身代わりと最後の日






 よく眠れなかった。

 翌朝起きると、今までにない種類の憂鬱さで登校した。

 そういえば、謙弥に話していない。どのタイミングで話せばいいのか。


「どうかしましたか?」

「え? ……いや、うん……」


 ちらちらと窺ってしまっていたらしい。謙弥に尋ねられた。


「ちょっと話があるんだけど……」

「お話、ですか」

「うん。昼休みにでも、」


 と言いかけて、声が途切れた。

 昼は、必ず聡士と会う。彼に、どう言えばいいだろう。

 ……いや、どうもないか。

 よく考えてみると、下手にばれないうちに「湊」が引っ込むというのは手の一つかもしれないのだ。

 聡士は責任感から、一番周りから人がいなくなる昼休みに来てくれている。

 間違われ狙われている「湊」が引っ込めば、有耶無耶のままに真相が明らかになる時間は伸ばされ、かつ聡士はわたしを気にかけなくても良くなるのでは……?


「変にこだわっているのは、わたしだけか……」


 今日で見なくなるかもしれない、という現実があまり上手く飲み込めず、わたしは長い廊下の先を見た。


 同じ制服を着た生徒が行き交う光景は、いつもと変わらぬものだった。


 ────いや。

 違和感を覚えた。

 微かな感覚に、生徒が行き交う景色に目を配る。そして、生徒が流れる波に生じた乱れを捉えた。

 廊下で足を止め、何かを話している生徒がいた。廊下での会話自体は、何も普通のことだ。

 しかし、その表情が、単なる雑談をしているような楽しげなものではなく、恐怖を帯びていた。

 わたしは、日常に歪みが生じたことを感じた。


 一つ気がついてしまえば、他の要素にも気がつく。

 初めに見た彼らだけではなく、廊下を足早に行く生徒の横顔にも、普段では出す機会のないだろう表情が浮かんでいた。


「……何だ」


 何かあったことには間違いないだろう。

 しかし、あのような様子になることとは……と考えて、以前同じ表情を見たことを思い出した。


「──と、森園様が」


 一つ、そんな言葉が聞こえた。

 森園──森園環奈。学内にいる「森園」は、彼女一人だ。

 胸がざわざわした。脳裏に過った光景があった。この前食堂でのことだ。

 生徒たちの表情も相まって、胸騒ぎと、嫌な予感が大きくなっていく。


「……謙弥、嫌な予感がする」


 次の授業があるが、無視するには嫌な予感すぎた。


「少し、いいか」


 通りすぎる生徒を止め、わたしは尋ねた。

「何か、あったのか」と。




 少しだけ足早に駆けつけた先は、学内の廊下の一筋だった。いつもは生徒が通り道として歩くだけの廊下。

 しかし、今日、少々様子が異なった。生徒が廊下の片方に偏っている。

 右側は窓だが、生徒が固まっている方は確か……吹き抜けになっていて、一階が見えるようになっているはずだ。

 ただ、今、集まる生徒によりそちらは見えない。

 この場に近づくにつれ濃くなっていった、異様な空気を感じるのみ。


 わたしが近づいていくと、気がついた生徒が道を開けてくれる。

 全員、思わしくない表情だ。わたしがここに近づくことを、気がかりに思うような表情にも見えた。

 そして、先に広がる宙とを隔てた手すりにたどり着き、原因を下に見つけた。


 下方の様子のおかしさは、少々どころではなかった。


「そういう態度、気分が悪いときに見ると、ますます気分が悪くなるね」


 周りの生徒が息を潜め、場は静かで、声ははっきりと聞こえた。


 一階の広い空間に、目につく姿が三つある。

 中央にいるわけではないのに、他の生徒が遠巻きにして、彼らを中心に場が展開されていたから、その位置が中央に思えた。

 この場の支配者が、立っていることも関係したのかもしれない。


 白羽悠は、すぐに分かった。

 少し離れた位置の二名は、名前を聞いていたから分かっただけにすぎない。でなければ、こんな状況に彼女が置かれているとは想像しなかったろう。

 森園環奈が俯き、側には彼女の従者がいる。従者が主人の様子を窺い声をかけているようだが、こちらは鮮明には聞こえない。


「どういう状況なんだ……」


 来てみたはいいが、何がどうなって、彼らは向き合っているのか。

 下を見ていると、白羽悠が、上の方を見た。──目が合う。


「ちょうどいい」と、口が動いた気がした。

 白羽悠の目に、ぞくりと、悪寒が走った。

 だが、遠目に詳しく原因を探ろうとする前に、白羽悠は前方に目を戻す。


「さあ、よく見てもらおうか!」


 陽気ささえ感じる声は、周りの空気と比べると場違いだった。それゆえ、気味の悪さを感じた。


 白羽悠が、周りの注目を一瞬で集めるように広げた手を下ろす。手を向けた先には、森園環奈がいた。

 その指が彼女を指した瞬間、地獄が開幕した。


「環奈様!」


 何かが起きた。

 森園環奈の従者の声音が、異変を何よりも表していた。

 けれど、わたしの位置からはよく見えない。従者の体で森園環奈が隠れている。異変が起きたのは、森園環奈には違いないが、何が。


 移動するべきか、と、急いで左右に視線を動かす。

 すると、様子がよく見える位置にいる生徒の内、ひどく青ざめた女子生徒が自らの首を擦っていた。


「まさか……」


 側で、謙弥が声を溢した。


「謙弥、何か見えたか」

「いいえ……ですが、おそらく、白羽様が異能を使われたのではないかと」


 白羽の異能──他人の体を操る力。


「白羽様! いくら現王と密接な関わりがあるからと言って、こんな横暴、許されないはずです!」


 非難の声は、下からだ。

 視線を戻すと、森園環奈の従者が白羽悠を睨んでいた。体の位置がずれた。その瞬間、彼が必死に何事かしている森園環奈の様子が、見えた。


 彼女は、自らの首を、自らの手で絞めていた。


 わたしは、自分の目で捉えた様子に瞠目した。

 森園環奈の表情は見えない。だが、彼女の手が首から離れることはない。彼女の従者は、主人の手を引き剥がそうとしているのだ。


「それは違う」


 白羽悠は、その様子を冷ややかに見ていた。

 大衆の中、自分の首を締めるという、衝撃的な光景を作り出している本人。白羽の異能を使い、あろうことか彼は、自分で首を絞めさせるなどということをしているのだ。


「しないであげただけ、だよ」


 白羽悠は、表情を変えない。


「君たちの方こそ、何様のつもりで過ごしているわけ?」


 ゆっくりと首を傾げた。


「そろそろ分かりなよ。水面下でのみじゃなくてさ、もう僕と君たちとの間には絶対的な力の差がある。──僕らは勝ち組、君らは負け組なんだよ」


 周囲を含め、緊張が走った。

 決定的な言葉だったのだ。


 表面上は最上位貴族として、同じ位にあり続けている「白羽家」「水鳥家」「月城家」「森園家」。

 だが、十六年前に、力の傾きは起きていた。

 誰もが知っている。

 白羽家は、現在の王と密接な関わりがあり、最も大きな力を持ち、実質他の貴族より特別な権限を持っている。

 しかし、それは辛うじて裏でのみ語られる、「実質」の話に過ぎなかった。


 今、破られた。

 白羽悠は、森園環奈にのみ言ったわけではないことは分かった。こちらを見たからだ。


「もう暗黙の了解なんかじゃない。はっきり言わないと、分からないんじゃしょうがないよね。そして、今、知ってもらおう。白羽に逆らえばどうなるのか」


 狂っている。

 目にした笑顔に、そう思った。

 笑う白羽悠は、そのまま、森園環奈を見て、やはり笑う。


「こういう異能で良かったなぁ。見た目的には、自殺したように見えるよね。ま、そもそも目撃者の証言なんて、君たちを擁護するものなんて出てきようがないし、どんな事実も『事実』にはなりようがないんだけど。思い知るにはいい機会でしょ」

「──環奈様!」


 森園環奈が床に崩れ落ちた。

 従者が膝を折る。


 このままでは、森園環奈が死ぬ。あの様子の白羽悠が直前でやめるとは到底思えなかった。彼ならば、平然と人を殺してしまうように思えた。


 森園環奈が死ぬ。

 周りの生徒は固まっている。誰も動かない。動けるはずがない。

 誰も、味方はいない。

 森園環奈が死ぬ。


 これは正しいことなのか。そんなはずはない。当たり前だ。答えは、心の中では容易に出てくる。

 見過ごしてもいいことなのか。……そんなはずはない。

 答えは、微妙な間を空けて出てくる。理由は、わたしが手を出せば、それはわたしだけの問題では済まないからだ。


 だが──。

 わたしには、分からなかった。こういうときだからこそ、自分の判断で行動出来なかった。

 湊、湊であれば、どうする。

 新入生歓迎パーティーの後、湊ならどうしただろうかと考えた。分からなかった。推測しか出来なかった。

 だから今、湊であればどうしたのか考えても、やっぱり分からない。


 じゃあ、わたしなら。


 わたしは、頭では水鳥家として取るべき行動が分かっていても、心が果てしなく叫んでくる。これは間違っている! 彼女を見殺しにしてはならない!

 どうして彼女が死ななければならない。

 声をかけ、ハンカチを貸してくれたことを思い出した。わたしと彼女との接点なんてそれくらいだ。

 だけれど、それだけで十分だった。


 手すりを握り締め、目をぎゅっと瞑った。

 覚悟はまだ決まっていなかった。わたしが考えていることは、倫理的には誰もが正しいと言うかもしれないが、とんでもないことだ。


 ──湊、湊、許してくれるか。あなたは、わたしがあなたとしているときに飛び出してしまうことを──


 答えなんて返って来ない。湊はここにはいない。

 だが、そのときのこと。ぶわり、と、風が起こった。

 建物の中、どこからともなく風が生じ、わたしを包み込んだ。


 ──僕なら、こうする


 風は耳元でそう囁き、一直線に白羽悠に向かっていった。

 風が、白羽悠を巻き上げる。その光景を、わたしは呆然と見ていた。


 ああ、これは、湊の力だ。

 遠くにいる湊と、繋がっている気がした。







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