第7話 その左腕は万能
「どうして
絶体絶命のピンチに現れた
「話しは後だ、どうやら相手さんは我慢の限界らしい――」
灯夜が言い終えるのも待たず、男は手にしたメイスを灯夜の頭部目掛けて力一杯振り下ろしてきた。
「そうカリカリするなよ」
涼しい顔をして灯夜はメイスの一撃をバックステップで回避。空振りしたメイスが風を切る音だけ静かに響く。
「貴様な何者だ?」
「俺? 俺はそこにいる
灯夜自身は真面目に答えたつもりのようだが、当然それは男の質問に対する回答としては不適切なものだ。
「どうやってここまでやってきた? 周囲は我らの魔術で隔離され、何者にも感知されるはずがない!」
苛立ちを募らせメイスの男の語気も強くなる。
「俺には効かないよ。この程度の魔術は」
「何だと?」
ローブの男達の使用した隔離魔術は、視覚、聴覚、嗅覚などの感覚系に作用し、術の効果範囲内の存在や事象を周囲に気付かせないようにすることが出来る。普通の人間はもちろん、並の魔術師でも直ぐには見破ることの出来ない代物である。
「答え合わせは、戦いながらでいいだろう?」
そう言うと、灯夜は着ていたスタジャンを脱いた。
「これ持っててくれよ。けっこう気に入ってるんだ」
一方的に言うと、灯夜は沙羅に向かってスタジャンを放り投げた。
「ちょ、ちょっと待っ!」
突然投げられたのでうまく受け止められず、沙羅は頭からスタジャンをかぶってしまった。
「……お気に入りなら、もっと大事に扱いなよ」
手元でスタジャンを畳みながら沙羅は口を尖らせる。
「貴様も魔術師か」
男はメイスを構え灯夜と睨み合う。
事態を重く見たのだろう。他の二人の男達も、灯夜を取り囲むように陣取る。
この瞬間には、男達の優先順位は灯夜を倒すことに切り替わっていた。
「行くぞ、同士達よ!」
メイスの男の言葉に他の二人は頷きそれぞれ武器を取り出した。一人は手斧を、もう一人はモーニングスターを構えている。
「久世くん、危ないよ」
沙羅がまず案じたのは灯夜の身の安全だった。助けに来てくれたことはとても嬉しく感涙ものだったが、得体の知れない三人の魔術師相手では灯夜の身が危険だ。
「まあ見てなって、俺の腕をさ」
余裕に満ちた灯夜の言葉には、二重の意味が込められていた。
「減らず口を! 融け落ちるがいい」
殺気のこもった声で宣告すると、男はメイスを先端を灯夜の方へと向け、周囲のマナを収束させ力を溜めていく。それに伴いメイスを赤い光が包み込む。
「エズ・ハラ!」
男が言い放った瞬間、メイスから強烈な火球が放たれ灯夜へと向かって行く。
術式自体は沙羅の携帯端末を破壊したものと同じだが今回は威力が違う。脅しではなく、確実に殺すために放たれた一撃だ。
「久世くん、避けて!」
魔術の心得の無い沙羅でも感じる程に火球の力は強大だった。あんなものをくらえば、灯夜もさっきの携帯端末の二の舞だ。
「さてと」
灯夜の取った行動は驚くべきものだった。回避する気などはなから無く、左手を盾に火球を受け止めようとしたのだ。
左手に直撃した瞬間、凄まじい衝撃で土煙が舞い上がった。夜間なこともあり、灯夜の姿が完全に視界から消え去る。
「久世くん!」
「くくく、我が魔術を受ければ、人の体など簡単に融け落ちる」
メイスの男につられ、他の二人も嘲笑を浮かべた。もう使う必要は無いと判断したのだろう。すでに武器の構えも解いている。
「おいおい、勝手に俺が死んだみたいな雰囲気にしないでもらえるか?」
まだ晴れぬ土煙の中から、不満気な灯夜の声が聞こえてきた。
「何!」
灯夜の死を確信していた男達は驚きながらも、いっせいに土煙の方へと武器を構えた。
「久世くん、無事なんだね!」
灯夜の健在を知り、沙羅はホッと息をなで下ろす。
それとほぼ同時に土煙も晴れ、灯夜の姿が現れる。
「ちょっと熱かったけど大したことはない。せいぜい焼きたてのトーストくらいのもんかな」
「久世くん、その腕……」
先程までは何も無かった灯夜の左腕全体に、タトゥーのようなシンメトリの赤い紋様が浮かび上がっていた。見たことの無い紋様だったが、繊細なそのデザインは芸術性を感じさせた。
変わったのは紋様が浮かんだことだけでない。体の他の部分に比べて左腕だけが色白で、まるで左腕だけが別人のものになったようにも見える。
「……その腕に刻まれているのは、
メイスの男は動揺を隠しきれていない。すでに先程までの余裕は消え去っている。
「流石は魔術師か。そう、これは魔術紋だ」
「まさか、こんなところで魔術紋を見ることになるとはな」
魔術紋とは、魔術の術式を紋様として直接体に刻み込むことを言う。それにより魔術師は、手足を動かすかのように自在に魔術紋から魔術を放つことが出来るようになる。
ただし、魔術師の世界において魔術紋はあまり一般的では無い。並の魔術師が魔術を刻んだところで、大した威力は望めないからだ。
魔術紋により発せられた魔術の威力は、通常の手順で発動させた魔術に比べて明らかに劣る。
通常の魔術は術式を頭の中に思い描いた状態でトリガーと呼ばれる呪文(例えば、メイスの男の炎熱魔術の場合は「エズ・ハラ」となる)を唱え、周囲のマナを消費することにより発動する。この場合、威力は本人の技量に加え、消費したマナの量に影響される。
魔術紋の場合は、紋様そのものが術式やトリガーであるため、意識するだけで発動(例えば、燃えろと意識すれば炎熱魔術、水を思い描けば水系の魔術)させることが可能だが、その威力は周囲のマナよりも、自身の体に宿る貯蔵マナ量に依存する傾向にある。
長年マナが地上から消失し魔術が衰退していた影響もあり、ほとんどの魔術師の貯蔵マナ量は一般人と大差ないレベルであるとされる。そのため、魔術紋には大した威力は望めないのだ。
一部の熟練の魔術師はマナ貯蔵量も膨大であり、通常の魔術と遜色ないレベルの攻撃力を魔術紋により発揮出来るとされるが、そもそも熟練の魔術師など、今の世界には数える程しかいない。
「……私の魔術を相殺できる程の魔術紋を持つとは、貴様は何者だ?」
「俺自身は普通の人間なんだけど、この腕は貰い物でね」
「久世くんの腕が、貰い物?」
確かに灯夜の左腕がまるで別人のようだとは沙羅も感じていたが、まさかそれが事実とまでは思っていなかった。
「この左腕は、白衣の賢者の者だ」
「本気で言っているのか?」
滑稽だと言わんばかりに、男達は微かに笑った。
「普通は信じないよな。実在するかも分からない、伝説の存在なんだから」
白衣の賢者の存在が語られ始めたのは今から凡そ60年前。まだ、マナが地上から消失していた時代の話だ。
マナの消失により魔術の発動すらも困難を極めていた時代においても強力な魔術を操ったとされ、世界各地に様々な伝説を残している。
しかし不思議なことにどの伝説にも名前に関する記述は無く、白いローブと白髪という外見的特徴だけが全ての伝説に共通している。それによってついた通り名が『白衣の賢者』である。
魔術師ならば存在を知らぬ者はいない大物でありながらも、近年は一切の動向が不明であり、死亡説、あるいは始めからそんな魔術師は存在していなかったのだと、存在そのものを否定する考えまである。
灯夜はそんな伝説の存在の腕を貰ったと言っているのだ。魔術に携わるものがそれを訝しむのは当然の反応であった。
「まあ、この際腕の話はどうでもいいだろ。俺たちは敵同士なんだし」
「……そうだな。我々の計画を邪魔する者は排除するだけだ」
問答が終了し、灯夜とローブの男たちは再び臨戦態勢に入る。
「同士達よ。今度は全員で同時に放つ。いかに強力な魔術紋を有していようとも防げるはずはない」
男は再びメイスを正面に構え、他の二人もそれぞれの得物を構える。
男達の武器が赤い光に包まれ、攻撃の準備が完了する。
「エズ・ハラ!」
「エズ・ハラ!」
「エズ・ハラ!」
一糸乱れぬタイミングで全員がトリガーを唱え、三つの武器からいっせいに火球が発せられた。
「無駄だよ」
灯夜が言った瞬間、魔術紋が青白く発光し、灯夜の全身を包み込むように光の障壁のようなものが発生した。
障壁に衝突した瞬間、火球は音も無く消滅した。
「そんなことがあるはずがない!」
ローブの男たちは驚きの声を上げる。魔術師の常識では有り得ないことが目の前で起こった。
マナの豊富なこの
「そろそろ、こっちからも行かせてもらうぜ」
灯夜は左手でピストルの形を作り、手斧を持った男とモーニングスターを持った男の方へと向けた。
「名付けてスタンガン」
悪戯っ子のように笑うと灯夜の魔術紋が再び発光。指先から電流が発せられ、手斧の男とモーニングスターの男へと向けて走った。
スタンガンなどというトリガーは存在しないし、魔術紋の性質上、声を発する必要も無い。単なるかっこつけだ。
「回避しろ!」
メイスの男が叫ぶが、時すでに遅し。
「ぬあっ――」
「があ――」
電流を浴び短い悲鳴を上げると、二人の男はその場に倒れ込んだ。
「安心しろよ。死にはしないから」
意識を失い聞こえてなどいないだろうが、灯夜が倒れる二人の男に向けてそう言った。
威力を調節することで、相手を殺さずに制することの出来るこの電撃魔術は、灯夜にとっては使用頻度の高い魔術だ。
「障壁だけではなく、攻撃魔術もこれだけの威力を持っているのか。まさか本当に白衣の賢者の……」
恐ろしいものを見るような目でメイスの男は後ずさる。恐怖で手からも力が抜け、得物であるメイスも手放してしまった。
「始めからそうだと言ってるだろ」
静かな迫力を放ちながら、灯夜はメイスの男へと迫る。
「ち、近づくな!」
おそらくこの時メイスの男の目には、灯夜の姿が怪物か悪魔のように映っていたことだろう。その威嚇はまるで悲鳴のようだ。
「言うのは二度目だけど、死にはしないから安心しろ」
男の目の前までやってくると、灯夜は男の肩に左手を添え、再び電流をイメージした。
「がああああああ――」
鋭い電流が全身を走り、メイスの男は地面に伏した。
「とりあえずはこれで安全だな」
男達もしばらくは目を覚まさないはずなので、この場の安全は確保したと判断してもいいだろう。
「久世くん」
状況は落ち着いたと判断し沙羅は灯夜に駆け寄った。手には預かっていたスタジャンを持っている。
「おっ、ありがとな」
飄々とした様子で、灯夜はスタジャンを受け取った。
「左腕も、もういいな」
灯夜の意志を受けて左腕が一瞬青白い光に包まれる。光が止むと、魔術紋の刻まれていない、普段通りの灯夜の腕が姿を現す。
左手を軽く握って感覚を確かめると、そのまま何事も無かったかのように灯夜はスタジャンの袖に腕を通した。
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