第2話 転校生
「心の準備はいいかな?」
「いつでも大丈夫です」
2年A組の担任である
沙羅はこれから初めてこの教室に入ることとなる。つまりは転校生だ。
母親の仕事の都合で東京からこの
「良い返事だ。頼もしいね」
転校初日というのは多かれ少なかれ不安や緊張を感じるものだが、沙羅はそれらを感じさせずとても堂々している。その姿に藍原は大いに感心していた。
「しかし騒がしいな。転校生が来て浮かれるのは分かるんだけど」
教室から聞こえてくる生徒達の賑やかな話し声に藍原は苦笑する。気持ちは分からなくもないが、教師としては騒がしい状況を肯定することは出来ない。
「私は楽しみです。これからこのクラスの仲間になれると思うと」
「そう言ってもらえると助かるよ」
安堵の息を漏らすと、藍原は教室の扉に手をかけた。
「僕が最初に入るから、呼んだら詩月さんも入って来て」
「分かりました」
沙羅の頷きを確認すると、藍原は一足先に教室の中へ入って行った。
「みんな静まれ。お待ちかねの転校生を紹介するぞ」
教卓前に立った藍原の一言で教室内に静寂が訪れ、生徒達の視線は自然と教室の入り口の方へと集中する。
「詩月さん、入って」
藍原の合図で沙羅はゆっくりと教室の中へと入って来た。普通なら緊張で俯いたりそわそわしたりしそうなものだが、やはり沙羅はこの時も堂々としており、しっかりと顔を上げて藍原の隣までやってきた。
「今日からこのクラスの仲間になる、詩月沙羅さんだ」
「みなさん、初めまして。東京からやってきました、詩月沙羅です。今日からよろしくお願いします」
透き通るような声で自己紹介をすると、沙羅はクラスメイト達に深く一礼した。
それと同時にクラスメイト達から大きな歓迎の拍手が巻き起こり、興奮冷めやらぬまま今度は歓声が飛び交う。
「めちゃくちゃ可愛い」
「お肌、凄く綺麗」
「彼氏とかいるのかな……」
そんな言葉が、男女を問わずに複数の生徒から発せられた。
事実、沙羅の外見はかなりのハイスペックだ。栗色のふんわりとしたセミロングの髪に優しい印象を与える大きな瞳、身長は女子の平均よりはやや高めでスタイルも申し分ない。こんな娘がクラスにやってきたら、気にならない生徒はいないだろう。
「落ち着きなさいみんな。詩月さんが困ってしまうだろう」
沙羅を気づかい藍原が生徒達をなだめたが、沙羅自身はそれ程気にはしていないようで、温和な表情を浮かべている。
「何だか顔に見覚えがあるような気がするんだけど、もしかして詩月さんって、芸能人だったりとかする?」
「えっ?」
眼鏡を掛けた男子生徒が興味深そうに言い、これまで笑顔を崩さなかった沙羅の表情が一瞬曇った。転校初日にそんなことを言われればお世辞や口説き文句だと受け取るのが普通だが、沙羅の場合は違った。
「確かに芸能人でもおかしくはない可愛さだよね。東京でスカウトされたこととかもあるんじゃない?」
眼鏡の男子生徒に便乗して、今度はミーハーな雰囲気のショートヘアーの女子生徒が聞いてきた。純粋な興味で聞いているようだ。
「こらこら、勝手に話を進めない」
話の流れを断ち切り、再び騒がしくなってきた生徒達を藍原が制する。それを受け入れ生徒達も静かになった。
「すまないね」
「いえ、歓迎されているようで嬉しいです」
申し訳なさそうにする藍原に、沙羅は笑顔で応えた。
「それじゃあ、すでに何個が出てしまったけど、今から正式な質問タイムということにしようか。いいかな? 詩月さん」
「はい、何でも聞いてください。ただし、体重とか、女の子の秘密に触れるような質問は駄目ですよ」
ジョークを交えた沙羅の言葉に笑いが起こり、和やかな雰囲気が流れる。
「それじゃあ質問のある人は挙手。名前を憶えてもらうために、簡単な自己紹介もつけること」
複数の生徒が挙手した。みな質問がしたくてうずうずしている。
「じゃあ、まずは
「よし、来たぜ!」
一番積極的に手を上げていた男子生徒が指名された。織姫と呼ばれた少し軟派な雰囲気の男子は、嬉しそうにガッツポーズを取っている。
「
楽人は躊躇なく質問した。その質問内容に男子からは「よくぞ聞いた」などの称賛の声がチラホラと聞こえ、反対に女子からは「いきなり無神経にそんなこと聞く?」などと呆れ気味な声が飛ぶ。
「いないよ。実は今まで彼氏がいたことがないの」
直球な質問にも動じず、沙羅は笑顔で答えた。
それを聞いたクラスの男子生徒達からは感激の声が漏れる。
「じゃあ、俺が立候補してもいいですか!」
楽人は机から身を乗り出し猛アピールした。どこまで本気かは分からないが、テンションだけは非常に高い。
「まだこの街に来たばっかりだし、しばらくはそういうのはなしかな。ごめんね、織姫くん」
両手を合わせてのウインクという、なんとも可愛らしい仕草で沙羅は丁寧に断りを入れた。
「わーお、速攻で振られたぜ俺! でも可愛い仕草が見れたから満足」
対してショックを受けた様子は無く、オーバーなリアクションで楽人はおどけた。その瞬間にクラスは笑いに包まれ沙羅もそれにつられる。
「やーい、また振られてやんの」
「あんたも懲りないわね」
「相変わらずだな、楽人は」
「うるせーやい」
笑いながら弄ってくるクラスメイト達に楽人も半笑いで返す。転校してきたばかりの沙羅はまだ知らないが、楽人が可愛い子に積極的に告白をするのは名物のようなもので、一連のやり取りもある種のお約束であった。
「そろそろ次の質問者に移るぞ。それと織姫、早く座りなさい」
「あっ、はい、すいません」
テンションが上がり立ちっぱなしだった楽人を、藍原が冷静に着席させる。
「じゃあ次は、
「はい」
千樹と呼ばれた女子生徒が静かに立ち上がる。美しい黒髪のロングヘアーと右目下の泣き黒子が印象的で、どことなく和を感じさせる少女だ。
「
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
タイプの違う二人の美少女がまずは挨拶を交わす。
「それでは質問しますが。東京から引っ越してこられて、この街、真名仮市に対してどういった印象を持ちましたか」
「街の印象?」
予想外の質問に沙羅はちょっとだけ戸惑う。転校生への質問コーナーなのだから、学生らしいもっと砕けた質問がやってくるかと思っていた。
「おいおい、転校生への質問がそれかよ」
先程質問をしていた楽人が苦笑する。彼の言う通り、質問としては少々面白みに欠ける。
「まだ引っ越してきて一週間くらいだけど、凄く空気が綺麗で、爽やかな街だなと思ったよ。もし良かったら今度、街の中を案内してよ」
戸惑ったのは最初だけで、沙羅は素直な自分の気持ちを伝えた。
決してお世辞で言っているわけではない。新天地の空気を肌で感じ、沙羅は真名仮市を気に入りつつあった。
「ええ、喜んで案内させてもらうわ。この街は私の庭みたいなものだから」
「庭?」
「実はこいつ、市長さんの娘なんだよ。この街のことは何でも知ってるし、市長の娘だからこそ、転入してきた沙羅ちゃんの目に、この街がどう映ったのかが気になったんじゃないかな」
楽人が丁寧に補足。舞花もそれを肯定し頷いている。
「そういうことだったんだ」
舞花が市長の娘だという事実に驚きながらも、沙羅は質問の意味に納得した。同時に軟派な印象だった楽人が、実は気配り上手な常識人なのだということも徐々に分かってきた。
「時間の都合もあるし次の質問で最後かな。ぞれじゃあ、
舞花の質問が終わり、藍原は最後の質問者を指名した。
「改めまして、
知的な黒縁眼鏡が印象的な弓原が丁寧に名乗る。改めましてというのは、最初に沙羅の顔に見覚えがある気がする、と言っていた生徒が弓原だからだ。
「よろしく、弓原くん」
表情こそ明るい笑顔だが、沙羅の心中は穏やかではなかった。さっきの口振りからして、弓原は自分の正体に気付きそうな節があったからだ。
「それじゃあ質問するけど、詩月さんってやっぱり芸能人だったよね? ようやく思い出したよ。アイドルグループ『
「えっと……それは」
ここにきて、沙羅はとうとう口籠ってしまった。
弓原の言葉が全て事実だからだ。
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