身代わりと怨恨







 手から力が抜け、空気が通った瞬間、軽く咳き込んだ。


「──大丈夫ですか」

「大丈夫、大丈夫」


 時間にして少しだろう。

 謙弥に返事をして、周囲を見渡す。嫌に静かだと、思ったのだ。

 先ほどまでとの静けさと、違う。

 何だと思って、多くの視線を追った。

 ──聡士だった。

 わたしがいた同じ階にいる聡士が一階を見下ろし、見たことのない冷え冷えとした目で……白羽悠を見ていた。


「どうやら、あんたは、この学園の王様になりたいらしい。そうやって奮う力はあんたにとっては、心地いいんだろうな」

「お前は──」


 黄色ではなく、黒い目だった。

 遠目でもその色の変化が見えた。さっきの声。聡士が異能を使ったのか。

 白羽悠が、目を見開いていた。


「聡士様何てことして──駄目ですよ」

「我慢の限界だ、千里」


 聡士は手すりから離れ、階段の方へ歩きはじめる。

 背を向け、従者に言う。


「父さんにもう待てないって言っとけ」

「駄目ですって、まだそのときじゃ──ちょっと失礼します!」


 バチっと音がして鳴上千里が異能を使用し、聡士の背に手を伸ばしたが、何も起きない。


「そうだ、効かなかないんだった!」

「『そこで止まっとけ、千里』」

「──聡士様!」


 異能を無効にした聡士は止まらず、鳴上千里をその場に留まらせる命令を言い残した。

 聡士の前には自然と道ができ、彼はその道を歩き、螺旋階段を下り、一階に下りていった。


「反抗すればどうなるのか、ぜひ俺で示して見せてくれよ、先輩?」


 聡士は唇の端を吊り上げ、笑った。

 しかし、彼は怒っている。声に含まれる怒りを、わたしの耳が捉えた。


「月城、聡士」


 対する白羽悠は、上手く状況が飲み込めていないようだった。聡士を凝視している。


「まさか、お前が……」

「あんた、湊と俺を勘違いしてたんだよ」

「まさか────いや、確かに、湊君にはさっき異能が──でも」


 聡士に距離を縮められる一方で、白羽悠は無意識にか一歩下がった。

 顔を歪めた白羽悠が、上着の内側に手を入れた。

 彼が取り出したものは、あまりに見慣れないものだった。


「……銃か」


 聡士がぴたりと足を止めた。顔から笑みが消えた。

 白羽悠が彼に向けたものは、「銃」だった。わたしが実際には見たことのないものを、聡士にまっすぐに向けている。


「お前は、何者だ──いや、口にする必要はないね。君が何者であれ、ここで殺す。この際、消せればどうだっていい」


 引き金にかけられた手が、躊躇なく動く。


「『動くな』」


 銃口を向けられても表情を動かさなかった聡士が一言発するだけで、阻止された。

 その言葉通り、白羽悠は動けない。上げた腕どころか、引き金を引こうとした指さえも。


「馬鹿じゃねえのか」


 乱暴な言葉が吐き捨てられた。

 聡士が歩きはじめる。表情は変わらず──笑みが失せた顔は変わらない。

 だが、いつからか、目に宿る感情の濃度が変わっていた。


「異能が効かない相手を確実に殺すために、十六年前、お前の家が荷担した王殺しのときみたいに上手くいくとでも思っていたのか?」

「来るな、くそ、」

「お前を信用しているわけでもない相手だぞ。取り出した瞬間に撃たない限り、殺せるはずがないだろ」


 言葉は嘲笑うかのようだったが、酷薄な響きの声は、微塵も笑っていない。表情も。


 彼は、怒っている。とても怒っているのだ。


 察すれば、この場の空気を飲み込みつつある、彼から滲み出る雰囲気が、身を刺すようだと気がつく。

 彼が本気で怒ると、ああなるのか。


「聡士」


  その怒りになぜか不安を感じた。白羽悠を制している彼は、この場で最も頼もしいはずなのに。


 聡士は歩き、白羽悠の前にまで至った。

 男子にしては背が低めの白羽悠と、背が高めの聡士。聡士が、白羽悠を見下ろした。


「相当な血を流して手に入れた立場だろう。その立場を利用し続けるなら、いずれ自分たちも同じ目に合うことを予期して用心しておくべきだったんじゃないか? ──簒奪者が」


 最後の一言を発した声が、この上なく低かった。

 その場の支配者は完全に変わっていた。威圧的にも白羽悠を見下ろす聡士だ。


「白羽悠。どうやって死にたい」


「……聡士……?」


 彼の口にした言葉に、耳を疑った。

 無意識に零れた小さな声は、届かない。聡士は白羽悠を見据えている。

 様子が変だ。

 何を言っている。


「俺がお前に命令すれば、お前は自ら命を絶つ。さっきお前がさせようとしていたみたいに、自分の手で死にたいか? それとも」


 聡士は、白羽悠の手から銃を奪った。

 そのまま……白羽悠の額に銃口を突きつけた。流れには、一切の淀みも躊躇もなかった。


「これで死ぬか」


 確かに、この場の支配者は変わった。だが、まるで先ほどの光景の対象が変わっただけに思えた。


 駄目だ。聡士、それは駄目だ。


 彼の指が動く。見える。引き金が動く。彼が、人を殺してしまう──


「──聡士!」


 とっさに体が動いていた。だが、今度はわたしの意思でだ。

 聡士の元に駆け、体当たりのように彼を突き飛ばした。

 結果、聡士が体勢を崩して床に倒れ、わたしも勢いそのままに倒れる。

 すぐに身を起こして、聡士を確かめる。


「どうして、邪魔した!」

「──」


 一瞬、息が止まった。

 睨まれた。怒りを正面から向けられ、気圧された。


「……決まってる、こんなことをするべきじゃない」

「そんなことをするだけのことを、あいつらはした。で、俺の親の命を奪った」


 白羽悠のことではない──白羽家が行ったことだ。十六年前、聡士の実の両親を奪った。

 でも、彼はその件については淡々と語っていたはずで。


「俺は、……俺は見ていない、だが、知っているんだ。俺は、そうした奴らと、今のさばっている奴ら全員を憎んでいる」


 ──憎しみがないはずがなかったのかもしれない


 聡士は、黒い瞳に強い憎悪を宿していた。

 先ほど、白羽悠が銃を取り出したときに目付きが変わったのは、これが原因だ。引き金となったのだ。


「今、俺は動くことが出来るのに──お前も殺されかけて、俺に、また失えって言うのか」


 違う。そういうつもりじゃない。


「違う……ただ、同じことをすれば、聡士だって同じになる」 


 わたしは、彼の手にある銃に手をかけた。


「それは、わたしは嫌だ、見たくない」


 わたしに手を差し伸べてくれた彼。全部、何もかもを守るのだと言った。


「聡士は、そうなっちゃいけない……あなたは、全部守る人になるんでしょ」


 お願いだ。

 彼が憎み、殺すことが間違いだとは言えない。当然の権利という見方も出来るだろう。

 だが、一度憎しみによってそうしてしまえば、この先について語っていた「彼」が戻って来ない気がした。


「聡士」


 聡士は顔を歪めた。

 強く根深い感情は、そう簡単に捨てられないだろう。それでも、わたしは止めたかった。

 

「お願い、離して欲しい」


 見つめて懇願すると、彼は、一度目を閉じ、手から力を抜いた。


「悠様!」


 一気に、騒がしくなった印象を受けた。

 多くの靴音が立てられたのだ。

 顔を上げたときには、多数の者たちがいた。

 どこから来たのか、明らかに生徒ではないスーツ姿の大人が、白羽悠に駆け寄っていった。白羽悠は、異能が解けたのか、いつの間にか距離を置いていた。

 目が、鋭くこちらを睨む。


 同時に、わたしたちの周りも取り囲まれる。

 白羽家に仕える証拠である紋章が、いずれの者の胸元に光っていた。


「……さすがは白羽の庭。学園内に、関係者が大勢か」


 床に座ったまま、聡士が呟いた。


「いや、悠長に言っている場合じゃないんじゃ……」

「まあな。かなりのピンチだ。……とりあえず、この場は逃げることに集中しろ」


 小声での言葉に、わたしは、ちらりと聡士を見る。


「全員の動きを止める。触れずに異能を他人に使えるのは、白羽くらいだ。どうせ上で千里にかけた異能も解けてるだろうから、あいつが軒並み気絶させて、足止めも可能になる。その間にこの場から離れて、月城家を目指すぞ」


 この場を退く。それが聡士が出した策であり、この場での最善だった。

 この先、どんな事態になるのか想像が出来ないが、まずはここを切り抜ける。


「全員、銃を出せ」


 周りを囲む者たちが、一斉に動いた。一瞬後には、こちらに向けられる銃口が揃う──揃うと同時、聡士が口を開く前。


「何だお前等。邪魔だ、退け」


 横の方、外からの出入口がある方から、声がした。

 低く、不機嫌そうな空気が漂う声。わたしは、この声を知っている。


 白羽家の者の内、そちらの方を塞いでいる者たちが一斉に振り向き、抜いた銃を向けた。


「何のつもりだ。……見たところ、白羽家の人間だな。俺は、そんなものを向けられる心当たりが全くないんだが」

「貴様! 何者だ!」

「何者だって……」


 呆れたような声音がして、次いで「私が話をつけましょうか」と、こちらも姿は見えないが、知った声が言った。対して、「いや、いい。時間が惜しい」と答える声。


「百歩譲って俺の顔を知らないのは仕方がない。だが、紋章くらい見逃すな。誰に銃口を向けている」


 一瞬だった。

 激しい風が起こり、外への出口を塞いでいた者たちが吹き飛んだ。器用にも銃のみが巻き上げられ、人間自体は軽く退き、通り道を開けるくらいの威力。


「これは銃口を向けられたことによる正当な行動だ。──退け」


 靴音が、響いた。

 石の地面と、靴がぶつかる音が一回、二回……。


「……京介さん」


 突如として現れた彼は、煙草がくゆる向こうで、怪訝そうな表情をした。







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