第6話 沙羅を狙う影
「……こっちでいいんだよね?」
午後八時を少し過ぎた夜道で、
母親に着替えを届けるために、〈NEXT〉の
自宅マンションからバスに乗って来たところまでは良かったのだが、引っ越してきたばかり地理に不慣れだったのが災いして、降りるバス停を一本間違えてしまった。そのまま迷子状態に陥り現在に至る。
ちなみに家で一度着替えていたため、今は制服ではなく、白いパーカーにデニム地のショートパンツというアクティブな服装だ。
「少し道を外れちゃったけど、そんなに遠くはないみたいね」
ようやく自分の現在地と〈NEXT〉への道順を検索することが出来た。
現在いるのは研究区画から少し離れた、倉庫などが立ち並ぶ一角だ。検索結果によるとここから〈NEXT〉の研究所までは徒歩で十分程らしい。
「暗いし、早く行こう」
沙羅は早歩きで歩き始めた。まだそんなに遅い時間帯ではないが、この辺りは外灯が少ないらしく暗がりが多い。周辺には明かりの点いた建物もあるのでそこまでの危険性は感じないが、人通りも無いので、若い女性が歩くにはあまり適さない場所に思えた。
沙羅が早歩きで五分程歩くと、研究機関の区画へと繋がる道が見えてきた。この道に入って真っ直ぐ進めば、間もなく〈NEXT〉の建物が見えてくるはずだ。
もうすぐ到着する旨を母親に伝えるべく沙羅はメールを作成し始めるが、
「
「えっ?」
沙羅の行く手を阻む形で二人の黒いローブの男が立ち塞がった。
先程までは間違いなく人などいなかった。沙羅が携帯端末に意識を向けたほんの数秒の間に男達は姿を現したのだ。
男たちは無言で近づいてくる。フードを目深にかぶった姿と色白な肌が、まるで死神が近づいてきているかのような恐怖感を与える。
「な、何なんですか? あなた達は!」
後ずさりながらも沙羅は気丈に言ってのけた。厳しいアイドル業界に身を置いていたのだ。人並み以上の度胸は持ち合わせているつもりだ。
「貴女に恨みは無いが、我らの崇高なる目的のために、身柄を預からせてもらう」
「……何者なの?」
男たちが何者なのか、沙羅にはまったく心当たりが無かったがmその口振りから、自分を連れ去る意志があることだけは明白だった。狙う理由は何であれ、男二人に狙われている状況は危険だ。
――逃げなきゃ!
沙羅は全速力で反対方向へと駆け出した。人通りの無い場所ではあるが、途中には明かりの点いている建物も点在していたし、いざとなればそこに逃げ込めばいい。
「誰か、助けてください!」
走りながら沙羅は叫ぶ。まだ距離は離れているが、いずれ男たちに追いつかれるかもしれない。途中で誰かが声に気付いてくれれば、その時点で助けてもらえる。
「無駄だ」
「嘘……」
沙羅は絶句した。進行方向にもローブ姿の別の男が一人待ち構えていたのだ。
周囲には逃げ込める脇道やスペースは無く、完全に挟み撃ちにされてしまった。
「お願いですから、誰か助けてください!」
逃げ切ることを諦め、沙羅はその場で精いっぱい叫ぶ。辺りは静寂に包まれているので、これだけの大声で叫べば誰かしらに聞こえていてもいいはずだ。
「無駄だ。この一帯は我々の魔術で隔離されている。どんなに叫ぼうとも、その声は誰にも届かない」
後ろから追いついた男の一人は笑っていた。獲物を追い詰めたことを確信しているようだ。
「そんな……」
絶望的な状況だった。どんなに叫んでも、周りに伝わらないなんて。
魔術でそれを行ったということは相手は魔術師ということになる。相手は三人でしかも魔術師。一般人である沙羅にはどうすることも出来ない。
「そうだ、電話で助けを」
沙羅は携帯端末を手に取る。警察でも消防でも母親でも、誰でもいいからとにかく今の状況を伝えなくては。
だが、それを許すほど相手も甘くはない。
「無駄だ」
沙羅の正面に立つ男が、腰に携帯していた装飾の施された金属製のメイスを取り出し沙羅の方へと向けた。
次の瞬間、
「エズ・ハラ」
男が唱えると同時にメイスが赤く発光し、そこから火球のような物が発せられた。
「きゃっ!」
火球は沙羅の手にしていた携帯端末をピンポイントで打ち抜き、弾き飛ばした。
地面に落ちた携帯端末は白い煙を上げ、まるで強烈な熱を加えられたかのように一部が融け落ちていた。
「怖い……」
無残な姿となった携帯端末を見て沙羅は言葉を失う。これまでの人生で魔術で攻撃された経験など無く、沙羅はかつてない恐怖を感じていた。
「諦めろ」
三人の男たちが徐々に距離を詰めてくる。もう逃げ道など無い。
「どうして、こんな……」
弱弱しく問うと、沙羅はその場に膝から崩れ落ちる。恐怖と緊張感によって、立っていることすらままならなくなってしまった。
せっかく新しい街に引っ越してきたのに、新しい友達も出来たのに、まだまだやりたいことがいっぱいあるのに。
そんな思いが頭を過る。
「おい、大丈夫か?」
「……いないはずの
恐怖のあまり、幻聴まで聞こえるようになってしまったようだ。
「お~い、詩月皿」
沙羅は思わず苦笑する。まさか幻聴の中でまで皿と呼ばれるなんて思ってもみなかった。今となっては、そんな幻聴が楽しくさえ思えてきた。
「聞こえてるか?」
「……聞こえてるよ」
幻聴に返事をしたところでどうにもならないと分かっているが、それでも、この絶望的な状況において、この幻聴は唯一の救いだった。
「幻聴でも、何だか嬉しいな」
「幻聴? さっきから何を言っているんだ。俺はここにいるぞ」
「えっ?」
ずっと俯いていた沙羅が、その言葉を受けて顔を上げた。
「久世くん!」
沙羅の正面。メイスの男の後ろに灯夜が立っていた。
幻などではない、先程まで一緒に街を見て回っていた久世灯夜その人が確かにそこに存在していた。
「助けに来たぜ」
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