第26話 その両腕は最強

「間に合えよ!」


 灯夜とうやは連なるビル群の屋上を足場に着地と跳躍を繰り返し、まるで小川を飛び石が渡るかのような軽やかな身のこなしで進んでいく。移動魔術を全身に作用させているからこそ可能な芸当だ。

 しかし、連戦の疲労に加えて負傷までしている。移動魔術により灯夜の体へかかっている負担は相当なものだ。


「ぐっ……」


 筋肉や骨が悲鳴を上げ、全身にミシリという嫌な音が走る。痛みに表情を曇らせながらも灯夜はスピードを緩めず、そこからさらに加速していく。

 幸いなことにバニシアの放った超高度魔術ちょうこうどまじゅつは威力重視の攻撃のため、エネルギー球体の移動速度はそれほど速くはない。このままトップスピードを維持出来れば、龍脈りゅうみゃくへの着弾までには追いつける。


「……散々人様に迷惑かけてきたんだから、たまには人助けしろよ、馬鹿狼」


 物言わぬ右腕に語り掛けつつ、灯夜は銀狼の右腕を発動させた。

 古くから魔術師の世界では、人狼の爪には魔術を切り裂く力が宿り、その力は魔術を切り裂く度に強化されていくと伝えられる。

 通常、並の人狼が超高度魔術に触れたなら、その瞬間に肉体は跡形もなく吹き飛ばされることだろう。だが灯夜の右腕は、数えきれない数の魔術師と対峙しその多くを葬ってきた凶悪犯、銀狼ぎんろうの物だ。超高度魔術を打ち破れるまでに、爪の威力が高められているかもしれない。

 もちろんそれは希望的観測に過ぎず、超高度魔術で発せられたエネルギー球体を打ち破れる保証など無い。最悪の場合、エネルギー球体に接触した瞬間に、灯夜の体はこの世界から完全に消滅してしまうかもしれない。こればかりは直接触れてみなければ分からない。


「試してみる価値は十分だ」


 覚悟を決めた灯夜はトップスピードから気迫だけでさらに加速し、ついにエネルギー球体まで手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいた。体への負荷で細い血管が切れる音がしたが、灯夜は気にも留めない。すでに龍脈のある位置が目視できるまでに近づいてきている。己の身を心配している場合では無い。


「もっとだ! もっと速く!」


 灯夜は治癒に当てていた分の力も加速へと回し、スピードをさらに向上させた。これによりリザードマン戦で負った脇腹の傷が開き出血。これまでの加速によって負った筋肉や骨、細い血管へのダメージも少なくない。そろそろ内臓にも影響が出てくる頃だろう。


「これで、終わりだああああ!」


 雄叫びとともに、灯夜は近くのビルの屋上の看板を勢いよく蹴って猛加速。銀狼の右腕を振り上げ、人の域を超えた速度でエネルギー球体目掛けて斬りかかった。

 銀狼の右腕はついにエネルギー球体を捉え、その鋭い爪を食い込ませる。だが、エネルギー球体の威力は凄まじく、そこから先へ斬り進めることが出来ない。


「だったら、これでどうだ!」


 灯夜は魔術紋まじゅつもんを発動、左手を銀狼の右腕にかざし、頭の中でイメージを作り出す。


 もっと強く! 

 もっと鋭く!

 もっと重く!


 威力を上げるために必要なあらゆるイメージに魔術紋が応え、激しく発光。銀狼の右腕に、可能な限りの能力強化を付与した。


「いける!」


 銀狼の右腕から溢れ出す強大な力を感じ、灯夜はエネルギー球体を斬り裂けることを確信する。

 もしかしたら体の方が勢いに負けて千切れ跳ぶかもしれない。

 或いは肉体への魔術の酷使が原因で体に致命的な障害が発生し絶命するかもしれない。

 エネルギー球体を破壊出来た後でなら、それでも構わない。


「斬り裂けええええええええ!」


 まるで賢者の左腕に押し出されるかのように、銀狼の右腕はその鋭利な爪でエネルギー球体を斬り進めていく。エネルギー球体の抵抗は凄まじいが、それでも銀狼の爪は確実にエネルギー球体にダメージを与えていく。


「今度こそ、終わりだ!」 


 灯夜の気迫に呼応するようにして、銀狼の右腕はさらに勢いを増し、遂にエネルギー球体を端から端まで通過。レイスの悪意の象徴を真っ二つに切り裂いた。


「やったぜ……」


 エネルギー球体からの抵抗を失ったことで、灯夜の体は姿勢制御もままらぬまま空中に放り出された。幸運にも体が千切れ跳ぶことも、魔術の影響で肉体に致命的なエラーが生じることも無かったが、疲労はすでに限界を超え、もはや指一本動かす力も残っていない。

 直後、エネルギー球体は切り裂かれたことで不安定となり爆散。凄まじい爆炎と衝撃波が発生し、灯夜もそれに巻き込まれる。




久世くぜくん……」


 沙羅さらはショックのあまり声を失い、両手で口を覆った。灯夜の様子は仮設の対策本部からも視認出来ており、瑠璃子るりこ灰塚はいづかを始めとして全員がその瞬間を目撃していた。

 瑠璃子も泣き叫びたい衝動に駆られていたが、今はまだ泣いていい時では無いと自らを律し、次の状況に備えた。


 僅かなタイムラグの後、仮設の対策本部にも凄まじい衝撃と煙が襲い掛かる。


「きゃっ!」

「危ない沙羅ちゃん」


 勢いよく押し寄せた衝撃波に沙羅は咄嗟に目を伏せたが、その衝撃波は沙羅には届かなかった。沙羅が目を開けて状況を確認すると、周りにバリアのようなものが展開し身を守ってくれていた。その場にいた他の人達も同様で、全員がバリアによって守られている。

 一瞬のことで沙羅には分からなかっただろうが、衝撃波が仮設の対策本部へと襲い掛かる直前に、瑠璃子がその場にいた全員の周辺に魔術で障壁を張ったのだ。これにより衝撃による人的被害はゼロであった。

 地下の龍脈は元よりこの程度の衝撃ではビクともしないが、そちらの方も龍脈の真上を灰塚が守っていたため、被害は無かった。


「……もう大丈夫そうですね」

「ああ、衝撃は止んだようだ」


 安全を確認したことで、瑠璃子と灰塚は障壁を解いた。

 危険は無くなったが辺りには衝撃で巻き上げられた土煙が舞い、視界不良に陥っている。


「……瑠璃子先生……久世くんは」

「……」


 今にも泣きだしそうな表情げ駆け寄って来た沙羅を、瑠璃子は無言で抱きしめた。状況が落ち着いたことで瑠璃子も抑えていた感情が溢れ出し、大粒の涙を浮かべていた。


「みんなのこと守って……自分だけ犠牲になるなんて……久世くん、勝手ですよ」

「……本当にそうよね……私、灯夜くんにまだ……何も償えてないのに……」


 声に出すのがやっとの様子で、二人は涙を流し続ける。


「……おーい、お二人さん。勝手に殺さないでもらえるか」

「久世くんの声が聞こえるなんて……気のせいでも嬉しいな」

「……沙羅ちゃんにも聞こえたの? 沙羅ちゃんの言うとおり気のせいでも、もう一度灯夜くんの声が聞けて私も嬉しい」

「……だから、死んでないって」

「……会話が成り立つなんて、まるで本当に久世くんが生きているみたいですね」

「本当ね。聞こえるはずなんて、無いのに……」


 涙交じりながらも、二人の顔に僅かに笑顔が戻った。

 幻聴だろうと何だろうと、もう一度灯夜の声を聞けたことで、二人の心は少しだけ救われた。


「……けっこう体が辛いんだよ。誰か手を貸してくれ」


「……瑠璃子くん、詩月うたつきさん。そろそろ気づいてあげたらどうだい?」


 苦笑いを浮かべた灰塚が、二人の後ろに設営されているテントを指差す。二人が顔を揃えて振り返ると、テントの一部がたるみ、そこが不自然にもぞもぞと動いていた。


 もぞもぞがゆっくりとした動きでテントの端まで転がってくると、


「久世くん!」

「灯夜くん!」

「テントが無ければ死んでたかも」


 灯夜はテントから降りようと試みたが、足場の悪さと疲労によるふらつきが災いしてバランスを崩し、背中から落下してしまった。「がはっ!」っと、灯夜は短い悲鳴を上げる。


「……やべ、今の致命傷かも」


 そう言い残し、灯夜は安らかに目を閉じた。


「きゃあ、久世くーん!」

「どどど、どうしよう」


 今度こそ本当に天に召されてしまったのではと、女性陣は慌てふためく。沙羅はもちろんだが瑠璃子の慌てようは相当で、口をパクパクさせながら無意味にその場を行ったり来たりしている。


「起きてよ久世くん!」


 今ならまだ意識を呼び戻せるのではと思い、沙羅は右手で灯夜の頬に往復ビンタを繰り出した。


「いや、本当に死ぬわ!」


 沙羅の思いが見事に届き? 意識を取り戻した灯夜がキレ気味に反論した。


「灯夜ぐん……よがった、ぼんどうによがったよおぉ」


 何を言っているのか聞き取れないくらいに号泣し、瑠璃子は灯夜に思いっきり抱き付いた。張りつめていた糸が切れてしまったらしい。感情むき出しで灯夜を抱きしめ続ける。


「ちょっ、瑠璃ちゃん! 嬉しいけど、流石に痛い! てか、そこは駄目、骨にもダメージが! ああああああああ! 何かボキッって鳴った、ボキッって!」


 瑠璃子の強すぎる思いの表れに灯夜は悶絶している。白目を剥いてしまい、今度こそ三途の川に片足くらいは突っ込んでしまったかもしれない。


「わわわ! 瑠璃子先生。灯夜くん、泡吹いちゃってますよ!」

「きゃあ! ごめんなさい、灯夜くん!」


 ぐったりしてしまった灯夜を見て二人は再び取り乱す。瑠璃子は必死に呼びかけ、沙羅は再度ビンタを試みようとしている。


「やれやれ、救護班を呼ばないと」


 三人の様子を穏やかな表情で見つめつつ、灰塚は救護班への連絡を開始した。



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