身代わりと違和感







「昨日、ボールが直撃して医務室行きになったって?」


 昼食時、向かい側から飛んできた話題がこれだった。

 そんな話題を引っ張り出してきたのは、もう当然のように月城聡士だ。

 昨日、体育の途中で一時退場したときのことだと、わたしは思い出す。


「見ていたのか?」

「いや、俺はサッカーだったから、聞いただけだ。結構騒ぎにもなってた」


 鳴上千里に聞いたわけでもないらしいが、それなりに話が広まっているようだ。良いことではないし、好ましいことでもない。


「どこ当たったんだ」

「頭」

「……大丈夫か?」

「病院にも行った」


 検査もした。

 先生が痛みも取ってくれた。

 衝撃で内部に異常が起きてしまうと、それはどうにも出来ないから、検査では何もなかったけど、何か異常があればすぐに連絡するように言われた。

 京介さんに、一応連絡しておくと言われた。一応、しなくていいのだけれど。


 そうか、と言った月城聡士は、一回転させたフォークでブロッコリーを突き刺した。何かを思い出したようになる。


「ああ、そういえば聞いたか?」

「何を」

「生徒会選挙」


 聞いた。

 今日の朝のホームルームで、最近の決まっての月末に迫る試験についてのあとに、新たに付け加えられた話題があった。


 ──生徒会選挙


 ただの生徒会選挙ではない。

 今の白羽悠ほどではないが、元々この学園の生徒会というものは、学園についての発案と決定権を有する機関のようだった。

 特に、生徒会長選挙は重要さを増す。


「まあ、白羽がまだ二年だからな、このままいけば生徒会長は白羽が再選して続投だろうな」

「そうだろうな」


 今の白羽家の人間がいるのならば、対抗しようとする者はいないだろう。

 ここがいくら子どもの世界でも、将来の大人の世界に繋がっている。そうでなくとも、異様に白羽悠が力を誇っている中だ。


 しかし、向かい側の微妙な沈黙に、わたしはまさか、と思って聞く。


「立候補するつもりなのか」

「そういう気があるのかっていう問いなら、『ある』だな」


 月城聡士は何も刺さっていないフォークを揺らし、不敵な雰囲気を纏い、笑った。

 だが、すぐに苦笑に変化する。


「家からは大人しくしていろと言われているから、出ないがな」


 何を考えているのか。

 わたしにさえ分かったことが、月城で正統な教育を受けてきた聡士が分からないはずはない。

 その意味を分かった上で、そういう気があるというのは……本気か。


「『湊』は立候補する気はないのか?」

「私が? ……まさか。家からもそういう指令は出ていない」


 それに、そういうこと自体、わたし自身としては避けたい。

 白羽がいなかったとして、出ろと言われても、困っただろう。あれほど注目される場所に出ることになれば、どれほどの視線と重圧を感じるか。


「試験の次に、生徒会選挙までとなると、堪ったものじゃない……」


 ぼそりと呟き、わたしはニンジンを突き刺す。

 ニンジンを噛む。味はあまりしない。最近、食事は味を感じない。ただ、食べている。


「なあ、お前、大丈夫か」


 次に口に運ぶニンジンを見ていた目を、上げる。

 向こう側からわたしを見る月城聡士の表情に、咀嚼したニンジンをごくりと飲み込んだ。

 笑みはなく、あまりに真剣な表情だった。


「……大丈夫か、って?」

「言葉通りの意味だ。大丈夫か?」

「大丈夫じゃないように、見えるのか」


 意味が分からず、でも、どこか焦って、それを出さないように努めて平静に問い返した。

 月城聡士はフォークを置き、手を、こちらに伸ばしてきた。


「目の下、それ、くまでも出来かけてるんじゃないのか」


 指が、目の下を示した。触れる、まさに直前の位置で止まった。少し前に身を傾ければ、手はわたしに触れる。

 呆気に取られていたわたしは、はっと意識を取り戻し、軽く後ろにのけぞった。


「気の、せいだろう」


 くま、というものが出来ることを考えたことがなかった。

 いや、見た目がどうこうということにまで、気が回っていなかった。とにかく、試験のことを考えなければと思っていた。


 ぎこちなさを隠しきれずも言ったわたしに対し、月城聡士は黙って手を引いた。

 何か言いたげにした様子や目に、京介さんが重なったが、月城聡士にその目を向けられることが慣れず、目を逸らした。


「困ったことあったら、言えっていうの、あれは本心なんだからな」


 彼は、湊の姉だからといえ、湊ほどの重要さはもちろん持たないわたしを、なぜそこまで気にかけるのだろう。







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