身代わりと電話
寮の部屋に戻ってからも、動揺は収まらなかった。
外では表に出せなかったため、部屋の中に入ると表情を崩す。
「どうして、分かったんだろう……」
ソファーに座り、手を握り合わせる。
「……あれ、確信あると思う?」
「あの場で見て、直感したように見えたので……引き下がったのは押し切る自信はなかったからかもしれません」
「そうだといいね……」
深く息を吐いた。
「とりあえず、報告しなきゃいけない?」
「一応は」
「だよね」
また一つ、ため息が出る。
こんな不始末、あり得ない。
「志乃様──」
「謙弥」
しー、という仕草をしてみせた。
部屋の外に声が漏れる心配はない。盗聴器の類いも警戒しているだろうから、前もって確認しているだろう。
ここに第三者がいない限り、会話は誰にも聞かれない。わたしのことをどう呼ぼうと、疑問に思う人はいない。
「入学したのは、『水鳥湊』だよ」
だが、ここに「水鳥志乃」という存在はいない。
わたしの口調が戻ることは表と裏では口調が違うのかくらいで通るので許してもらいたいが、名前は決定的にもほどがある。
念を入れなければ。
「……すみません」
「いいよ」
それほど責めているわけではない。これから気をつけていかなければならないな、というくらいだ。
わたしの名前を出してはいけない。これからここにいる限り、わたしの名前は封印される。
神妙な顔で頭を下げた謙弥に、こっちこそ何だか申し訳なくなる。
顔を上げた謙弥は、さっき言おうとしていたことを言い直す。
「あなたが責任を感じることではないと思います。普通、誰も気がつきません。だからこそ、あなたをここに送り出したんです。そうでしょう」
「そうだね」
どうも、ため息をついていたことで、気を使わせてしまったようだ。
しかしそうなんだよなぁ、という気分にもなる。
月城聡士に言われたことと、あの目を思い出す。
「顔の形と声って……ん?」
ポケットの中で、携帯端末が震えた。電話だ。取り出して画面を見る。
「……ちょうどいい、京介さんだ」
水鳥
しかしわたしにとっては父だ。
事実上の養子となっているし、名前をつけてくれたのはこの人で、生まれたときから閉じ込められていたわたしを連れ出してくれたのも、この人だ。
けれど、当初「お父さん」と呼ぶのも
まあ、今は他人行儀さなんて一つもないから、つまりは呼び方が変えられていないだけなのだ。
『今、話せるか』
「うん」
『寮か?』
「そう。入学式と明日からの日程の話くらいで、今日は学校は終わり」
『そうか。入学おめでとう……と言いたいが、まったくおめでたくないから保留だな』
「えー」
どうして。
京介さんからの入学おめでとうは聞きたかったので、期待が外れてちょっとがっかりする。
湊としてとはいえ、入学なんて初めてだ。
『お前自身に何らかの入学式を体験させてやる前にそんなことさせているんだ。祝えないだろう』
そういうことか。
この人は、わたしが気にしていないと言っても、やっぱりまだそういうところを考えているのだろうか。
京介さんがくれた環境だけで充分だから、気にしなくていいのになぁ、と思うから、見えないと分かっていながらも笑う。
「湊としての入学式体験でも、入学式はどんなものかは分かったけどね。長かった」
『ちゃんとじっとしてたか?』
「子どもじゃないんだから、そこら辺は大丈夫だよ」
どこの心配だ、とわたしは笑う。
『何か、問題はなかったか?』
その一言で、すっと頭が冷えた。
京介さんは単に、念のためという形で聞いてきたに違いない。
けれど、初日にして今日、緊急事態が発生していた。
『どうした?』
どう言うべきかと考えている間の沈黙に、電話の向こうから尋ねられる。
わたしは、端的に言うことにした。
「月城聡士と話した」
『月城聡士……ああ、月城の次男坊か。どうだった』
「誰だ、って言われた」
『──どういうことだ』
言われたことを全て話した。
目の色、顔の形、声が違うと指摘されたことだ。
『男と女の違いに関して言えば、完全に隠せるものじゃない。とは言え、外見に関してはお前のその完成度は高い。目の色も、普通分からないはずだ。……月城の息子は、随分目が鋭いようだな』
「やっぱりそうだよね。……まぁ今日は引き下がったし、わたしがそうじゃないってばれるのは髪色とかいじってないから、性別くらいしかない。証拠なんてわたし自身以外に提示しようがないから、大丈夫だと、思う」
『……』
電話の向こうが沈黙する。
危機感を強く感じているのだろうか。
もっと上手くやれていればと、思った。早々、こんな話は聞かせたくなかった。
もっと言うなら、この生活が終わるまでばれる気配もなく、心配なんてないと言えていた予定だったのに。
『志乃』
耳元から聞こえる声が呼んだのは、わたしの名前だ。
「京介さ──」
『ばれたっていい』
志乃、と呼びかけられたことに、電話とはいえ言おうとしたら、遮られる形でそう言われた。
「……何て」
『ばれたっていいから、気負うな。俺が許す。──ごめんな』
「……どうして、京介さんが謝るの。わたしが決めたことだよ」
あなたの反対を押しきって、決めたことだ。
「湊のため。湊が帰ってくるまで」
水鳥家の当主が決めたなら、拒否なんて出来なかっただろうけれど、最後に決めたのはわたしだ。
弟が戻ってくるまで、何も起きていないように、表の空白をわたしが埋める。
『……まったく、せめて通いならいいものを。全寮制が憎いな』
「あはは、京介さんのときもそうだったんでしょ?」
『まあな。でもな、志乃。表に出てこなかったお前には、慣れないことで疲れることだ』
「……そうかもね」
「水鳥」に向けられる視線を感じた。教室の一番前の席で。廊下を歩いていて。
顔を知られていなくとも、襟にある紋章が、水鳥の人間であるという証だ。
今まで感じたことのない、向けられたことのない視線だった。
「でも大丈夫。上手くやる」
基本的に話す相手は謙弥くらいになりそうだ。ボロは出にくいだろう。
そもそもまさか別人が成り代わっているとは、多くは思わない。思い込みも手伝ってくれる。
……多くは。例外が、今日の月城聡士だ。
だが、それも大丈夫だ。あの場でとっさに言った通り、目の色は未だしも、顔はむくんだりすれば多少変化する。声だってそうだ。
体の形の男女の違いを感じられたとしても、裸に剥かれない限りは明らかにはならない。そんな機会は絶対ない。
いくら違和感を覚えようと、決定的なものは示しようがないのだ。
改めて、そう考える。
「会えない代わりに、また電話できると嬉しいな。『お父さん』?」
『そういうこと言ってると、鬱陶しいくらいにかけるぞ。お前も、いつでもかけてこい』
「うん」
やっぱりこの人が父だと実感する。
それにしても、声だけだと心配されているのがよく分かる。
京介さんも京介さんで忙しいだろうから、これ以上、心配させないようにしなければならない。
『あと、船酔いするなよ?』
「はーい」
仕事頑張ってね、と言って電話を切る。
しばらく、画面を見つめていた。
さて、と。
「謙弥」
「はい」
「湊と月城聡士には、そんなに交流があったの?」
「話していらっしゃることは、それなりにありましたが、いずれも集まりで顔を合わせる機会にのみでした」
個人的に、わざわざ別の機会に会うような間柄であったとは聞いていない。そうであったなら、本人と会ったときに対応に困らないように教えられていたはずだ。
それに、同じく最上位貴族だからこそ、必要以上に親密になることはないだろう。
いくら謙弥が必ずしもずっと側にいないとしても、集まり以外の、個人的な密接な付き合いがあれば知っていると思われる。
その謙弥がなかったと言っているなら、言葉通りに他では会っていなかったのだろう。
「どっちにしても、言われた通り対応の違いでばれたわけじゃない……。顔の微妙な違いは単にそういう洞察力が鋭すぎるだけ、か……」
しかし、何か引っかかる。
とりあえず、明日から気合いを入れ直さなければ、とソファーに沈み込んだ。ああ、そういえば着替えていなかった。
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