2 やきもち焼きさんの友達
冷静になりなさい、と、それが最初の一言だった。
「まあ、あんたにこんなこと言っても無駄だってのはわかってるけど。でもひとつだけはっきりとわかることがあるわ。あのね香奈、あんた、また騙されてるわよ」
でもとてもいいひとだよ、と、そう言っても彼女は聞いてくれない。電話口の向こうで厳しい意見を並べるのは、私の古くからの友人、
でも本当にいいひとだし、という私の意見は、しかしすぐさま一蹴される。
「だいたい香奈は、いつもどんな男でも『いいひと』って言うじゃない」
それは確かにその通りだ。でも、別に私は嘘をついているわけじゃない。
「だって、みんないいひとだったから」
と、そんな私の返事に、電話口の向こうから聞こえる大げさなため息。「らちが明かないわ」と小さく呟いたあと、
「わかった、じゃあ、まずは詳しく聞かせて。今度は、どんなダメ男に引っかかったの?」
とか言う。ダメ男じゃないよ、と返すと「どういう男なの」と言い直した。私は答える。
「えっとね。こう、簡単に言うと、お餅」
「——は?」
「お餅」
「うん、待って。必要なのは国語教師か、それとも精神科医かしら」
そのどちらでもない。いま私たちに必要なのは、婚姻届を受理してくれるお役所だ。
と、その言葉に、電話口の向こうから悲鳴が上がる。
「待って待って待って! あんたちょっと、まさかそんな急に籍とか入れちゃうわけ?」
正直、そのつもりだった。でも結局、婚姻届は受理してもらえなかった。お役所のひとが言うには、どうやらお餅とは結婚できないらしい。すっかり困ってしまった私は、そのあとお家に帰って少しだけ泣いた。そんな私を慰めてくれたのも、私の夫になるはずの、あのお餅の彼だった。
「愛する妻よ、案ずることはありません。きっとまだ、なにか別の方法があるはずです」
と、その言葉に励まされ、そして私はその『なにか別の方法』を探す決意を固めた。そしてこんなときに頼りになるのは、いつも私の相談に乗ってくれる雪恵だけだ。彼女はとても賢いし、世の中のことをよく知っていて、いつも私に的確なアドバイスをくれる。
——と、そのつもりで今日、彼女に電話をしてみたのだけれど。
「まさか結婚詐欺とか……いや、保険金殺人の線もあり得なくはないわね……」
とかなんとか、なんだか小難しいことを言うから困ってしまう。とりあえず私は、お餅の彼から聞いたことを彼女に相談してみる。
「なんかこう、事実婚、っていうのがあるんだって。でも私、そういう難しいことはよくわかんなくて。雪恵なら詳しく知ってるかなあ、と思って」
「事実婚ってのは、いわゆる内縁ってもので……って、ちょっと待ちなさい。あんた、なにしようとしてるわけ? まさかもう同棲してる、とかそういうことはないわよね?」
言われて考えてみると、確かにこれは同棲だと思う。「してるよー」と言うと、慌てた声で返事が返る。
「ちょっと! 待って待って、その彼とは、付き合い始めてどれくらいになるわけ?」
彼から結婚を申し込まれたのは、三日くらい前のことになる。でもよくよく考えたら、彼はずっとダンボールの中に入っていたのだった。とても「付き合ってる」とは言えない状況だけれど、でも実質、同棲自体は一ヶ月くらいしていることになるのかもしれない。
と、私のそんな返事に、「さっぱり意味がわからない」と雪恵。
「でもとにかく、あんたがまたおかしな男に引っかかってる、ってことだけはよぉーっく理解できたわ」
「ちがうよ。とてもいいひとだよ」
「だから、あんたの意見はまったく参考にならないから!」
まったくもう、と呟いたあと、電話口の向こうから、なにかを決意したような雪恵の声。
「わかったわ。そんなに言うなら、じゃあ私にも紹介してよ。旦那さんになる人なんでしょ? あんたを泣かせるような男じゃないかどうか、私にも確認する権利くらいあるわよね」
その申し出に、私は快く了承の返事を返した。約束は明日、雪恵の仕事あがりの時間。彼女は市内にあるちょっと大きめの書店に勤務していて、そしてその店内にはちょっとした飲食スペースまである。そこで落ち合う約束を取り付けて、私は電話を切る。
「——と、いうわけなんだけど」
と、私はお餅の彼に説明する。彼は「話が支離滅裂で何を言っているのかわかりませんが」と前置きしたあと、
「つまり、本屋でデート、ということですか。素晴らしい。私も楽しみです」
と、どうやら喜んでくれた様子だった。よかった、と私は胸をなで下ろす。
デート。確かに、よく考えたらその通りだ。しかも、彼とは初めてのデート。何を着ていこうかなあ、と、わくわくしながらクロゼットを眺める私に、後ろから彼の呟き。
「そういえば、私は服を持っていません。せっかくのデートなのですし、できれば私にもなにか——」
大丈夫、と、私は頷く。たぶんそうだろうと思って、今日出かけたついでに、ちゃんと用意しておいたのだ。床の上に置いたスーパーの袋を漁り、中から取りだしたのは、彼のためのプレゼント。
「おお。それは、まさか」
「ごめんね。有明産とかのブランドじゃないけど」
彼に巻いてあげたのは、買ってきたばかりのパリパリの海苔。「似合いますか?」と、はにかむ彼は、どこか少し格好良くなったように見えて、なんだか嬉しかった。
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