第3話

 己の掌を見てから気を失った老人とも呼べる女性を、そして己が掴んだその腕に広がった毒に犯されたような赤黒い痕を、何が起こったのかわからず呆然と見つめる。


「どなたでも構いません、そこにあるエロアの葉を根元から採ってください!」


 私に制止をかけたエルフの女性が、何かの術を彼女の腕にかけながら焦ったように声を飛ばすと、近くにいたサイラング侯爵家の執事が我に返って動く。大人の男性の腕すらもすっぽりと包み込めるほどに大きなエロアの葉は、葉の内側にある半透明の葉肉と液体が簡単な傷を癒すだけでなく、火傷などを冷やす効果もある薬草だと聞いたことがあった。


「ああ、アイリス……!」

「侯爵夫人、今は膜がありません、素手で触ってはいけません!」

「ナナイ様、この大きさで大丈夫でしょうか?」

「大丈夫です。それをアイリス様の腕の長さに切り、葉肉を両腕に巻けるよう縦半分に切ってください」


 てきぱきと指示を出すエルフの女性に、侯爵夫人も執事も頷いて彼女の治療を邪魔しない。


「……何をしに来た、ユリウス」


 冷ややかな声のしたほうに顔を向ければ、私の腕をあの老婦人から引き剥がし、私と同年の学友で親友のサイラング侯爵家の嫡男であるセガルが、声と同じように冷ややかな目に怒りを乗せながら私を見ていた。


「アイリス嬢に、会いに……」

「アイリスは死んだと言ったはずだ。そして、職場や僕以外のサイラング家の家人に関わるな、ともな」

「だが……!」


 なおも言い募ろうとする私に、セガルは「ちょっとこっちに来い」と言って歩き始めた。それについて行きながらしばらくすると足を止め、私に向き合うことなく、治療されている老婦人と手袋を嵌めて涙を流しながら彼女の頭を撫でる侯爵夫人の光景を見つめる。

 どうして手袋をするのか、どうして子供にするように頭を撫でるのかわからず、それに違和感を感じつつもセガルと同じように視線の先を見つめる。


「ユリウス、アイリスとの仮の婚約を破棄する時に言ったことをもう一度言う。『竜人としてのアイリスは死んだ。お前と番うことは二度とない、諦めろ』」

「なぜですか! アイリス嬢はどこかにいるのでしょう? だから毎年、サイラング家は彼女に会いに行くのでしょう? 彼女は私が唯一と決めた番なんです! 彼女に逢いたい、婚姻したいと願うことはいけないことなんですか?!」

「違う……違うんだよ、ユリウス……お前のために皆で話し合い、そう言ったんだよ……」


 そう言ったセガルの声は、先ほどとは違って哀しみが溢れていた。そのことに訝しげにセガルを見れば、彼は哀しみを耐えるように目を瞑る。


「……お前がアイリスじゃないと否定したあの老婦人はアイリスなんだよ……正真正銘、僕の妹のアイリスなんだ」

「なっ……」


 セガルの言葉に衝撃を受ける。あの老婦人がアイリス嬢だということに。


「そんな、はずは……アイリス嬢は、まだ若いはずです!」

「言っただろう? 『アイリスは死んだ』と。その意味をお前ならわかるはずだ、ユリウス」

「……っ!」


 そうセガルに言われて息を呑む。竜人として死んだ――それは、竜の力を失った、竜の力と魔力を持たないヒトやヒト族だと言われたことに思い至って。


「我々竜人は数千年を生きる……途中で自身の年齢を忘れるほどに、ゆっくりと年を重ねながら生きてゆく。だがヒト族は違う。年を重ねれば重ねたぶんだけ年老いてゆく。そして竜の力も魔力すらも持たないヒト族にとって、我ら竜の力は毒にしかならないんだ」

「……では、彼女、は……」

「そうだよ……竜の力も、魔力すらも持たないヒト族になったアイリスだ。……あれから何年……何十年たったと思うんだ?」


 ヒト族が年老いてゆくのは当たり前だろう? ……暗にそう告げたセガルに黙るしかない。そして思い出す。真っ直ぐに私を見上げていたその目は、アイリス嬢と同じ黒い瞳ではあったが、瞳孔はヒトと同じ丸い瞳孔だったことを。

 本来竜人は、一人ないし二人しか子供が生まれない。我が家も私しかいない。サイラング家のように稀に三人以上生む家もあるが、それは本当に一握りだ。

 だからこそ、その家格にあわない能力の低い者が生まれたとしても愛情深く接し、ヒトのように蔑むことも切り捨てることもしないのだ。但し、『王家』という例外はあるが。


 そこに、治療を終えたのかエルフの女性が私たちに近づいて来た。手に何か持っているが、何かはわからない。


「セガル様、今大丈夫ですか?」

「ああ。ナナイ殿、先ほどは助かった……ありがとう。アイリスに何かあったのか? まさか……」

「いえ、怪我の治療自体はエロアがありましたのでなんとかなりました。ヒトとしての寿命は私でもどうにもなりませんが……。ただ、これを見ていただきたくて」


 そう言って差し出された掌の上には、アイリス嬢の血らしきものを吸った赤い布が乗っていた。それをセガルではなく私に差し出されたので首を傾げる。


「ユリウス様、申し訳ありませんが、この布をお手に取っていただけないでしょうか」

「構いませんが……」


 彼女のお願いに私もセガルも首を傾げるものの、素直にそれを掴んで掌の上に乗せれば、赤く染まった部分から何やら怪しげな模様が浮かび上がって驚く。


「これは……」

「ああ……やはり……」


 同じように驚いたセガルとは対照的に、彼女は厳しい顔つきをした。


「ナナイ殿、これは?」

「端的に言えば呪いの方陣……呪方陣です。しかも、かけられた人物の力を奪い、かけた人物にその力が行く類いの」

「それは……」

「アイリスは誰かに呪いをかけられていたと言うのか……?!」

「ええ……それもユリウス様に関わる人物かと」


 そう言われてセガルも私も眉間に皺が寄る。


「どういう意味でしょうか?」

「サイラング家の皆様は、アイリス様が竜人でいらした時から接触されています。ですが、一度もこの呪方陣は出ていません」


 そうですよね、と問う彼女に、セガルは頷く。


「ですが先ほどユリウス様がアイリス様に触れた時、これが浮かび上がったのです。ユリウス様がすぐに手を離されたので呪方陣もすぐに消えました。目の錯覚ではないかと確かめてみたのですが……」

「この通り、錯覚ではなかった、ということだな」

「はい。ただ、わからないのは、なぜユリウス様の力に反応するのかということと、なぜヒト族になったアイリス様に未だに呪方陣が残っているのかということ、いつからアイリス様が呪いをかけられていたのかということ、アイリス様の力は誰に奪われているのかということなのですが……」


 考えながら話す彼女に、どこかで呪方陣と同じ模様を見た気がしてじっくりと見てみるが、どこで見たのか思い出せない。


「……セガル様、アイリス様の力は幼少より弱いと仰っていましたよね。それはいくつくらいの時からかわかりますか?」

「うーん……女性だったこともあり、生まれた時は僕達よりは劣るものの、侯爵家の人間としては普通だった気がする。そうだな……七つの時、熱を出してからじゃなかったか? ナナイ殿が初めてアイリスを診た時以降に力が小さくなったような……」

「いえ、五つの時ですね。私がアイリス嬢に初めて会い、婚約を結んだ一週間後に熱を出していますから。その時にお見舞いにと、花とお菓子を贈っています」

「ユリウスと?」

「ええ。覚えていませんか? 母が催した私的な茶会で、侯爵夫人がアイリス嬢とセガルを連れて来たではありませんか」

「あ……! 降竜祭期間中に催されたヤツか!」

「ええ」


 当時を思い出してセガルに伝える。竜人の貴族で番持ちの女性は、降竜祭の期間中に番がまだ見つかっていない男性や女性を呼んで茶会を開くことがある。謂わばお見合いの席だ。その席で番を見つけることもあれば、この国の各地を飛び回って番を見つけることもある。


 あの日のことは、昨日のことのように覚えている。我が家に侯爵夫人が連れて来たのはセガルとアイリス嬢だった。

 セガルは私と同じお見合いの出席者として、アイリス嬢は私の母が「会いたいわ」と言ったお願いに従って連れて来ていた。母と侯爵夫人は友人同士でもあったから、私的な茶会ではよくアイリス嬢を連れて来ていたらしい。

 特に我が家系は女性がうまれにくい家系だから余計だった。

 そしてその茶会で初めてアイリス嬢と会った時から、彼女は私の番になる女性ひとなのだとわかった。それは、竜人に備わっている本能とも呼べるものだ。

 そしてその茶会の席でセガルは母の実家である侯爵家の娘――母からすれば姪――を番として婚姻し、私もアイリス嬢が番だとわかり、両家と話し合って茶会の二日後には、彼女が成人したその一ヶ月後に婚姻するという婚約が成立していた。

 相手である番がそんなに若く早い段階で見つかることは稀だったことから、当時の社交界で話題にもなったものだ。……私自身、友人たちによくからかわれたものだが。


「その出席者を覚えていませんか?」

「さすがにそれは覚えていませんが……」

「あの……アイリス様とユリウス様は婚約されていたんですよね? エスコートされている時に呪方陣が浮かんだことは?」

「私もアイリス嬢も必ず手袋をしていましたし、アイリス嬢がまだ成人前ということで、その……口付けすらしていませんし……」

「……額や頬すらも、か?」

「おや。番故に歯止めが利かなくなっては困ると禁止したのはセガルと侯爵殿でしたが、忘れたのですか?」

「あー……」


 禁止したことを思い出したのか、セガルは目を泳がせている。

 男性の竜人は、番と定めた者に対して愛情深いせいか容赦がない。特に、唇に口付けをしてしまえば歯止めが利かなくなり、自身が満足するまで愛で、容赦なく抱いてしまう傾向にある。

 相手が成人した者ならまだしも、いくら竜人といえど、番だとわかっていても、成人前の女性に不埒なことをするのはこの国に限らずどこの国でも犯罪になるのだ。だからこそ、婚約することはあっても成人前に婚姻することはまずない。


「もし、最初に熱を出したのが呪いの始まりだと仮定するのならば、その茶会の出席者が怪しいんですが……あら? この呪方陣のこの模様……どこかで……」


 何かを考えながら私の掌に浮かぶ呪方陣を見ていたエルフの女性は、何かに気付いたのか一ヶ所をじっと見つめる。


「どこでしょう?」

「この中心の部分です。あとは……右下はアイリス様のお名前、でしょうか。他にも女性のお名前らしきものがありますね」


 そう言われて指差された場所を見る。自分がわかるようにしてその部分を見れば、そこには忌々しい人物が使っている模様――紋章が見えた。そして思い出したのだ……エルフの女性が語った時期に、急に力を増した人物がこの紋章の持ち主であったことを。そして、この紋章を使う人物が茶会に来ていたことを。

 私の表情が険しくなったのがわかったのか、或いはセガルも該当人物に思い当たったのか、セガル自身も険しい表情をしながら「殺るか……」と物騒なことを言っている。


「ユリウス様、セガル様、思い当たることがおありなのですか?」

「ええ」

「……ならば、この呪いは解ける……いえ、かけた人物に還すことができるかも知れません」


 そう言った彼女に、私もセガルも勢いよく顔を上げて彼女の顔を見るのだった。



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