身代わりと洗礼




 見るからにがたがたと震えていた生徒が、突然糸に吊られたかのように、ピン、と背筋が伸びた。


「とりあえず、お詫びに踊ってもらってー」


 くるくると、回り、歪にもタップを踏む。

 不気味な光景に、顔が強張った。

 だが、一番強張った表情をしているのは、当の生徒だ。


「さあ、落ちてみようか?」


 十秒ほどで止まったかと思えば、その生徒は、手すりに手をかけ、足をかけ──ここは二階だ、何をしている!

 気がつけば、足が動いていた。

 持っていたグラスを、見もせず傍らに押しつけると、走り出した。


 向かう先では、一階への落下防止の手すりから身を乗り出しかけている姿がある。

 間に合え。手を伸ばし、最後はほぼ手すりに飛びつくように距離を詰め──届いた。

 掴んだ襟を思いっきり引く。

 重い。それはそうだ。相手は男子生徒。女であることもあるが、元より華奢な湊では難しかっただろう。


 わたしに水鳥家の異能が使えれば、簡単に救えたのに──。


 ぐらりと、体が傾いだ。落ちる、と思った。

 傾いた方は手すりの向こう、何もない方だった。

 これは駄目だ。無意識が判断し、覚悟を決めた。両手で服を引っ付かみ、最後に思いっきり引っ張ってやった。


「湊様!」


 そして、わたしの体は、反対に空中に投げ出された。自分ごと後ろに倒れれば良かったが、無理な体勢が祟った。


 一階がよく見えた。下には、二階より多くの生徒がいる。

 けれど、わたしが向かおうとしている位置には少しぽっかりと穴が空いていた。嫌な予感がして、退いたのだろうか。

 上を見ている顔の全てがひきつっていて、わたしを見ていた。


 実際の時間にすると、落下の時間は一瞬。

 床が眼前に迫ったそのとき、何とか体が反応した。

 頭からの激突を避け、手をついたが足から着地する。

 大きな音が会場中に響いた。


「……」


 着地、出来た。

 一瞬の間を置いて、心臓が静かにも早く大きく打ち始めた。無我夢中だったが、こんな大それたことを自分がするとは。

 頭や腰からいっていたら、どうなっていたか分からない。

 衝撃を緩和しきれず、脚や手にじんじんと痛みが響くが、我慢して、立ち上がる。


 自然と目に入った周りは、落下時に見ていた表情が並んでいた。

 目線だけが近くなり、全員青ざめた顔で、ぴくりとも動かずこちらを見ている。

 わたしは周りから目を離し、上を見た。


 白羽悠が、こちらを見下ろしていた。


 その目と、目が合う。

 笑顔がない表情が、ぞっとするほど冷めているように見えた。逆光で影が落ちているからだろうか。


 あの生徒の不自然な行動。あれは、白羽家の『異能』か。

 初めて実際に見るから、思い至らなかった。


 確かに、さっきグラスが割れた。

 上級生、それも最上位貴族の人間が話していた途中に派手な音を立てたとなれば、萎縮するだろう。

 わたしもこの学園に入学してから、そんな類いの反応をされたことがある。

 でもわざとやるメリットなどどこにもないと理解しているから、責めようという考えは出てこない。

 それなのに、何だ、この異様な空気は。

 死にはしない高さであろうが、飛び降りさせようとするなんて。あの白羽悠という青年は、どういう神経をしている。


「水鳥様が、白羽様に逆らった……」


 微かな囁きが、一つ。

 一つを始めとし、話す声は広がっていく。

 ──白羽様に逆らった。


 白羽悠は、興味を失ったようにくるりと体の向きを変え、奥に行ったのか姿が見えなくなった。


「湊様」


 見ると、すぐ側に謙弥がいた。

 飛び降りて来たのではなく、異能を使ったのだろう。

 彼が持つ異能は、瞬間移動。ただし、距離には限りがあり、自分以外のものを移動させることは出来ない能力だそうだ。


「お怪我は」

「骨が折れているとかいうことはない」


 たぶん。

 骨が折れていれば、こんな痛さでは済んでいないし、立っていられないだろう。


「それより、あの生徒は」


 落ちかけた生徒は大丈夫か。

 また上の階を見上げたら、上から人が降ってきた。


「聡士様!?」


 そんな声が上から聞こえたときには、控えめな音で目の前に着地した者がいた。


「湊、大丈夫か」

「──聡士」


 月城聡士だった。

 彼は、通常より高めの二階から飛び降りたのにも関わらず、わたしと違って痛そうな素振りは一切なく立っていた。


 わたしは、目の前に現れた人物とその現れ方に内心呆気に取られた。

 しかし、相手は何か待っている。「大丈夫か」という問いが今さら頭に入ってきた。


「問題ない」


 脚は痛むが、大丈夫かどうかに対しては嘘をついていない。

 だが、周りの視線を感じつつ、一旦この場を離れようと歩きはじめたときだった。


「……っ」


 痛い。

 捻ったか。やはり着地の仕方が上手いとは言えなかったようで、途端に脚中に痛みが走り、響いた。

 それでも、表情には出さずに歩き続けなければいけない。


「念のため、戻ってからすぐに病院に行けるよう手配しておきます」

「……うん。謙弥」


 ごめん、と言おうとして口を閉じた。謝ってはいけない。


「あの生徒は」

「無事です。異能はあれ以上は使われなかったようです」


 それは何より。

 自分がした行動について、後悔はしていないし間違っていたとは思わない。

 だが、今の「湊の身代わり」という状況では好ましいとは言えない行動だったことは明らかだった。こういった風に目立つことは、あり得ない。

 それらからの理由で謙弥に謝らなければならないと思ったが、後になりそうだ。


 この学園は、思ったよりも厄介な状態にあるのかもしれない。



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