身代わりと懸念






 寮の部屋に戻ってから、考え込んだ。

 最近、僅かにだけれど余裕が出て来て、学園生活というものをまともに過ごしていた心地だった。

 しかし今日、再び目の当たりにしてしまったものがあった。


「湊が戻ってきたら、湊は、ここに通うんだよね……」


 湊も、中学までは聡士と同じような学校環境だっただろう。

 他に最上位貴族がいない中、他の生徒が横暴なことはしない。

 ここの学内の状況は、白羽悠がいるがゆえのものだ。


「湊に、あんな光景を見て欲しくないな……」


 湊は、動かないかもしれない。水鳥家の者としては、それが正しい。

 ……けれど、本当に動かないだろうか。

 湊がそんな現場を目の当たりにしたとき、彼は、やはり堪えるだろうか。聡士と同じように。

 でも、たとえ動かないからと言って、何も感じていないわけではない。

 周りの生徒だって、そうだ。

 今でも思い出せる。顔を強張らせ、わたしが白羽悠の思惑を阻止したとき、恐怖に満ちた囁きを交わしていた。

 次に何が起こるのかと、怯えた空気だった。


 あの雰囲気が正しいはずがない。誰もが、普段は楽しげに普通に学園生活を送っているはずが、白羽が絡んだ途端、無意識から植え付けられている恐怖を思い出す。

 わたしに分かって、聡士が分からないはずがないから、彼にはすでに全てが見えているだろう。

 聡士は、これから、少なくとも約二年は耐えなければならない。せめて、白羽悠が卒業するまで。


「……どれだけ、苦しいだろう……」


 責任感を持っていれば、持っているほど、無力を感じるに違いない。


 わたしに、何か出来ればいいのに、と思った。


 そのとき、まだ着替えていない制服のポケットの中で携帯電話が震えた。

 電話か、メールか。

 画面を見ると、電話だった。京介さんだ。


「はい」

『今寮か』

「うん」


 出るや否やの確認は、身代わりになってからの常だ。

 だが、何だか、いつもと様子が異なるような……。

 どうしたの?と何気なく問うてみようとした。けれど、京介さんが、間髪入れずに言う方が先だった。


『志乃、帰ってこい』

「──え?」

『明日、学園側の許可を取り次第、迎えに行く』

「ちょ、と待って」


 何だ何だ。

 あまりに突然かつ突飛な言葉で、慌てて我に返った。


「どうしたの、いきなり」


 理由を尋ねると、電話の向こうが「説明は──」と言いかけて、止まった。

 見たことはないけれど、何となく、かなり焦っているような、苛立ちが含まれているような感じだ。

 わたしは、戸惑う。そんな京介さんは初めてだった。


『お前が前、推測しただろう。白羽に受けた提案を湊も受けていたかもしれない。そして、湊は白羽に襲われたのかもしれない。おそらくそうだろう』

「証拠が出たの?」

『証拠と証言というか……俺の推測が全部当たっていれば、腹が立つどころじゃない──いや、それはいい。とりあえず湊の方はそのうち力が弱まって起きる。異能なら、近くに能力者がいない以上効力は永遠には続かない』

「湊、起きられるの?」

『ああ、保証する』


 湊が、目覚める。

 良かった。

 いつ目覚めるのか、分からなかった。異能かもしれないという推測は聡士も立てていたが、異能であると分かっても、湊が起きるかどうかは分からなかったからだ。

 良かった。

 とても、安心した。


『だから、もう帰ってこい』

「……? 湊は、まだ、目覚めてないんでしょ?」

『そうだ』

「じゃあ、せめて湊が復帰出来るまでわたしがいないと、これまでの意味がないんじゃないの?」

『そんな悠長にしていられる現状じゃない』


 京介さんの声音が変わらない。

 湊が目覚めることが分かったから、わたしを帰って来させようとしているのでは、ない?


『湊の件は改めて調べて分かっただけの話だ。──それよりも問題は、白羽の話だ。いいか、俺はずっと戸籍っていうのが引っ掛かっていた。どうして、水鳥家の戸籍を調べる? ずっと違和感があった』

「京介さん、何のはな──」

『過程は省く。月城の次男の側にいれば、お前の命が危ない。帰って来い』


 反応は遅れた。

 だが、直後、直感した。──京介さんは、聡士の秘密を知ったのだ。


「聡士、の」

『これ以上の説明は帰ってきてからしてやる。とにかく』

「京介さん」


 京介さんは、聡士のことを知った。聡士が「生き残り」だと。

 そして、側にいればという言い方をしたけれど、湊の件を合わせると見えることがあったはず。

 わたしを帰らせようとしているのは、単に聡士の存在のせいじゃない。以前報告した襲撃が、おそらくわたしが彼と間違われて行われたということを知った。

 どうしてそこまでのことが分かったのか、分からない。

 京介さんには、わたしの知らないようなつてがあってもおかしくない。

 とにかく、彼は知ったのだ。


「……京介さん、わたし、帰らない」

『何だと?』

「ごめんなさい。わたし、全部知ってた」


 電話の向こうが沈黙した。

 予想外の言葉を、さしもの彼もすぐには理解出来なかったのかもしれない。


『……いつ、どうして知った』

「四連休が終わってしばらく経った頃くらいに、聡士に聞いた」

『……それなら、どれだけ危険な状態か分かっているんだろうな』

「うん。わたしは、たぶん聡士と間違えられて命を狙われた」

『──それが分かっているなら、どうして帰らないなんて言う』


 押し殺した声だった。

 彼が怒鳴るのを我慢すれば、こうなるのかもしれない。もちろん、怒鳴られたことなんてないから、想像に過ぎない。


 京介さんが帰るように言う気持ちは痛いほど感じた。

 命の危機にあるのだ。

 けれど、わたしは、覚悟して口を開いた。


「一人にしておきたくない」


 元々、聡士は一人じゃない。側には従者がいる。

 だけど、そうじゃなくて。

 聡士が、湊の身代わりの重圧に押し潰れそうになったわたしに手を差し伸べ、助けてくれたように。


 何か、ここにいることで、何か彼に返せないか。

 湊が、聡士の力をなると約束した気持ちが分かる気がする。


 彼から離れるのは、間違っている。


「聡士の力になりたい。わたしがここにいるだけで何にもならないかもしれないけど、せめて湊が戻ってくるまでは、いる」


 きっと最初で最後の学園生活。そこで、変な形で出会うことになった彼だけれど、名前も明かしていないけど、『湊ではない』者として接することになった。


 聡士に救われた。

 彼はそれが当然だと言ったけれど、わたしには当然ではなかった。

 こんな状況の中、わたしは彼の側にいたいと思う。普通の学園生活を、普通の会話を、日常を。


『志乃、帰って来い。これは、決定事項だ』

「京介さん」

『いいな』

「京介さ──」


 電話は、そこで、途切れた。

 反論を許さぬかのようだった。


 わたしは、唇を噛み締めた。

 わたしがいても、何もならない。何も出来ない。分かっていたけれど──


 京介さんからの、初めて意思を無視された決定は、わたしの明日の帰還だ。

 突然の学園生活終了に、顔を歪めたのは、最初で最後の学園生活が終わることにではない。

 わたしだけが逃げてしまうようで、嫌だった。









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