身代わりと病院
引っ張り上げた生徒から、かなり謝罪を受けた。
代わりにこちらが落ちていれば、そうもなるか……。
港に戻ると、他の生徒たちとは別に、ひっそりと手配された車に乗り込んだ。向かった先は、病院。
「二階から落ちたって聞いてドキッとしたよ」
「一応着地しました」
「それは上出来だ。頭から落ちたら洒落にならないもんねー」
先生は、大事にならなかったためにこやかにのんびりと言う。
彼はこの病院の医者であり、水鳥家に関わる医者でもある。
叔父──京介さんの知り合いのようなので、わたしも会ったことがある。わたしにとって医者と言えばこの人だ。
診察室には、先生とわたしのみがいる。
謙弥は外で待っているし、看護師もいない。
わたしの足は今はベッドの上に投げ出されている。触診され、レントゲンも撮ったあとだ。
ヒビも入っていなかったという上出来振りだったが、痛めてはいるようで。
「しばらく安静ね……って言っても普通に学校生活は送らなきゃならないか」
先生は、難儀だねーと頭を掻いた。
「歩く分には問題はないけど、体育とかあるの?」
「ありますね」
「運動する?」
「体育ですから、すると思います」
この前は体力測定だったけれど、それさえ走ることもあったし。
「休むとか、出来る?」
「出来ないと思います」
学校が許さないのではない。水鳥家がだ。
湊を演じるに当たって、これまでの湊の成績などを聞いた。弟は、完璧だった。授業を休むなど問題外だろう。
「脚の具合、そこまで酷くはないですよね?」
「うん。でも痛めているから、これ以上悪化させずにスムーズに治すためでもあるんだよ」
「なるほど」
「とりあえず今ある痛みだけは取り除いておくから」
先生は、掌全体を沿わせるようにわたしの脚に触れた。
数秒後、ずきずきと響いていた痛みが引きはじめる。
これが、この先生の異能である。
「異能」とは、基本的に貴族階級にある者が持つ力だ。高位になればなるほど、その効力、力の及ぶ範囲は強くなるとされている。
今日の生徒が不自然な動きをしていたのは、白羽悠の、もっと言えば白羽家に遺伝するらしい「人を人形のように操る力」だ。
湊の従者である謙弥も、水鳥家の分家の出で、異能を持つ。
そしてこの先生は、痛みを和らげる異能持ちだ。医者にぴったり。本人は治せるわけじゃないんだけどね、と言い、人間鎮痛剤だよ、と笑う。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
ベッドから降りて、立ってみる。
歩いても、痛みは生まれなかった。
「京介には言っておくからね」
靴を履いていたところで、さらっと言われた。
「……先生、勘弁してもらうわけには……」
「勘弁しませーん」
してくれないの。
「うそうそ。あぁ、いや、京介には言うけどね」
「そこが勘弁してもらいたい点なんですけど。……あぁ、でも本家にもどうせ話が行くでしょうし、京介さんの耳にも入りますよね」
京介さんは責めないだろうから、気にしているのではそこではない。
始まった身代わり生活は、ところどころ上手くいかない部分がある。上手くやろうとしているのだけど、今日のは……。
「いやしかし」
「何ですか?」
「そっくりだねぇ」
先生が頬杖をついて、わたしを見ながら、染々と溢した。
「……ですよね」
「ですよ」
湊そっくり、というお言葉。
元々本家からのお墨付きをもらっての今だ。唯一、月城聡士のことがあったくらい。
あのことは、本家に報告はいっているはずだが、今のところは一度厳重注意をもらっただけ。あれから一度も月城聡士に……今日以外は接することもなかったから、ということがあるだろう。
「でも、これからせっかくの美人さんになると思っていたのになぁ。まあ、湊君も美人さんになっていくんだろうとは思うけどね。それで、学校はどうだい?」
「どう……」
色んなことが頭に駆け巡った。月城聡士のこと、初めて通う学校での視線、授業──今日のこと。
「……学園の生徒会長が、白羽家の長男だって知ってますか」
「生徒会長だとは知らなかったけど、学園に通っているとは知っていたね。そっか、生徒会長に。まあ、
それがどうかしたのかと、先生は首を傾げる。
先生は、今日ここにわたしが来た経緯について、ただ二階から落ちたとしか聞いていない。
「今日、彼が他の生徒に異能を使い、二階から生徒を落ちさせようとしました」
「……それはまた……」
「先生、わたしは、『事』のあらましは知っていましたけど、今日実際を知ったように感じました。白羽悠は、まるであの場の支配者でした」
他に最上位貴族がいる中、生徒会長という枠組みを越えて、あの場を支配していた。
生徒たちも、彼に比重を置いていた。白羽様に逆らった、と。
「本来拮抗した力を持つはずの最上位貴族の権利の傾き、か。学園の方が顕著に出てしまっているのかもしれない。……あんまり大っぴらに話せないことだね」
先生は少し声を小さくした。
「学園は、親の目が届き難い。色々なことの発覚や把握が遅れるということでもある。気をつけるんだよ」
「はい」
「話の流れ的に、今日はたぶんその生徒を庇って落ちちゃったんだろうけど、穏便にと思うと傍観ということは大事だよ」
「……はい」
今日、気がつけば体が動いていた。
けれど、あのようなことがこの先も起こる可能性があると知っている上で、次同じようなことが起こったとき、わたしは……。
「……見ているだけにされるのは、どんな気持ちになるんでしょう」
周りには多くの人がいるのに、誰も動かず、見ているだけというのは、不振さえも生むことがあるのではないか。
先生は、静かに、わずかに微笑んだ。
先生もわたしの言いたいことは分かっていて、わたしも先生の言いたいことはよく分かっていた。
わたしは、今の役割にある以上、優先するべきは湊でないとばれないことだ。
「先生、今日はありがとうございました。突然すみませんでした」
「いいよ。僕はこうでもしないと関わることが出来ないから、実際に見て参っていない様子だって分かって安心した」
「先生は、わたしが参ると思っていたんですか?」
「これまでの環境とは異なりすぎる環境に放り込まれるわけだから」
「放り込まれるって」
まさに予想もしていなかったことで、その通りなのだけれど。
「京介さんにも、似たようなことを言われました」
「京介はこれから心配が絶えないだろうね」
「もう少し上手くやれて、心配を感じさせないくらいになれればいいんですけど」
「いやいやそうじゃないよ。志乃ちゃ……きみは上手くやっているはずだ。その見た目の完成度で学園に通うだけで満点だよ」
その点で、すでに一名からなぜか「湊ではない」と言われてしまっている。
「そうじゃなくてね、単に京介の位置なら親として心配せずにはいられないってこと。どんなにきみが完璧にしていても、京介は心配する。それはきみに落ち度があるんじゃなくて、むしろ京介に落ち度があるっていうか……とにかく京介は心配せずにはいられないんだよ」
「そういうもの、ですか……?」
「ですよ」
先生は深く頷いた。
そうして、身支度を終えてわたしが診察室を出ようとドアを開けようとすると、ドアを押さえられた。
何だと思って見上げると、立ち上がっていた先生が、頭上から小声で念を押す。
「いいかい、気の張りすぎは良くないよ。無理のしすぎもね。今後今回の話みたいに、学園の中で僕ら外部にいる人間が感知しにくいこと、きみが見過ごしたくないことが起こるかもしれない。見過ごせば心労になり、手を出したら出したらで異なる心労と、注目が集まるというリスクが増える。その辺りは、僕はどうしろとは言えない。元々水鳥家の外の人間でもあるわけだしね」
今こう話していることも立場違いかもしれない、という言葉に、わたしは首を横に振る。
わたしは、湊や湊の従者である謙弥以外の本家の人間を信じない。先生は、本家の人間と比べることもおかしいくらい、信じられる人だった。
「何度も言うけど、気のはりすぎは良くない。長期戦になるようなら、精神的な疲労は計り知れない」
ドアが離され、開けられるようになったけれど、わたしは開けなかった。
「先生、彼の様子に変わりはありませんか」
長期戦になるようなら、という言葉に尋ねると、「ないと聞いているよ」という答えが返った。
湊であるはずのわたしの治療に当たったこの先生だが、湊の主治医は別にいる。水鳥家に縁の深いこの病院にいるはずだ。
この病院に、湊がいるわけではない。
彼は水鳥家本家にいる。
身代わりになる前に入ることが許された部屋で、横たわっている弟の、青白い顔が瞼の裏に甦った。
「そうですか。……先生、今日はありがとうございました。学園に戻ります」
「うん。じゃあ、お大事にね、『湊君』」
診察室を出ると、謙弥がいた。
「謙弥、学園に戻ろう」
「はい」
人工的な明かりで照らされた廊下を、わたしはしっかりとした足取りで歩き始めた。
十五年の人生、本家に必要とされることのなかったわたし。
表に出ることはなくとも、平穏な日々に、突然本家からの呼び出しがかかったのが約一ヶ月前。
一ヶ月前、わたしの双子の弟、水鳥湊が目覚めなくなった。
前日の夜まで至って普通だったのに、翌日、湊は目覚めなかったという。
どれだけ声をかけても、揺すっても。どれだけ、名前を呼んでも。
原因は誰も教えてくれない。正確には、原因不明だと言われている。
弟に、何が起きているのだろう。
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