身代わりと片割れ






 京介さんが帰ってきた。


「京介さん!」


 その姿が見えて、わたしは駆け寄って行った。


「志乃、すぐって言ったわりに、三日振りになって悪かったな」


 電話では無事を知っていたが、会うのは、三日前別れて以来だった。

 見た限りでは怪我もない姿を見上げ、わたしはほっとする。


「京介さん……聡士は、大丈夫?」


 大丈夫、とは、何に対して大丈夫かと聞いたのかは自分でも分からない。怪我はないと、彼の無事もまた聞いていた。

 だから、問いは漠然としていた。


「大丈夫だ。……ただ、これから忙しい時間が続くだろうな」


 クーデターは終わった。

 成功に終わり、王は引きずり下ろされ、権力の傾きをいいようにしていた白羽家一派も押さえられたらしい。

 聡士には、もう「月城」の者ではなく、王家の生き残りにして唯一の王位継承者としての障害がなくなる。

 それが意味するところは……。


「俺も、また城に戻ることになる」


 「え」と声を上げかけて、「……そっか」と言い直す。

 クーデターが成功に終わり、その先がどのように変わるのか、どれほど大変なのか。わたしは具体的には知らない。


「そんな湿気た顔するな。今から本家に行くから、志乃も来い。湊に会える」

「──湊に?」


 湊が起きたことも、聞いていた。

 けれど、わたしがいるのは水鳥家所有のものには変わらないにしろ、京介さんの屋敷だ。だから、湊には会えていない。


「行っても、いいの?」

「来いって言っただろう」


 京介さんは微笑み、わたしに手を差し伸べた。





 水鳥家本家は、どことなく、雰囲気が前とは異なっているような気がした。

 通された部屋に、彼はいた。


「志乃」


 湊。わたしとそっくりの色彩をした、わたしの弟は、ベッドの上に身を起こし、持っていた本を傍らに置いた。

 わたしは、部屋に一歩入ったところで、すぐには動けなかった。


「志乃、俺は用があるから済ませてくる。お前はここにいろ」

「……う、ん」


 京介さんの声に、返事をすると、背後で扉が閉まった。


「志乃、来てくれて嬉しいな」


 湊がふわりと微笑んだ。

 わたしは、湊の元に歩いていく。


「湊──もう、大丈夫?」


 最後に見た記憶のある彼は、横たわり、起きない姿だった。


「どこも悪いところはない。今こうしているのは、念のためしばらく安静というだけのことだから。何しろ、僕は数ヶ月眠っていたようだ」


 「私」ではなく「僕」という一人称は、わたしが聞き慣れたもので、笑顔も柔らかな、よく知るものだった。

 湊が起きた。

 起きて、動き、喋っている姿に、わたしが近づいていくと、湊はわたしが伸ばした手を迎え入れ──抱き締めた。


「僕の代わりに、学園に通ってくれていたんだろう? ありがとう……それから、ごめん」


 ごめんと言う湊に、わたしは首を横に振った。


「ちゃんと、湊の代わりになれていたならいいけど……」

「──志乃、そんなことを考えて通っていたのか?」


 湊は、僅かに目を瞠って、それから弱く微笑んだ。


「代わりをしてくれていたんだから、もっと自由にしていても良かったのに。いや、志乃はそう思う性格か。頑張ってくれて、ありがとう」

「……どういたしまして」


 間に様々なことがありながら、頑張ることができた。

 湊が学園に通うときに、周りの違和感がなければいいな、と思う。


「それに、色々危険な目に遭わせてごめん」

「いいよ。湊が遭わなくて良かった」

「うーん……それでも、一つだけ本当に謝っておきたいところがある」

「何?」

「現実であれば、なんだが。志乃、環奈さんを庇って悠さんに異能使ってしまわなかったか?」


 今度はわたしが驚いて、目を見開く番だった。


 そんなことがあった。

 森園環奈が、白羽悠の異能によって、殺されてしまうかもしれないかといったときだった。

 わたしが使えないはずの水鳥家の異能がわたしから発され、白羽悠に向かっていった。


「わたし、そのときだけ湊と繋がって、湊の力を使えていた気がした」


 わたしは異能を持たない。

 すると、湊が「うん、ごめん」となぜか謝った。


「それは、おそらく僕がそうしたんだ」

「え?」

「僕は、確かに見た。そのときまで意識がないとか認識していなかったのに、意識が浮上した感覚があって、気がつけば『その光景』が見えていた。僕が知らない場所で、環奈さんが自分の首を絞めていた。悠さんがいた。なぜか、すぐに悠さんの仕業だと分かった。……そして、手を出そうとした。僕は、怒らずにはいられなかった」


 あの場でわたしに突如湧いた、とてつもない怒りは、わたしは湊のものだと根拠もなく思った。

 風が吹いたとき、

 ──僕なら、こうする

 湊の声が聞こえて、遠くにいる湊と、繋がっている気がしていたからか。

 でも、それは気のせいではなくて。


「こんなことは間違っている。我慢するにも、限界がある。これを見逃せば、一生後悔する。水鳥家の言いつけを守って、あのまま環奈さんが死んでいたら、僕は一生その光景を忘れられなかっただろう。

 あんなことが起きる世の中があと少し、数年だけ続くとしても、その間にいつ何を犠牲にさせられるか分かったものではないと思った。……いや、もう、そんな細かなことは考えていなかったかもしれない。単に、……そうだな、切れたのだと思う」


 感情を抑えるものが、こう、プツン、と。

 湊が手で、綱が切れたようなジェスチャーをし、微苦笑した。

 ふっ、と息をついて。


「僕は、環奈さんのことが好きだった」

「えっ」


 唐突な告白に、わたしは驚きの声を上げた。


「好きだった、と言えど、今も好きだ。だから、あのとき我慢出来なくなった。夢か、現実か。どちらでもいい、我慢出来なくなった。子供みたいだろう」

「そんなことない」


 子供のようであれば、あの場で動くことは出なかっただろう。相当な覚悟が必要なあの場で。


「志乃は、優しい。でもよく考えてみるといい。あの場で僕が動いた先に出来たかもしれない状況。水鳥家がどうかされてしまうかもしれなかった可能性。それらはきちんと僕の頭に過った。僕はその上でああすることを選んだ。どうしてかと言うと、志乃のことなら、叔父さんがどうにかしてくれるだろうから、あとの人はまあ、僕と『心中』してくれればいいと思った」


 湊は、軽く、最後にとてつもない発言をしたように思えた。


「今だから言えることだ。僕は水鳥家のことを支えていかなければならないと思っているにしても、水鳥家のことが好きではない。もちろん罪のない人もいるだろう。それ以上に、嫌気が差すことを感じてきたせいかもしれない。どれにしろ、僕の未熟さによるものだろう。家の今後より、他家の人間を優先したんだから」

「湊……」

「それに──おそらく、あの場にはそれを放っておけない人がいただろう。聡士も、手遅れでもしも環奈さんが犠牲になっていたら、自分に王になる資格はないと思い込んだんじゃないかな」


 親しげに聡士の名前が出てきて、わたしは、ずっと疑問に思っていたことを思い出した。


「湊」

「何?」

「湊は、聡士に正体を聞いていて、手を組むことを提案されたんでしょ?」

「聡士に聞いた?」

「うん。……湊は、どうして聡士と手を組むって決めたの?」


 独断で、聡士と手を組む約束をした理由が、明確には分からなかった。

 聡士に力を貸したくなる気持ちは分からなくもないが、湊は何の目的で決めたのか。


「もしかして、環奈さんのため?」

「いいや、違う」


 森園環奈のために怒った湊。しかし、もしかしたら、という言葉は否定された。


「環奈さんの現状は、聡士が立ち上がったとき、白羽が排除されることで同時に害悪はなくなることになる。……僕は、手を組んで、将来クーデターに成功したときにあることを叶えてもらいたいという条件を提示した。環奈さんのことは、手を組んで、力を貸した後に望む前に改善されることだ」

「じゃあ、その条件って?」

「……僕は」


 湊は、格好と髪型を揃えるなどすれば、誰も疑わないように、よく似た顔を悲しそうにさせた。


「僕は、聡士に、双子が認識されない世の中を変えて欲しかった」


 わたしは、瞬きを忘れた。


「別に、法律で双子の片方を世に出さないように決まっているわけではなく、意識の問題、質の悪い風習に近いものだから彼に任せるべきことじゃないかもしれない。それでも、僕は、保険をかけておきたかった」

「保険……?」

「将来、僕が水鳥家を継いだときに、どんなことをしても志乃を表に出られるようにする。その、保険」


 湊の考えを聞いて、わたしは、何を言えばいいのか分からなかった。

 何のために、聡士と手を組もうとしたのか。その理由が、自分だと思わなかった。


「……そんなこと、条件にしなくたって、」

「そんなことじゃない。志乃は、僕と一緒に生まれてきた、僕のたった一人の姉だ。一緒に暮らしたいと何度も思ったし、もっと一緒に過ごしたいと思った」


 彼は、わたしの両手をぎゅう、と握って、強く言った。

 しかし、その強い声音と共に変わっていた表情を、柔らかく変える。


「叔父さんのおかげで、僕がそうしなくても変わるけど」

「京介さんが、なに?」

「うん、志乃。叔父さんは、水鳥家を変えに来たんだ」


 湊は、扉を見た。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る