3 やきもち焼きさんの相談

「絶対おかしい」

 と、三時間話した末の結論がそれだった。

「おかしくないよ。普通のお餅だよ」

 という私の反論に、雪恵は「そうね」と頷く。うっすら顔が赤いのは、別に照れているとかそういうことではなくて、ただ単純にお酒のせいだ。

「どこからどう見ても、これは普通のお餅よね。でも、普通のお餅が喋るわけない」

 もう何度も繰り返したその話題。それに律儀に反論するのは、テーブルの上にちょこんと乗っかった私の彼。

「餅が喋ってなにか不都合でも? 失礼ながら、雪恵嬢。そのような旧態依然とした価値観に縛られていては、これから先の躍進は望めませんね」

 そうよね、と呟く雪恵の目は、どこからどう見ても完全に据わっている。もともとお酒にはかなり強いタイプの彼女だけれど、でも今日はそれ以上に、お酒の量がハイペースだ。

「腹話術とかそんな高度な真似を香奈ができるとは思えないし、といって、スピーカーとかが仕込んであるわけでもない。やっぱり、どう見てもお餅が喋っているとしか」

「ですから、さっきからそう申し上げているでしょう」

「でもそれは、おかしいわ。おかしすぎる」

 おかしくないよ、という私の感想に、でも断固として首を振る、雪恵。

「おかしいのよ。あんたがおかしいのは元々のこととしても、でも、ついに私までおかしくなってしまった、っていうのが、こう、あのね」

 と、手元のグラスを一気に煽る。「店長、おかわりー」と空のグラスを掲げる彼女に、カウンターの向こうから「やめときなよ」と声がかかる。この飲食スペースを切り盛りするその店長さんは、実は本屋さんの店長さんでもある。つまり雪恵の上司にあたるひとで、そして彼はお餅の彼のことを、なんだか笑って面白がっていた。

「雪恵だけだよ、なんだかそんなに頑固なの」

「あの店長はねえ、ああいうひとなの。それに、香奈がどれだけダメな男に引っかかりやすいかも知らないし。危機感が足りないのよ」

 そう呟いて、テーブルに突っ伏す雪恵。お餅の彼が「らちが明きませんね」とため息をつく。雪恵がゆっくりと顔を上げて、その彼を睨む。

「わかったわ。じゃあ、あんたはお餅。喋るお餅。それは認めてあげるわよ。それで、あんたはどうしたいわけ」

「ですから。私は妻と入籍したいのですよ」

「バカね、無理に決まってるでしょ。法律に縛られないお餅が、人間の法で入籍できるわけないでしょう? ちったあ頭使いなさいよ、バカ」

 なんだかずいぶん泥酔しているみたいだけれど、でもさすがに雪恵の言うことには説得力がある。「なんとかならないかな」という私のお願いに、そうね、と遠い目をする彼女。

「やっぱ、電話であんたが言ってた、事実婚ってやつよね。それしかないわ」

「いや、しかしですね。私はやはり正式に夫婦と認められたいと——」

 お餅の彼の熱弁を、でも「餅は黙れ」の一言で威圧する雪恵。

「いいこと? 事実婚、ってのがどういう意味か、よぉっく考えてごらんなさい? 入籍していなくても、でも夫婦は夫婦なのよ。あんた……香奈のこと、好きなのよね?」

「当然ですよ」

「そう。で、結婚したいわけよね?」

「もちろんです」

「ああそう。それで、香奈もそれでいいわけよね?」

 こくり、と私は頷く。

「ほぉら。つまりこれは、もう夫婦ってことよ。そもそも結婚なんてものは、二人の間での誓いでしかないわけでしょう? 別にお役所だとかそんなもんは関係ないのよ、あんなものは法律制度的なものでしかないから。あんたら、もう、結婚してんのよ」

「確かに、それは雪恵嬢の言う通りかもしれません。ですが、しかしですね……」

 と、そこで言葉に詰まるお餅の彼。その気持ちは私にもよくわかった。確かに「もう結婚してる」とか言われても、なんだか全然実感が湧かない。なんだかこのままでは、ただの同棲のような気がしてしまうのだ。

 黙り込む私たちに、「ああもう、わーかった!」と雪恵がテーブルを叩く。

「じゃあもう、あんたら、式でも挙げたらいいのよ」

「式? って、結婚式のこと?」

 そうよ、と雪恵。

「あのね、入籍届なんてものは、単なる副次的な書類でしかないのよ。本当の結婚っていうのはね、二人で永遠の愛を誓いあうことでしょう? それを神様の前でやるのが、いわゆる結婚式ってやつよ。もう役所なんかほっといていいわ、神様の前で約束なさい」

「——なるほど! そうか、それは素晴らしい!」

 どうやら納得した様子の彼。でも、それにはひとつ困ったことがある。

「でも結婚式なんて、そんなのやるお金ないよ」

「じゃあ、地味婚ね。それで充分よ」

 雪恵の話は明瞭だった。結婚式にお金がかかるのは、要するに大仰に披露宴だとかそういうことをやるからなのだとかなんとか。二人だけでこっそりやる分には、別にお金なんていらないのだという。なんなら手作りの式だっていい、と彼女。

「どうせあんたら、二人とも無宗教でしょう? ちゃんとした教会とか神前式とかにこだわる理由なんてないじゃない。ただそれっぽくやりたいだけなら、手作りでもどうとでもなるもんよ。立会人が欲しいなら、それくらい私が請け負ってあげるわ」

 なるほど、と感心した様子のお餅の彼。私もただ、黙って頷く。結婚式。なんだか話が具体的になってきて、わくわくしているのが自分でわかる。とはいえ——正直なところ、不安がないわけでもない。

「でも手作りって、どうやっていいのかわかんないけど」

 そんな私の言葉に、頬杖をつきながらため息をつく雪恵。「どうせお金ないのよね」という言葉に、私はこくりと頷く。

「わかった、これも友達のつとめよね。私が全部、なんとかしてあげようじゃないの」

「本当?」

 私の言葉に、大きく頷く雪恵。

「まあ、まかせといて。いろいろとアテがあるのよ」

 胸を張る雪恵に、私は「ありがとう」とお礼を告げる。お餅の彼も、「よろしくおねがいします」となんだか殊勝だ。こういうときの雪恵は、なんだかとても頼りになる。彼女はいままで、約束したことは必ず実行してきた。そういうところは、なんだか本当にすごいなあ、と尊敬してしまう。

 結婚式が行われたのは、それからわずか、二週間後のことだった。

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