御曹司と身代わり






 気を失い、ぐったりとした体を抱き止める。


「湊様!」


 湊の従者、佐々木謙弥が、倒れた『主人』の様子を確かめる。

 普段見る限りでは冷静な表情が、さすがに崩れていた。


「眠らせただけだ。害はない」


 そう言うと、佐々木謙弥は顔を上げ、聡士の方を見てきた。その目が、見開かれる。


「──月城、様?」


 はっとして再び視線を下に、それからまた上に。戸惑いと、信じ難さが目にありありと浮かんでいた。


「聡士様、使い物にならなくなってます」


 傍らから自分の従者に言われ、聡士がはっとする番だった。

 目に手をやってから、千里の方に視線をちらりと向けると、千里は辺りを入念に確認しているようだった。

 先ほど、生徒がいない通路に来たが、生徒が通る可能性はある。

 だが、幸いにも昼食時で、食堂への道に集中しているのだろう。通りかかる者の気配は今のところはない。


「誰かに見られない内に移動するぞ。千里、道確保しろ」

「了解です。謙弥君も行くよ」


 こちらを凝視している佐々木謙弥を叩き、意識を引き、千里がそのまま引っ張っていった。

 今の自分も、抱き上げている『湊の姉』を見られるわけにはいかない聡士は、経路の確保が出来てからその後を進んでいった。


 運ぶ先は医務室か、昼食時に専用で使えるようになっている食堂の部屋か、迷った。

 だが、食堂は昼食時の現在言うまでもなく、行くまでに人の目に触れないことは不可能だ。

 結果、こちらも多少のリスクはあるが、医務室に運び込んだ。

 ただし、最上位貴族用に用意されている、別室を目指した。教師から鍵のみを得て、一度全員医務室の外に誘導、その間に入ってしまえばこちらのものだ。


 一室に入り、鍵をかけた。

 中は、病院の個室のような内装だった。中央にあるベッドの上に、運んできた人物を横たえる。


「……何でもかんでも特別室をもうけてもそんなに利用しないだろとか思ってたが、思わないときに役に立つものだよな」


 食堂の専用の部屋で、『湊の姉』と色々話せたり、今人目を避けて運び込めたり。

 壁際に並べてある椅子を持ってきて、聡士は自らも身を落ち着ける。

 目の前には、目を閉じ、横たわる一つの姿がある。


「聡士様、つけ直してください」

「……ああ」


 視界に、差し出された手が入り、手の上に乗るものを受けとる。慣れた動作で、付け替える。


「聡士様……」


 外したものと入れ物を渡すと、千里が物言いたげな声を出した。彼が言いたいことはよく分かっていた。


「言いたいことは分かる。だが、後悔はしてない」

「そう言うと思ったんですけどね、出来ればしないことほど良いことはないんですよ」

「父さんには言うなよ」

「どう言えって言うんです? 経緯から話さなくちゃならなくなりますよ」


 報告は無しにしてくれるらしい。そういう融通が効く従者で嬉しい限りだ。


 こちらでの話はついたところで、ベッドの向こう側を見ると、佐々木謙弥が目に入った。

 彼は、案じる目で、ベッドの上の人物を見ていた。この従者は、こんな目もするのか。


 その従者が、突如息を飲んだ。


「……?」


 何だ、と思って視線の先を辿ると、やはり未だ意識を失ったままの人物で──。

 閉じられた目から、雫が生まれ、流れ落ちた。

 聡士は驚き、次いで眉を寄せた。


「……佐々木謙弥、こいつは満足に休んでいるのか?」


 佐々木謙弥がこちらを見たことが分かった。だが、聡士は彼を見なかった。

 横たわり、目を閉じる姿を見ていた。

 眠っているように見える顔は、穏やかとは言い難い表情だ。その顔にかかっている髪を退けてやる。

 くまは出来ていないが、顔色がいいかと言えば微妙だ。ギリギリのラインで、持ちこたえているような。

 誤魔化してしまう表情がなくなって、分かる。


「……満足に、ではなかったのかもしれません」

「なんでだ」

「夜遅くまで、起きていらっしゃるようです」

「何のために」

「正確には、分かりません」


 部屋に入ることは、はばかられたという。


 この二人の関係が如何様なものか、聡士には分からない。

 湊の従者と、湊の振りをすることになった双子の姉。湊と、というようにはいかないだろう。


「ですが、おそらく勉強をしておられるのだと思います」

「勉強? こんなになるくらいにか?」

「……湊様の代わりだということで、気を張っておられていましたから」


 先ほど倒れたときの様子は通常ではなかった。明らかに具合が悪そうで──それでも、彼女は立とうとしていた。


「先日の休日の際にも勉強をしておられたようで、……ある方からは過剰に気を張っているから気をつけて見ておくように頼まれていました」

「なら、どうしてこうなるまで止めなかった」

「止められる言葉が、無かったからです。──止めて、代わりに安心を与えられるかと言えばそうではありません」


 佐々木謙弥は、絞り出すような声を出した。その様子に、突っ込みすぎたかと聡士は口を閉じた。

 誰より悔いているのは、あの従者だ。


「……まぁ、それを聞いて考えてみると、無理もするかもですね」


 ぼそりと、横から声が入り込んできた。


「自分の評価ではなく、他人の、それも聡士様に負けず劣らず完璧だと聞く水鳥様の評価を取らないといけないんですよ」


 おれから見ると、今の『水鳥様』も完璧に思えるんですけど、と千里は言いながらも、続ける。


「おれがもしも聡士様の代わりに試験を受けることになって、それがそのまま聡士様の評価になるとなると、ぞっとしますね。おれ、小心者なので。──まぁ、成績にかなりの幅があるおれと聡士様じゃ例えにならないかもですが、つまり、そういう類いのことでしょ。プレッシャーはとんでもない」


 言われて、聡士はベッドの上の彼女に目を戻した。

 倒れるような体調になるまで、自分を追い込むか? こんなになるまで?



 ──不思議なものだ。

 女だと分かってからは、自分には女だとしか見えないのに、周囲は全く気がつかない。

 周囲が気がつかないくらい、彼女は湊であれていることだろう。確かに、細かな部分に目を瞑れば、顔立ちの類は似ている。

 立ち振舞いも、喋り方も。それらは彼女が同じようにしているのだろう。


 だが、どこか目が離せなかった。

 最初は単に、ある理由から関わっておこうと思っていた。ついでに、湊の姉という彼女と色々話してみたかった。

 途中からだった。気がついたときには、放っておけない気持ちになっていた。

 ふとしたときの雰囲気や、目が、意識に引っ掛かったからだ。


 どんどん、どんどん、纏う空気が弱くなっていくような感覚がした。立ち振舞いなどは変わっていないから、感覚でしかなかった。


 しかし今になり、最初の頃の、貴族の双子ゆえの自らを卑下するような言葉と、雰囲気を思い出した。

 湊から聞いた、『双子の姉』の境遇を思い出した。

 生まれたときに、引き離された。世に存在しない者とされ、人目に触れないような環境で過ごさざるを得ない状況だ、と。


 そんな、人の前にも出ることに慣れていない人間が、急に大勢の前に引っ張り出されるどころか『最上位貴族』の名まで背負わされて、堪えられるはずがない。

 背負いきれるはずがない。


 ようやく、聡士は、目の前にしている光景の原因に思い至った。そして、遅かったと実感した。


 大丈夫なのかと心配になって、だが大丈夫なのだろうと思っていた。これほど追い詰められた人間を、見たことがなかったから。

 けれど、心配をするのなら、あと少し手を伸ばせば良かったのだ。

 今はここにいない友人に申し訳が立たない思いが生まれるが、それより自分が情けなくなった。


「……ぁ」


 微かな声。

 目を閉じていた彼女が、目を覚ました。彼女は、視界を確認するようによく瞬き、その過程で聡士を見た。

 一瞬瞠目し、それから、機敏に身を起こした。


「そ──」


 聡士、と言おうとしたのだろう。

 しかし、彼女はまた異なることに気がついたようだった。自分が、泣いていることに。


「な、んで」


 呆然とした表情と声をして、指で自らの頬に触れた。指が濡れ、戸惑った表情をした。


 その様子が、ひどく痛ましく映った。

 男なんかじゃない。水鳥湊でもない。ぼろぼろと泣く、儚い少女がいた。


「お前、だから、放っときたくなかったんだよ」


 手を伸ばしたくなって、抱き締めた。


 湊の代わりをしているなら、湊の代わりに面倒をみておいてやろう。自分のせいで起こったこともある。そう思っていた。

 だけれど、友人の姉は思ったよりも普通に日々を送っていて──そのはずが感じる雰囲気が弱々しくなっていて、どうにもできなかった。

 後悔でいっぱいだった。自分は、何を見ていた。








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る