身代わりの入学




 翌日、制服に着替え、鏡の前へ行く。

 服装と頭髪の乱れがないことをチェックし、笑顔を作る。

 外にいる間は、常にこうあらなければならない。

 息を吸い、吐いてから、部屋の外に出た。


「行きましょう、湊様」

「うん」

「……緊張していますか?」

「それはね」


 それはそうだと、認めるのはここまでだ。

 外では完璧に、完全に。平穏に、平和に。

 ばれないように。


 校舎は、寮からそれほど離れていない。元々校舎もある広大な学園の敷地内に、寮もある。

 謙弥の案内により、登校し、校内に入る。


 謙弥の案内について行かなければ道は分からない。言い方を変えると、ついて行けば着くので、前を行く姿を眺める。


 背丈の高さは、わたしより十センチと少し高いくらいか。

 表情は大抵真面目な感じ。中身も真面目で、かなりきっちりしている。

 わたしと謙弥の付き合いの時間は短い。今回身代わりになることになって、一緒にいることになったわけで、何かとぎこちなさがあるのは仕方ない。


 謙弥は、すいすいと迷いなく行き先を案内してくれている。

 下見に来ていたのだろうか。


「前もってここに来たことがあるのか」

「はい。中学より広いと聞いていたので、迷うわけにはいかないと思いまして」


 わたしはと言えば下見に来られるはずもなく、初見の場所だ。

 湊は違ったかもしれないけれど、地図があってもスムーズに歩ける気がしない。これこそ仕方のないことだ。


 所属クラスは「1-3」。前もって聞いていたことで、プレートが吊り下がる教室まで来た。

 教室に入る前、紙が張られている場所に生徒たちが集まっている。


「あれは、何だろう」

「ああ、席順の紙のようですね」

「なるほど」


 では彼らはクラスメイトというわけか。

 わたしは笑顔を改めて意識して、そちらに近寄っていく。


「──水鳥様」


 一人の生徒が、素早く反応した。

 中学が一緒だったのか、どうなのか。湊の顔を知っている生徒だったらしい。いや、制服の襟につけている紋章のせいかもしれない。

 相手の制服の襟にも、紋章が刻まれた記章が見えたが、細かくどこの家のものかと判断する前に、その生徒は去っていった。


「湊様」


 呼ばれて見ると、謙弥が教室の中へと示していた。何だ、もしかして席順も把握していたのだろうか。


「水鳥様だ」


 周りでは、囁きが広がっていた。次々と視線が集まることを感じた。

 こういうのは、居心地が悪い。慣れない。

 大体、学校という場所自体初めてで、水鳥という名を背負って人前に出ることも初めてだ。


 さっさと教室内に入ると、席は一番前、教卓の前と「特等席」だった。

 個人的にはこの位置は好ましくないものだったのだが、「うわぁ」という顔をするわけにもいかない。

 席替えはするのかなぁ……。


「……席替えはするのだろうか」


 思わずぼそりと呟くと、隣の席らしい謙弥が「したいと仰れば、すぐにしてくれると思いますよ」と言った。

 それは地位を使った、わがままに入る類いのものだろう。駄目みたいだ。わたしは口をつぐむ。

 でも、席がこの位置で隣が謙弥であるのは、おそらくすでに地位が働いてのことのはずだ。

 窮屈そうな生活だ。


 教室内には、席の半分ほどと思える生徒がいたが、わたしが入ってから話し声は鳴りを潜めた。

 しかし、廊下ですれ違った生徒たちにしろ、教室内にいる生徒たちにしろ、誰一人として、わたしが本当の湊ではないとは気がつかない。


 余程でなければ気がつかないのだろう。

 髪や目の色をはじめとして、顔、背丈も、体格も、ほぼ一緒だと言って構わないほどだ。あまり細工はしていない。髪を切ったくらいだ。

 元々、背丈なども似ていたことになる。


 弟は、男子にしては華奢だ。背も、高校となり、これから伸びるのだろう。

 だが湊の体格が中学時点で良く、声もとても低く変わっていたりしたら、こうもいかなかった。……いや、何らかの方法で似せさせられていたかもしれない。


「今年は月城様もいらっしゃる。これで四家が揃ったことになるんじゃないか」


 そんな言葉が聞こえた。



 今日は入学式。一度各教室に別れた生徒は、順に講堂へと移動する。

 広い講堂は新入生で満ち、静寂に包まれた中で式が進行していく。

 背筋を伸ばして座り、見ている分にはきりっとしているようにしていながら、ぼんやりしている内に時間は過ぎていってくれる。

 長いな、と思った。


 ろくに話を捉えていない耳に、一つの名前が届いた。

 わたしは、意識を現実に戻した。壇上を注視すると、スーツ姿の大人ではなく、制服姿の男子が一人立っていた。

 新入生代表だ。

 黒髪と、遠目からでも分かる黄色の目をしている。


 名は、月城つきしろ聡士そうし。最上位貴族、月城家の次男のはずだ。


 長男とは些か年が離れているようだが、何はともあれ、同学年として、これからわたしが湊として張り合っていかなければいけない人間だった。

 さぞ優秀なのだろうと思うと、少し心配になる。

 主に成績の類いのことだ。湊ではないとばれるかなどとはそこまで心配していない。

 入学の挨拶が月城になったのは、最上位貴族の子どもが同時に複数入ったときのマニュアルで何か決まってのことだろう。

 試験を始めとした勝負は、ここから始まるのだ。


 と、壇上で堂々と口上を述べる月城聡士を見ていたら、ふと、その視線がこちらを掠め──目が、合った。

 数秒くらい目が合っていた気がしたが、本当のところは定かではない。瞬きしたときには、彼は前を向いていた。

 気のせいだったか。


 生徒だけの入学式が終わると、教室に戻り、担任による話が始まった。

 新入生特有の、しばらくの特殊な時間割の話や、学内における決まりなど。

 それが終われば、今日の学校は終わり。寮に戻るだけだ。

 配布されたものを鞄にしまい、教室を出ようとする。教室内は、中学からの関係か、初日でも探り探りの関係か、友人関係を築いた生徒たちがある程度まとまっていた。


 これは、わたしには、自由に友達は出来ない感じだろう。別に構わない。

 元々わたしには友人と呼べる人ができたことはなかった。その機会がそもそもなかったので、当たり前と言える。

 さらに今は「水鳥」の名を背負う「湊」だ。気軽に近づく生徒もいないだろう。

 それはそれで、今回は都合が良い。


「謙弥、寮に戻ろう」

「はい」


 それに謙弥がいるので、会話にも困らないしなぁ、と思う。

 情報では湊は中学までは、それほど深い親密な関係にはならなかったが、普段の会話などは普通に行っていたらしい。

 これから、完全に遠巻きにされる前に、最低限に会話する機会には恵まれるだろう。


「湊」


 教室を出たところで、声をかけられた。

 今日、と言うか、わたしにとっては初めて水鳥家関係以外の人間に「湊」と呼ばれた瞬間だ。

 若干の緊張を覚えつつ、声が飛んできた方を見る。どこかで聞いたような声だ。


「……つき、聡士」


 月城聡士だった。

 写真では見たことがあるが、わたしが実際に見たのは入学式での壇上の姿が初。

 目の前に立たれるのも初めての月城聡士は、謙弥よりも背が高かった。それ以上に大きく見えるのは、雰囲気のせいか……?


「久しぶりだな」

「そうだな」


 月城聡士と湊は、面識がある。

 月城、水鳥を含めたいわゆる「最上位貴族」は片手で足る数しかいない。

 共に上位貴族、顔を合わせる場もあったという。

 湊は彼のことを聡士と呼んでいたと聞いていたから、わたしはそう呼んだ。


「時間あるか?」

「あるが……」


 何だろう。

 謙弥の方を窺いたかったが、判断するのに湊はそんなことはしなかっただろう。

 断る理由は思い付かず、場所を変えようと廊下の先を示す月城聡士についていく。


 場所を変えてまで、とは一体何の話か。

 単に、あの場で留まっていては多くいる生徒の注目を集めるからか。

 立ち止まったのは、人があまりいない場所だった。

 振り向いた月城聡士は、先ほどの様子とは異なり、なぜか安堵さえ混ざったような様子で。


「お前、しばらく見なかったから──」


 すぐに、怪訝そうになった。

 嫌な予感がする。それはこちらが隠していることがあるゆえの、反射的なものなのか、どうか──。


「お前、誰だ」

「──」


 安堵が消え、眉を寄せ、訝しげな様子を全面に出した月城聡士。彼が言った言葉が、上手く理解できなかった。


 今、何と言った。


「本当に湊か?」


 頭が真っ白になった。

 想定していなかったわけではない。万が一にも誰かにばれる可能性もあるとは思っていたが、そうばれるはずがないと思っていた。

 だから、初日、突然のことに思考が停止しかける。

 そう、停止しかけた。


「──本当に『私』か、とは、どういうことだ」


 混乱に沿って動きそうだった表情を無理矢理に笑顔にして、無理矢理に口を動かした。

 笑え。わたしは今、水鳥湊だ。

 誰に分かるというのか。押し通せ。ばれてはならない。分かるはずがない。何かの間違いだ。


 しかし、月城聡士は止まらなかった。


「目の色が違う。顔の形も違う。声も違う」


 むしろ確固たるものを見つけたように、次々と、指摘が成された。


 わたしはさらに困惑する。

 目の色が違うとは、誰にも言われたことがない。違うのであれば、特別にカラーコンタクトなりを用意して似せるはずだ。

 だが、そんな必要はなかった。色彩は元々似ているのだから。

 それなのに、なぜ月城聡士は違うと断言するのか。


「全部微妙な違いだが、俺の記憶と微妙にずれる」


 誰しも全く同じ色を持つとは言えない。そんな、一見すると同じに見える違いを見たとでも言うのか。

 自分の感覚に疑いを持っていないらしい男は、今やわたしを探る目で見ている。


 ──落ち着け

 心臓が大きく、うるさく打つ。

 思考も止まりそうになる。どうなっているのかと、誰かを揺さぶりたくなった。誰を。分からない。

 とにかく、今、ここを。

 そのとき、謙弥が警戒の雰囲気を醸し出し、動こうとしたことが分かった。

 反射的に、一瞥で制する。

 そして、わたしは笑って、前に向き直った。


「休みの間に、少し体調を崩した。そのせいだろう」


 目の色云々は口に出さず、そう言った。

 今のわたしが「水鳥湊」ではないと、どうして断言できる。今、ここに証拠はないだろう。

 そして、目の前につき出せる証拠はこれからも手に入りようがなく、容姿を大きくいじっているのではないから、その証明も不可能に近い。

 もしもの可能性に対し、考えていたこと、自信を思い出した。


 そうして月城聡士の様子を窺っていると、彼は黙り込み、しばらく。


「……いや、いい。……悪かったな、湊」


 そう言って、何も用件は言わず、立ち去っていった。

 その後ろ姿を黙って見送り、見えなくなり、わたしは呟かずにはいられない。


「……どういうこと……?」


 何も、ミスをした覚えがない。

 初日からのいきなりの出来事に、月城聡士がいなくなった方を見て、混乱する頭を抱えることになった。




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