4 やきもち焼きさんの挙式

 照明を落とした室内に、手作りの赤い絨毯が敷かれている。

 本来なら定休日のはずの今日、この本屋さんの飲食スペースにはお客さんは誰もいない。その静かな店内を、雪恵に引かれて進む私。初めて着るウェディングドレスは、雪恵の知り合いである劇団員のひとからの借り物だ。サイズこそあっていないけれど、でもとても幸せな感じがした。

 進み出たカウンターの前。そこにはすでに、お皿に載せられたお餅の彼が待っていた。彼も今日は、白いタキシードを着ている。折り紙で作ったものではあるけれど、でもそれでも、充分立派で、かっこいい。カウンターの奥に立つ店長さんが、なんだか緊張した面持ちで咳払いをひとつ。

「えー、なんだ。病める時も健やかなる時も、あなた方は添い遂げることを誓いますか」

 なんだかたどたどしいその言葉に、思わずおかしくなってしまう私。ついつい微笑みながら、でも「誓います」と言葉を返す。同様に、お餅の彼も「誓います」とひとこと。なんだか、緊張しているみたいだ。

「ええと、それではご両名。誓いのキスを」

 私は自分の手でヴェールをまくり上げ、そして、お皿から彼を持ち上げる。そのまま、ちょっと見つめる。お餅だ。どこからどう見ても、やっぱりお餅だ。そしてこのひとが、今日から私の旦那さんなのだ。

「……つ、妻よ。緊張する。早くしてくれ」

 その言葉に、私は微笑む。そしてそのまま、お餅にそっと口づけた。ぱりぱりの焦げ目の、硬い感触。でもそれは、とても優しくて幸せな感触だ。

「えーと……すまん、神父ってこの先、どうするんだ」

 困った様子の店長さんの言葉に、店内の端から小さな拍手。「おめでとう」と声をかけてくれるのは、この結婚式の立役者、雪恵その人だ。

「香奈、おめでとう。でも……どう考えても、狂気の沙汰よね」

 私はお餅の彼を抱いたまま、雪恵の元へと歩み寄る。

「ありがとう。私、幸せだよ。全部、雪恵のおかげ」

「お酒の勢いとはいえ、私はまだ、本当にこれでよかったのかと悩んでるわ。でもまあ、あんたが幸せならね」

 困った様子で、でも祝福してくれる雪恵。そこに、お餅の彼が口を挟む。

「愛する妻よ。幸せになるのは、これからですよ」

 そうだね、と笑う私。雪恵が、お餅の彼を指先でつつく。

「ちょっとあんた。餅のくせに結婚とか、ホントやり過ぎよ」

「そうかもしれない。だが、私に後悔はありません。妻にも後悔はさせない」

「あのね。香奈は、私の大事な友達なの。泣かせたりしたら、絶対承知しないからね」

「わかっています。誓いましょう——彼女は、私が必ず幸せにする」

 餅のくせに生意気よ、と笑う雪恵。私は改めて、彼女にお礼を告げる。そして、神父役の店長さんにもお礼を言う。そのタイミングで、「さーて」と手を打つ雪恵。

「じゃあ、このあとは披露宴かしら。といっても、ちょっとしたお酒と、あとは簡単なおつまみくらいで——」

 そう言ってカウンターに向かう雪恵に、お餅の彼がおずおずと声をかける。

「いや。そうしたいのは山々ですが、しかしまあ、なんですか。今日は、もう遅いし……」

「なによ、ノリ悪いわね。ねえ香奈、せっかくのお祝いなんだし、飲んでいくでしょ?」

 振り返る雪恵。私はちょっと困ってしまった。えっと、と呟いて、そして首を横に振る。

「あの、雪恵。その、今日は……結婚初夜、だから」

「ああ、結婚初——えええぇっ?」

 唖然とした顔で固まる雪恵。しばらく呆然としたあと、ぶんぶんと首を振って、

「……いや。いやいやいや。うん。わかった、いいわ。詳しくは言わないで。あとはお二人で、その、お幸せに」

 なんだか青ざめた顔でお店の片付けに取りかかる雪恵。私はお店の更衣室を借りて、ウェディングドレスから着てきた服に着替える。そのあともう一度二人にお礼を告げて、そして、お餅の彼と一緒に帰宅。家に着いたのは、結構な深夜のことだった。

「疲れちゃったね」

「まあ、確かに。でも、私は幸せです」

 そうだね、と告げて、私はお風呂に入る。上がって体をふいて、そしてパジャマに着替える。部屋に戻ると、テーブルのお皿の上には彼がいた。もう折り紙のタキシードも、スーパーで買った海苔も着ていない。まあ、いつものことだけれど。

「愛する妻よ。そろそろ、寝ましょう」

 うん、と頷いて、部屋の電気を消す。彼を拾い上げて、そしてベッドへ。彼を抱えたまま、お布団に潜る。

「妻よ。私はいま、とても幸せです」

 ——うん。

「その、なんだ。私は、あなたを愛している」

 ——うん。

「妻よ。その——大好きだ」

 ——私も。


 そして、私は彼を、抱きしめる——つもりだったのだけれど、でも小さすぎて無理だった。仕方がないので、パジャマの襟元のボタンを外す。つまみ上げた彼を、そのまま、胸元に挟み込む。

「——おお! か、神よ! 私は、私は!」

 なんだか、裏返ったようなへんな声。それが妙におかしくて、ついつい微笑んでしまう。

 真っ暗な部屋の中、そのままゆっくり、瞼を閉じる私。

 ——おやすみなさい。私の、大好きな旦那さん。

 とても幸せな、その一夜。それはまるで永遠のように、ただゆっくりとすぎていった。

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