身代わりと休暇中
はっとして、飛び起きた。
早くしなければ、学校だ、遅刻する。
そう思って起きたけれど、それ以上は動けなかった。
「志乃?」
とっさに、声の方を見た。
「……京、介さん……」
一人掛けのソファーに、脚を組んで座っている京介さん。
呆然と彼を見て、わたしは、辺りをぐるりと見渡す。
寮の部屋でなく、過ごし慣れた家の部屋。リビングのソファーで、寝てしまっていたらしい。自らを見下ろすと、タオルケットがかけられていた。
その下は、久しぶりに履いたスカートで、そこまで確認して、深く息を吐いた。
休みだった。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと、学校だって焦って……」
薄く汗をかいていて、軽く手で拭った。
寝坊したことがあったわけではないのに、焦った。
息をつき、いつの間にか横になっていたソファーに座り、深くもたれかかる。
「話してる途中で、寝ちゃった? ごめん」
京介さんと話している途中だったような記憶が朧気にある。
最中に寝てしまったのだ。
謝っていると、隣が、沈んだ。
頭を引き寄せられる。
「いい、休め。寝ろ。考えるな」
すぐ近くから、声が響いて、届いてきた。
隣に移ってきた京介さんが、引き寄せたわたしの頭を、柔らかく撫でる。
だから、わたしは目を閉じて、今だけは頭を委ねてしまう。
「あーあ、本当もったいねぇなぁ」
「何が?」
「髪」
湊は特別短髪ではないけれど、わたしは髪を伸ばしていたから、湊の身代わりになる際、かなりの長さを切った。
躊躇いも悔いもなかった。たとえ問答無用で切られていたとしても、最後に湊の代わりになると決めたのは、わたし自身だからだ。
「髪は伸びるものだから」
「ったく、そういうところに拘り持てよな」
京介さんは呆れたように笑いながら、短くなった髪に指を通し、撫でることは止めなかった。
「そういえば京介さん、仕事は?」
「休み」
「どれくらい?」
「志乃がここにいる間はずっとだな」
「四日?」
ちょっとびっくりして、頭を離して、京介さんを見た。
京介さんは会社を経営しているため、仕事で出かける。朝であったり、昼であったりと時間にぶれはあるけれど、決まって夜には帰ってくる。
休みの日も決まってあるけれど、長期的に休むことはない……。
「四日」
が、今、京介さんは何でもないようにすんなり肯定する。
「でも、そんなに休んで大丈夫?」
「問題ない。会社っていうのはな、一番上がいなくても、しばらくはそれなりに動いてくれるものだ。と言うより、俺にもそれくらい休む権利が元々ある。今まで長期で休まなかったのは……そうだな、毎日お前が家にいたことによる甘さだったな」
「甘さ?」
「そうだ。家に帰れば、毎日お前がいただろう。俺はそれで満たされてた。──志乃は俺に長く一日いてほしい時とかあったか?」
そういえば聞いたことがなかったな、と聞かれて、わたしは考える。
「いてくれたら嬉しい、よ。でも……」
そうだなぁ、と思う。
「わたしも、毎日京介さんがいたから、それで十分だったかな」
十分だった。それ以上を望み、我が儘を言うことは考えたことがなかった。
京介さんは、「そうか」と言って、微笑む。
「それが崩れた今だ、一緒にいられるときにいないのは、ただの馬鹿だろう。と言うことで、俺は休む」
そういうことであるらしい。
わたしは、すごく嬉しく感じて、自然と笑みを溢していた。
こんな人だから、一番信用する人ばかりでなく、大好きな人になったのだろう。
*
夜、わたしは机に向かう。持ち帰ってきた教科書と問題集を開き、勉強する。
朝も昼も静かだけれど、夜の静けさを感じる中、ひたすらに復習をし続ける。
背後から、コン、という音がした。
ピクリと体が先に反応して、首を巡らせる。
「もう二時だぞ」
数時間前に就寝時の挨拶を交わしたはずの京介さんがいた。さっきの音は、開いてから彼がノックした音だったらしい。
寝るときの格好をしている京介さんが、部屋の中に入ってくる。
「帰ってきてから、夜に何をしてるかと思えば……」
気がついていたのか。
寮でしていたように、念のため机の明かりだけをつけてしていたのだが……。
椅子に座ったまま見上げた京介さんは、机の上を見て、目を細めた。
「試験が、あるから」
休めと言われた。けれど、勉強はしなければならないと思った。
これまで、学校には通っていなくとも、家庭教師という形でこの家で学んできた。テストだってあって、点数を取り零したことはない。
毎日決まった時間の授業と、課題をしていたくらいの結果だ。
湊として学校に通うことになって、授業や問題のレベルが格段に上がったとは感じかった。
だから、今までそんなことは思ったことはないのに、完全に気を抜いてしまえば、学んだことが全て抜けていってしまうように思えた。
万が一、『湊』として相応しい成績を取れなければ──
「……勉強はいいが、夜更かしだけは止めろ。睡眠時間は削るな」
京介さんの深い紺碧色の目に、案じるものが混ざった。
心配させている、と分かる。
分かっている上で、わたしはそうせざるを得ないから、「うん」とだけ言う。
初めて、出来ないかもしれない約束に頷いてしまうことに苦しさを感じながら。
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