身代わりと決断






 時間にして、数秒。風は収まり、白羽悠が床に落ちた。


「水鳥様が、異能を」


 いくつもの似たようなささやきが聞こえたが、わたしは構わず、手すりを乗り越えた。

 特に自分でしようと思ったわけではなくて、飛び降りてからぎょっとしたくらいだ。

 だが、生じた風が着地をスムーズにしてくれる。


 風が止み、体が揺らぎながらも、とりあえず森園環奈に駆け寄る。


「環奈さん、大丈夫ですか」


 彼女の手は、首から離れていた。

 異能が解けているらしい。首には痛々しい痕が残り、彼女は咳き込んでいた。

 咳き込みながらも、涙目でわたしを見上げ、息が乱れたまま、言う。


「だめ、湊君。逆らっちゃ、だめ。あなたまで、死んじゃう」


 そうかもしれない。

 まだ理解と現実味が追い付いて来ていないが、とんでもない状況だとは頭の一部が正確に理解していた。


「一体、どういうことだ……」


 横手から声が聞こえ、わたしはそちらを見た。

 白羽悠がゆっくりと立ち上がり、わたしを見据えていた。


「君は、水鳥家の異能を使えるのか……?」


 怪訝そうな顔をした白羽悠だったが、わたしが慎重に見返すと、彼は不快そうに目を細めた。


「……対等だって思ってるその目、前からずっと嫌だったんだよね。対等なんかじゃないって。この先不利になりたくなかったら、黙って従っていればいいのに。君たちの親御さんたちは賢く従ってるんだからさあ。もう、どうでもいいや。湊君、そういうつもりなら、もういいよ」


 大人には大人の考えがある。色んなものを見てきた目で、色んなものを見て考えた結果、逆らわない方が最善という判断をしている。

 それはわたしにも分かる。白羽に逆らうのは悪手すぎる。

 でも、そう言っている場合ではない。訳が分からないが、わたしは異能を扱い、白羽に反抗した。

 ごくり、と唾を飲み込む。

 口の中はからからだ。


 今の状況が、新入生歓迎パーティーのときとは比べ物にならないまずい状況だとは分かっていた。肌で感じる。


 白羽悠は深々とため息をついた。


「環奈様、水鳥様、お下がりを」


 森園環奈の従者が、前に立った。


「水鳥様、やめるのであれば今はまだ間に合うかと」


 森園環奈の従者は、覚悟を決めていた。反抗するつもりだ。

 当然と、言えるか。主人を殺されかけたのだ。


「私はどうあれ、主を守ります。──命に代えても」

隼人はやと、だめ」


 森園環奈がか細い声で言うが、従者は決して引き下がらないだろう。

 彼が守ろうとして、どれくらい勝機があるだろう。


「湊様」


 森園環奈の従者を見上げていると、いつの間にか謙弥が近くに来ていた。瞬間移動で追ってきたのだろう。


「どうされますか」


 何を言うのかと思えば、膝をついた彼は、開口一番に尋ねてきた。とても、真剣な顔だった。

 これはいけない、今すぐ引き下がるべきだと何だのではなく、「どうするか」。


「──わたしは」


 ──怒っていた

 今、わたしの中にある怒りは、わたし自身の怒りではない。なぜか、湊が怒っていると思った。

 先ほど、風と共に急激に湧いてきた感情だった。

 しかし、わたし自身もそれ以前に抱えていた思いがあった。


「……謙弥、謙弥は」

「これからあなたがどんな選択をされるかは俺にはまだ分かりません。しかし、限界に至るまでは、その選択を尊重することを誓います」


 限界が来れば退却して頂きますが、と言い、謙弥は口を閉じた。

 わたしの答えを待つ。


「わたしは──」


 出来ることがどれだけあるのか、何が正しいのか、どうするべきなのか。

 一旦、全てを捨て去った。

 わたしは、この状況が「間違っている」と思った。


「──抗おう」

「承知致しました」


 謙弥が、頭を下げ、立ち上がった。


「湊君、だめよ」


 袖を引かれた。近くで、わたしたちのやり取りを聞いていた森園環奈だった。

 彼女は首を横に振る。


 彼女は泣いていた。震えながら涙を溢し、わたしの服を掴んでいた。

 殺されかけたはずの彼女が、止めようとしている。彼女は怖いのだ。恐れている。

 そして、一番恐れていることは、今から何かを失ってしまうことだ。


 わたしには、その気持ちが分かりそうで、分からない。わたしは生まれたときからしばらく、何も持っていなかった。

 何もなく、失うものがあるとすれば、自分の命のみだったろう。だが、そのときは自分の命が失われゆく状況に浸りかけていても、どうも思わなかった。

 その後京介さんに引き取られてからは、与えられるばかりの日々で、反対に失われることは考えたことがなかった。

 京介さんが守っていてくれたからだ。身代わりとなるため、本家からの人間が来て、外に出て、外がどんな状態か知るまで。


 だから、わたしには分からない。

 最初から当たり前にあったものが失われ、それからも恐れていく気持ちは、推測でしかない。

 けれど、目の前でこんなになっている彼女をはね除ける気持ちはもっと分からない。


 かつて、ぼろぼろの中、手を伸ばした記憶が朧気にある。

 狭い部屋の中に時折出入りする大人たちがその手を取ってくれたことはなかった。むしろ、一度払われて、わたしは手を伸ばすことを止めたのだろう。

 伸ばさなくなった手を掴んで引いてくれたのが、京介さんだった。


「環奈さん、これは、あってはならないことだ。見過ごすことは出来ない。あなたをどこまで守れるかは分からないけど、」


 彼女の手に、手を重ねる。わたしとあまり変わらない大きさの手だった。


「わたしはあなたの側から離れない」


 森園環奈は、目を見開き、微かに首を横に振った。

 わたしは、それ以上は言わず、彼女の側に立った。


「最近、よく聡士君に関わっていたし、この前は環奈さんとも関わっていたようだから、そろそろ注意をしておかないとと思っていたんだけど……ちょうどいいや」


 白羽悠はやれやれといった動作をした。


「反逆の事実として、捉えるよ」


 反逆──王に仇を為す行為、国を敵に回す行為。その巨大さに、心臓を鷲掴みにされた心地になる。


 考えるな。

 今は、この状況をどうするか。いかに森園環奈を守るか。目指すは、逃走か?

 しかし、分が悪い。

 触れずに他人を操る白羽。

 触れずに他人に影響を与えられる異能は、最上位貴族以上に限られる。従って、この場で白羽悠とまともにやりあえる可能性がある者は、本来なら二名いる。

「湊」と、森園環奈だ。

 だが、言うまでもなく今の「湊」はわたしで、森園環奈は異能を使える状態ではなさそうだ。わたしに、先ほどのような現象が起こせれば……。


「先に、君から確認しておこうか。湊君」


 わたしの手が、勝手に動いた。

 まずい、と思うが、手は意思に反して首にかかる。締める。

 息ができなくなるまで、あっという間だった。


「──千里、離せ!」


 直後、上の方からそんな大きな声が聞こえて、


「『止めろ』」


 その声は、よく、通った。









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る