身代わりと父
「水鳥家を、変える?」
「と言っても、すでに変わっていると言っても過言じゃない」
「どこが」
「当主であるお父さんに従うはずの、水鳥家に従う者たちの内約九割が叔父さんに従っている状況だ」
どこかで聞いたような状況だ。
「この前のクーデターと共に、水鳥家にもクーデターが始まっていたんだ」
「え」
「この三日間、お父さんは軟禁状況にあって、今頃お父さんの部屋で決着が着けられようとしているところだろうと思う。行く?」
湊が言うなり、ベッドから降りた。
「み、湊、寝てないと」
「大丈夫。回復させてもらったから、心配ない。行こう、志乃。叔父さんの考えも知っておいても、損はないと思う」
京介さんが本家にわたしを連れて来るときにしたように、今度は湊が、わたしに手を差し伸べた。
湊が共にいるからだろう。廊下を歩くと、人とすれ違うが、わたしが咎められることはない。
さすがに湊は自宅なので、迷うことなく進んでいく。進んで行って、行って、やがて廊下に十名ほどが並び立っている光景が見えた。
近づくと、一番近い方にいた人が気がつき、「湊さ──」と声を出しかけたが、湊が静かにという仕草をして止まった。
湊はわたしを手招きし、扉の方へ誘導する。彼が扉の取っ手を握ったから、わたしは慌てる。
「中は、さすがに」
「入らない。聞くだけ」
構わず、湊は静かに、扉を開く。ほんの少しだけ。
「三日間の文句がそれで終わりなら、俺も言っておきたいことがある」
京介さんの声だ。
姿は見えない位置にあるらしく、見えるのは近くの、誰のものか分からない後ろ姿くらい。
「俺は、学園で白羽悠から『湊』が受けた提案と、その提案を以前にも受けていた可能性があること。そして、湊は白羽に襲われた可能性があることを含め、全部話したな。だが、あなたは動じた様子はなかった。あなたは知っていたんだろう。──湊が白羽に襲われたと」
わたしは、湊と顔を見合わせた。
わたしが自分の体験から推測するしかなかったことを、知っていたとは、どういうことだ。
「湊が異能を受けた痕跡を、隠していたな。それが分かれば、故意に誰かに狙われたことが分かり、白羽の仕業だという可能性が一気に出てくる。あなたは、その上で、身代わりを立てて湊として通わせることにしたことになるが……危険があると分かっていたはずだ」
「それがどうした」
京介さんに対する声は、聞き慣れない声だった。
だが、直感的に、誰だと分かった。これが水鳥家当主、水鳥
「白羽に屈するわけにはいかない。身代わりを出せば、白羽はまた動くだろう。尻尾を掴んでやろうと考えていた」
その人は、突きつけられた事を認めた上で、何も動じず、応じていた。あまりに、冷え冷えとしていた。
これが兄弟のやり取りなのだろうかと感じていたわたしは、
「双子の片割れなど、無価値なものだとばかり思っていたが、思わぬところで役に立つものだ」
続けられた言葉に、凍りついた。
自分のことだと理解するのに、時間はかからなかった。
無価値なもの。
双子の片方──貴族の証である異能を継がない方は、いないも同然。役に立たない。表に出しては、家の恥。隠しておくべきもの。
そんなことは、分かっていた。知っていた。
けれど、今、予想以上に衝撃を受けた。なぜだろう。顔もろくに知らず、声も聞きなれず、親だと思ったことはない人でも、親だからか。そんな人が、「無価値」だとはっきりと述べたからか。
湊が、しまったという顔をして、扉を閉めようとした。わたしは、彼の手を握って、言葉を頭から締め出そうとした。
「俺の娘だ。ふざけるなよ」
閉まる直前の扉の隙間から、ありありと怒りが表れた声がした。
湊がピクリと手を止めて、その間に、中から「話は終わりだ」と聞こえた。
「水鳥慶造を別荘に隔離しろ」
「畏まりました」
声と共に、扉が中から開かれた。
「──おや」
中に見えていた背中は、修さんのものだったようだ。
外にいるわたしと湊を見て、彼は目を丸くした。目だけで背後を見るような動きをしてから、わたしたちに、手だけで下がるようにと示した。
わたしと湊が退くと、廊下に待機していた人たちが部屋の中へと入っていく。
「兄さん、言っておくが、抵抗は無駄だ。分家の者は俺に従う旨を固めた。あなたに従う者は、この部屋のあなたの側にいる僅かな数のみだ」
「な、何だと」
「義姉さんが殺され、あなたが仕事を蔑ろにし始めてから、水鳥家はどう保たれてきたと思う。俺が賄ってきた。俺はそれが義務だと思ってやってきた。あなたの最も近くの者たちも当然だと思っていただろう。だが、今回選択を迫った結果はこれだ。月日を重ねた影響もあるだろうが、あなたより、俺の方が多くの信頼を得ていた。空っぽの当主について行くより、俺について行った方が未来がある」
それは、湊の言った通り、紛うことなきクーデターだった。
水鳥家の中の最高位にいる当主に、他の者が逆らう。
「今のあなたに、これ以上水鳥家を任せるわけにはいかない。湊が成人するまで、水鳥家の一切の権利を俺が預かる」
「そんなことが、許されると思っているのか」
「次期当主である湊の了承は得た」
水鳥家当主が、声を失った気配がした。何か声を出そうと思って、出せなかった音がした。
わたしがとっさに湊を見ると、弟は「志乃がここに来る前に、叔父さんは一度ここに来ていたんだ」と何でもないように、言った。
「大体、俺が毎日会社と水鳥家のことで働いているっていうのに、どうして娘を取り上げられる真似をされてまでそうしなければならない」
は、と京介さんが鼻で笑った。その些細な音にさえ、怒りが滲んでいた。
「息子を大切にすることは悪いことじゃない。あなたが妻を失ったように、息子を失うことが許せなかったことは分かる。それなら、同じように俺にも許せないことがある」
京介さんは、絶対に声は荒げず、あくまで抑えた声で言葉を鋭く繋ぐ。
「俺は、志乃を引き取る際に交わした契約通りにしてきた。静かに暮らしていた。
それなのに、どうしてその生活を壊されなければならない。なぜそっとしておいてくれなかった。志乃を引っ張りだすばかりか、危険に晒した。それが理由だ、兄さん」
それが、区切りだった。
それきり中からの声は消え、靴音を含めた音がして、音はぞろぞろと近づいてくる。
部屋の中から、人が出てきた。両脇を抱えられ、連行されていく人が、一人、二人、三人……と。
最後に出てきた人が、水鳥慶造だった。容姿で分かった。
「さてと、とりあえず終わりだ」
「京介様」
「修、忙しくなるが、俺は一度城に戻ると宗一郎に約束してしまったから──」
部屋に残っていた人が、出てきた。
その場から去る時間も、余裕もなかったわたしは、彼とまともに目が合った。
「志乃」
京介さんは、驚いた顔になった。
ここにいたということの意味を悟ってか、修さんの方を振り返った。修さんは、微かに頷いた。
「叔父さん、僕が志乃を連れて来ました」
「湊」
「叔父さんは、おそらく志乃に言わないのではないかと思ったので」
すみません、と湊は謝った。
京介さんは、湊を見てから、わたしに視線を移した。
「あのな、志乃、俺がしようと思っていたクーデターは二つあった」
「……」
「一つは先日の国へのクーデター、もう一つは水鳥家当主へのクーデターだ。──志乃、たった今から、お前の自由を阻害する者はいない」
「……京介さん、なんで、」
さっき聞いた言葉の数々が、頭の中で反響していた。彼は、わたしのことで、怒っていた。
「宗一郎──月城の当主から、色々話を聞いたとき、一番に腹が立った。お前が殿下の代わりに狙われている可能性に至ったからだ。それで、電話をした。お前を連れ出せればと思った」
京介さんは、そう、昔話でも語るような声音で話した。
「俺が国へのクーデターに参加したのは、お前たちが覚悟を決めていたことが理由の一つだ。だが、そのためには水鳥家の力を総動員する必要がある。どうせそうするなら、俺は水鳥家にクーデターをする。むしろそうするための、言っては何だが、国へのクーデターはただの通り道だった」
「……普通、反対じゃないの……」
「そうか? 俺の軸からすれば、普通の形だ」
『普通』に言った京介さんだったけれど、刹那、少し憂いを滲ませた。
「俺はずっと、俺の周りが平穏に生きていければそれでいいと思っていた。白羽側の弾圧も俺にとっては関係ない。高望みも野心もない。それなりにやっていければ、充分だった」
静かに、平穏に。
水鳥家本家からも離れ、周りから切り取られたような家を取り囲んでいた空気のように。ゆったりと。
「そんな、平和主義なのに、なんで、わたしのこと、連れ出してくれたの」
京介さんが、わたしを引き取ってくれたことが、いつもどこか不思議だった。
引き取る理由も、得もない。だけれど、確かな幸せがあったから、わたしが聞くことはなかった。彼は、わたしを娘として愛してくれていた。
「あの部屋一つで、何も知らずにただ生きさせることは、間違っていたからだ。俺は、お前と平和に暮らしていければ何もいらなかった。お前の世界があの場所だけになっていても、お前が外を望まないことをいいことに、波風が立たないあのままでいいと思っていた」
そう思っていたのは、わたしもだっただろう。
あの日々が幸せだった。あれ以上を望んだことはなかった。
穏やかで、笑っていられる幸せな毎日だったから。
「俺の軸はお前だ、志乃。お前を引き取った日、俺はたった一つ、絶対的に守らなければならないと思うものを得た」
京介さんは、ゆっくりと微笑んだ。
「俺は確かに、どちらかと言うと平和主義だ。だが、俺の娘を危険に晒すと言うのなら、我慢している場合じゃない。してはならない。傍観して、失ってからでは遅い。──ここまで来てやっと、かもしれないな」
彼は、わたしを見て、そっとわたしを抱き寄せた。
「長くかかってごめんな。お前を狭い部屋から連れ出すのに五年、自由を得るのにもう十年だ」
遅くて、こんな父親でごめんな、と彼は言った。勝手に満足していて、と。
わたしは首を横に振った。もう、声は出せそうになかったから、一生懸命否定したくて首を振った。
涙が止まらなかった。
「──ありが、とう」
ありがとう、お父さん。
何とか出した声は、伝わっただろうか。
わたしになにかを与え続けてくれる父は、最後に大きなものを与えた大きな手で、わたしを撫でた。
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