て言った。起きとったんか。
「大丈夫?」
近寄って声をかける。優子は「うん」と言って起き上がろうとする。
「まだ横になってたほうがいいよ」
僕の言うことを聞かずに彼女は
「大丈夫です」
と言って自力で上半身を起こす。支えてあげられんのがもどかしい。
「……古矢先輩は?」
「君たちを倒した後、自衛隊の攻撃から逃げるように飛んでいってしまったよ」
僕は首を振って答えた。
優子は膝をかかえてため息をついた。
「なにも覚えてないの……?」
わかりきっとることを訊く。今は沈黙に耐えられへんから。彼女はコクリとうなずいた。
「まさか、奏と融合するなんて考えてもみませんでした。あいつとは子どもの頃から小突きあったりしてたから、こんなことになるなんて思いませんでした」
その言葉にイラッとくる。……たぶん嫉妬や。僕は優子と会うてから半年しか経ってない。体に触れたのなんてこの間の巨人化の時がはじめてや。それやのにあいつはそんな小さい時から優子と遊んだり触ったりしてたんや。恋人になったという優位性が全然、感じられへん。
せやけどそんなことはおくびにも出さんと違うことを口にする。
「なのに、古矢とは融合しなかったのはなぜなんだろう?いったいどんな法則があるんだろう?」
優子はかぶりを振る。そらわかるわけないわな。彼女は膝に顔をうずめて
「……もうなんなのか、わかりません。……普通の生活を返してほしい」
そう言って泣き出してしもうた。僕はかけるべき言葉を見つけられんかった。
奏たちが家に戻るそうだ。奏も巨人化できることがわかったからには、ここで保護して調べたいと御厨山さんは言ったらしいが本人たちが拒否したらしい。気持ちはわかる。
でも、わたしと誠司さんは話し合ってここに残ることに決めた。普通の生活を取り戻すためには、巨人化の謎を解かなくちゃいけない。そうしないと誰とも触れることができない。そのためにも御厨山さんたちの研究に協力しなくちゃと思う。
奏たちを見送りに外に出る。帰りはヘリじゃなくて車で行くらしい。目立った行動をとって古矢先輩に見つかったら元も子もないから。
車に乗り込もうとする三人を見る。奏と目が合ったがなんと言っていいかわからなかった。奏と奏のお母さんが乗り込む。しずかだけがこちらに向かって歩いてきた。まだ足を引きずってる。
「……南月ちゃん。私、今から酷いことを言います。……南月ちゃんはずるい。彼氏もいるのに奏くんと一緒になって戦って。……そんなに一人でなにもかも持って行かないで」
しずかの言葉に頭の中が空白になった。……ずるい?なんで友だちにそんな言葉をかけられなくちゃいけないの。わたし、そんなひどいことしたの?
「……ごめんなさい。いつかちゃんと謝ります。でも、今はこう言わないといられないから」
しずかはそう言って車に戻った。
泣きそうになった。そばにいる誠司さんが心配そうにこちらを見ているのがわかる。普通の恋人ならここで肩に手を回してくれて、そしてその胸で泣いたりできるんだろうな。……それすら、わたしたちにはできないんだ。
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