第3話 北科誠司

 放課後。ついにこの時が来た!わたしは意を決してカバンを手に取る。

 LINEには先輩からのメッセージはない。つまり、返事の場所は当初の予定通り屋上になる。

 由美那が

「見に行きたい」

 などと言ってきた。冗談じゃない。見世物にされてたまるか。しずかは彼女を引き留めてくれる。

「やっぱり、そんなことじゃないかと思った」

 いつの間にか由美那としずかの背後に奏が立ってる。今朝といい、でかい図体のくせにビックリさせられる。登場の時にBGMを流してほしいくらいだ。

「こいつらは俺が引き受けるから、お前は早く行ってこい。先輩を待たせてへそを曲げられたら目も当てられないからな」

 先輩に限ってそんなことはないと思うけど、ここは素直に奏の好意に甘えよう。

「引き受けるってなによ?」

 由美那が奏を見上げながら文句を言う。

「今日は空手の道場に通う日じゃなかったですか?」

 しずかが訊ねる。音楽教師のお母さんとスタジオミュージシャンのお父さんと違って奏は音楽の才能はなかったみたいだ。それよりも身体をめいっぱい動かすほうが得意でご両親に無理を言って小学生のころから近所の空手道場に通っている。

「たまには休んでもいいよ。さあ、早く行ってこいよ」

 わたしは三人に手を振って一路、校舎の屋上に通じる階段を上る。

 屋上の扉前に着いた。ドアノブに手をかけて捻るとグルリと動く。施錠されてない。と、いうことはもう先輩は来てる。

 わたしはノブに手をかけたまま軽く深呼吸をする。もうわたしの告白は終わっているから、緊張する必要はないはずなんだけど、そんな理屈通りにはいかないのだ。

 息を落ち着かせてからドアを押し開ける。

 目の前に白の半袖シャツを着こなしている先輩が空を見上げていた。

 北科きたしな誠司せいじ先輩。我が希星館きせいかん学園高等部の二年生で生徒会副会長。先の生徒会選挙で同じく二年の古矢ふるやゆりか先輩に敗れ副会長となった。下馬評では北科先輩の圧勝だと思われていたが蓋を開けたら、古矢先輩が会長になった。聞くところによると「北科誠司」という名前は「古矢ゆりか」よりも画数が多くて難しい。だから選挙用紙に書く人が少なかったから負けたのだとか。

 何だそれ?そんな難しい漢字じゃないでしょう!書けないってどういうことよ。わたしはちゃんと北科先輩の名前を書いたのに。

 だけど、先輩は気にせず古矢先輩のアシストを努めている。偉いなあ。

 その北科先輩がドアを開けたわたしに視線を向ける。背は奏よりも心持ち低いかもしれないけど細面でシュッとした顔立ち。細くて赤いフレームの眼鏡が似合う人なんて先輩以外にいないんじゃないかしら?

「遅くなりました」

 わたしは先輩に向かって頭を下げる。先輩は

「遅くないよ。僕が早く着きすぎただけだから」

 と言ってくれた。あいかわらず優しい。

「ドア、閉めてくれる?誰か来たら恥ずかしいし」

 わたしはあわててドアを閉める。由美那たちが来なくてよかった。引き取ってくれた奏にまたもや感謝。

 ドアの前で立ち尽くしているわたしの側に先輩が近づいてきた。もうその距離は一メートルは切ってる。近い!恥ずかしくて先輩の顔を見ることができずにうつむく。先輩は軽く深呼吸をする。わたしとおんなじだ。

「南月さん」

 先輩がわたしの名前を呼ぶ。恥ずかしい。いや、今まで何度も呼んでもらったことはあるけど今日はとりわけ恥ずかしい。あれ?そういえば今までは「くん」だったような気がする。

「……よろしくお願いします」

 と言われた。そうか、やっぱりな。覚悟はしてたし仕方ないよね。先輩モテるから。きっと古矢先輩の方がお似合いだし。えっ?……よろしく……お願い……します?

 わたしはいきおいよく顔をあげて先輩を見る。なんということでしょう!あのクール・ガイの北科先輩が顔を真っ赤にしてこちらを見てる。信じられない!

「あの……それは付き合ってくれるということでいいんでしょうか?」

 思わず問いただす。先輩はコクリとうなずく。ウソ、信じられない。でも、嬉しい!


 南月くんはボブカットの髪をいじりながら問い返してきた。僕がうなずくとなんかぴょんぴょん跳ね回りだした。

 うわっ!めっちゃ喜んでくれてる。ホンマに僕のこと好きでいてくれてたんや。信じられへん。せやけど、嬉しい。

 昨日、南月くんから告白された時は正直、天に昇る気持ちってのはこれなんやと思った。もうすぐにでもオッケーやと言いたかった。せやけど心の声がストップをかける。

 南月くんが好きなんは学年主席の生徒会副会長で標準語を喋ってる僕や。彼女はそれしか知らへん。

 ホンマの僕はエセ関西弁を喋るオタク。おとんの仕事の関係で小中学校の九年間、大阪の寝屋川市に住んどった。そん時がめっちゃ楽しかったから今でも大阪弁の方が僕らしさが出ると思うてる。ボケもツッコミもなかなかでけへんけども……。せやけどその僕らしさをこの希星館では出されへんかった。

 高等部で入学した僕は周囲の標準語に圧倒された。ここで大阪弁を喋ったらめっちゃ浮く。それが怖くて自己紹介も標準語でしてもうた。そこからは標準語を喋る「北科誠司」を演じるしかのうなった。まあ生まれはこっちやから標準語がホンマの姿のはずなんやけどな。


 彼女にはじめてうたんは今年の三月。中等部の子たちが進学前に高等部の校舎に見学に来た時。仲のいい子数人で先輩の古矢に会いにきたみたいやった。彼女は古矢に

「高等部に上がったらまた生徒会のお手伝いをします」

 と言っとった。

 僕は部活にも入ってなかったから担任の先生が「生徒会の手伝いをやってみないか」と言ってきよった。内申が良くなるからと言われたのもあって渋々ながら生徒会室に出入りするようになった。せやから、それまでは可もなくという感じで適当にこなしとったけど、彼女のその言葉で俄然やる気が出た。

 あの子にええとこ見せたい。

 動機が不純やと自分でも思うけどしゃあない。彼女は約束通り四月に入ってすぐに生徒会室に来た。まあ、僕と約束したわけやないけど。二学期に入ってすぐの生徒会選挙も彼女がいひんかったら立候補してへんかった思う。もっとも彼女は仲のいい古矢に入れた思うけど。

 せやから昨日、生徒会室で

「一緒に帰ってくれませんか?」

 と言われた時、なんか変なことしたかな、としか思わんかった。彼女とはほとんど話もしたことなかったし、なんか文句があるから人のおらへんところで言おうって思うたんかなって考えとった。

 せやけど、そうやなかった。こない幸せなことある?一目惚れした女の子から告られんねんで?もしかしたら女子連中からドッキリ仕掛けられたんちゃうかって、マジ疑ったもんな。

 南月くんが告白してくれてから一晩、真剣に考えた。彼女が「好きや」と言うてくれたんは嬉しい(彼女は標準語で告白してくれたんやけど)。せやけどそれで付きおうたら、いずれこの大阪弁が口をついて出てくることになる。そん時、彼女はドン引きするんやないやろか?

 それがめっさ怖い。

「あの……お願いがあるんだけど」

 彼女が落ち着いたところで切り出す。こちらをじっと見る目が可愛い。さあ、誠司。ホンマのことを言うんや。

「付き合……うんだったら、お互い下の名前で呼び合いたいん……だけど」

 ……せや、ないやろ!

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