第4話 南月優子
先輩からお願いがあると言われてなにかと思ったけど、そういうことですか。それならこちらも願ったりです。なにしろずっと名字ばかりで呼ばれ続けてきていたから。下の名前で呼んでくれているのなんて、親か八つ離れたお兄ちゃんか奏くらい。そんな呼びたくないような名前じゃないと思うんだけどな。
「もちろんです。わたしも先輩を下の名前で呼びたいです」
そう答える。先輩はまたもや静かにうなずいて
「じゃあ、呼んでみてもらえる?」
と言ってきた。
わたしはコホンと軽く咳払いして
「……せ……誠司……先輩」
と言ってみた。うわっこちらの顔も真っ赤になるわ!
「いや、先輩は……ちょっと。できれば呼び捨てにしてもらいたいんだけど」
呼び捨てですか。……わかりました。チャレンジしてみましょう。わたしはもう一度、彼の顔を見ながら言った。
「誠司……さん」
ああ!「さん」付けかよ。意外に大きいぞ先輩後輩の壁。
「まあ、おいおい慣れていくよ」と誠司さんは笑って言ってくれた。「それで……聞きたいんだけど……南月くんの下の名前って何かな?」
ああ!呆気に取られた顔をされた。そらそうやろ。下の名前で呼びたいなんて言うときながら当の本人が彼女の下の名前を知らへんなんてありえへんやろ!
せやけど、言い訳させてもらえるんやったら、元々この場面で「下の名前で呼びたい」ってことを切り出すつもりやなかった。お互い付き合うのに慣れてきたところで、そろそろって感じで提案するつもりやったんや。その頃には彼女の下の名前もわかってる、思うてたし。
「あ……ユウコです。優しい子って書きます」
彼女はそれでもちゃんと教えてくれた。
「でも、生徒会に入ったときにちゃんと自己紹介で言ったんですけど……ね。フルネーム」
優子(はい、もう僕の中では下の名前で呼ぶ準備はバッチリできてます)は小さな声でポツリとつぶやいた。僕を傷つけへんための配慮なんやろうな。やっぱ、優しい子やわ。
そう言えば、思い出した。たしかに言うてた。ただ、そん時は彼女の名前みたいな名字に気いとられてしもうて
「なんか……安彦良和みたいやな」
ってうっかり大阪弁で口走りそうになった。その言葉を飲み込むのに必死になっとったから、下の名前まで意識してなかった。……そんなん言い訳にもならんけどな。
「ごめん、そうだよね。好きになった女の子の下の名前くらい真っ先に覚えていなくちゃいけなかったのに、申し訳ない」
誠司さんは腰を直角に曲げるほどの勢いで頭を下げて謝ってきた。いや、そこまでするほどのことじゃないんですけど。やっぱ名前の通り誠実な人なんだな。……でも、好きになった女の子って?
「センパ……誠司さん。わたしのこと前から好きだったんですか?」
おそるおそる訊ねてみる。誠司さんは「うん」と言ってから
「……一目惚れです」
と言ってくれた。ドッヒャー!いや、不味い顔立ちだとは思ってないけど(一応、奏からは好かれてたんだから)、それでも一目惚れされるほどの美少女だとは思ってなかったよ。もっと自信持っていいのか、わたし?
「それじゃあ、誠司さんもわたしの名前を呼んでもらえますか?もちろん呼び捨てで」
わたしは恥ずかしさのあまり、そっぽを向いて誠司さんにお願いをする。背後からコホンと軽い咳払いが聞こえた。
「……優子」
いつもの自信に満ちた誠司さんの声とは裏腹に小さなか細い声でわたしの名前を呼んでくれた。
「優子……優子……ゆうこ」
「もういいです。わかりました。ありがとうございます」
少しずつ大きくなるわたしの名前に思わずストップをかける。
呼んでもらえて嬉しいけど連呼されるものでもない気がする。でも、今まで遠くから見ていたよりも親しみやすい感じがする。意外と気さくな人なのかもしれないな。
「……それじゃ、そろそろ行こうか」
誠司さんはわたしをうながして出口に向かう。え、もう帰るの?
「屋上の鍵をいつまでも持っているわけにはいかないからね。とりあえず近くのマク……マックに行って話しをしよう」
不満がわたしの顔に出ていたのか、まだつきあってくれるみたいだ。
やっば、もう少しでマクドって言うところやった。危なあ。
「でも、生徒会室にカバンを放り込んできたから、まずはカバンを回収して、屋上の鍵と生徒会室の鍵を職員室に返しに行ってからだけど。先に行ってる?」
さっきの言いよどみをごまかすために言葉が
「一緒に行きます」
優子はそう言って僕の後をついてくる。先導して出口に向かうと余所を向いてた彼女が
「あれ、なんですかね?」
と言うてきた。
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