第2話
私は、この国の竜人の貴族で筆頭侯爵家であるサイラング侯爵家の三番目の子であり、長女でした。筆頭だけあって竜の力は強く、政も中枢を担う家格と家系であり、何代かに一度の割合で王家の方に番として認識され、嫁いだことがあると聞いています。
そんな中にあった私ですが、家族どころか一族の誰よりも竜としての力と魔力が弱かったのです。下手をすると平民並みに。
そんな私でしたが、家族も一族の者も誰一人私を蔑んだり見下したりすることなく愛してくださいましたし、降竜祭に参加できる年齢前でしたし番を見つける前にも拘わらず、母と一緒に行ったお茶会先で既に成人していた方に番の認定をされて、仮にではありましたが婚約者もいました。
三十歳歳上――竜人としてはごく普通の年齢差です。両親は五十歳差でした――の婚約者は王宮で宰相のお仕事をされていたためかとても忙しい方であまり会えませんでしたが、夜会やお茶会に行く時は必ずエスコートしてくださいましたし、一緒に買い物をしたこともあります。
ただ、正式な婚約者となり婚姻するためには私が成人するまで待たなければならず、正式な婚約者として御披露目する、成人となる私の十八の誕生日まであと七日というところで高熱を出して倒れたのです。
主治医のナナイ様がさまざまな解熱の薬を処方してくださいましたが熱はなかなか下がらず、やっと下がった時には誕生日の前日でした。ですが、その時にはもう私の身体は竜人ではなく、魔力と竜の力すらも失ったただの人間――ヒト族になっていたのです。
それを聞いた私は泣きました。そして、家族や一族の者も。なぜならば、竜の力を無くせば普通のヒト族と同じように年老いて親よりも先立つうえに、魔力はともかく竜の力はヒト族にとって毒にしかならないからなのです。
子爵や男爵以下の弱い力ならまだ大丈夫だったのです。けれど、侯爵以上の強すぎる竜の力はヒトにとっては毒であり、布越しかヒトに術を施してからでないとその方の素肌に触ることができないのです。それを知らずに素肌に触ると、強すぎる力がヒトの素肌を傷つけることになります。
ナナイ様のお話によると、過去にそういった病を発症した事例があるにはあるらしいのですが、どうして竜の力と魔力が全く無くなるのか原因がわからず、原因がわからない以上その特効薬を作ることもできないのだそうです。
その毒となる竜の力故に、ヒトは竜人と婚姻することができない、素肌に触れられないのだと……やっと目覚めた私に素手で触れた母により、この時初めて家族も私も実感し、思い知ったのです。
まだ何も知らなかった私たちは、「よかった」と泣いて母が私の手を握った途端ジュッと肉が焼けるような音と臭いがして、私の手を焦がしました。母と二人でなにが起きたのかわからず混乱し、近くにいたナナイ様が私の身体中を調べて初めて、私がヒトになってしまったのだとわかったのです。
親から譲り受けた、竜の力を一番宿している栗色の髪はその色素が抜け落ちて真っ白になり、瞳孔は縦に割れているのではなくヒトと同じように真ん中が丸くなっておりました。
エルフの魔法と薬で手の治療を施してくださったナナイ様が私に竜の力を遮る魔術を施し、やっと家族が私に直接触れることができたくらいでした。
両親や一番上の兄と話し合い、仮の婚約者であった方には私が死んだことにしていただきました。竜人とヒトは番になれない……婚姻できないのですから。
私は一目見て「この方は自分の番なのだ」とわかりましたし、そして彼を大好きになりました。お慕いし、愛しておりました。
とても忙しい方でしたからたくさんは会えませんでしたが、話していくうちにもっともっと好きになりました。正式な婚約者になって、婚姻して……何千年と生きる竜人として彼に寄り添い、いろいろなことを一緒に育んでいく約束もしてくださったのに、それすらもできなくなってしまったのです。
そんな状態でしたから、私の成人の御披露目も、彼との正式な婚約も、全てを取り止めました。そしてヒトのまま竜人の屋敷にいるのも私の身体にはよくないことと、竜人とヒトはその生涯の長さが違うからと、屋敷を出ることになったのです。
竜人は成人まではヒトと同じように成長しますが、成長したあとは何千年という時間をかけて大人になり、年老いて行きます。そしてヒトは、どんなに長く生きても魔力無しの方で六十年から七十年、魔力有りの方で二百年が限界なのです。
ちなみに、竜人に匹敵する長さを生きるのは別大陸に住む魔神族やその眷属の魔人族の方たちで、次いで長生きなのはエルフ族とドワーフ族の方たちなのだそうです。それでも三千年が限界なのだそうです。ナナイ様はまだ三百歳で、ヒトで言えば成人したくらいの年齢なのだと仰っておいででした。
それはともかく、のうのうと親に養われるのも嫌でしたし、もともと薬草作りや薬の調合に興味がありましたから、市井で暮らすことになるならばとナナイ様に弟子入りを志願し、快くお返事してくださったナナイ様のお家で薬草と調合の勉強を始めました。
最初の一年は、ナナイ様やナナイ様のお弟子様のエルフの方と一緒に、薬草図鑑とメモを片手に薬草の種類と、料理や洗濯や掃除の仕方を教えてもらいながら覚えました。
二年目は一年の復習をしつつ覚えた薬草の調合の仕方と、庭で栽培できる薬草の育て方と土壌作りの勉強を、ついでにと野菜の作り方も教わりました。
三年目は一年目と二年目の復習をしながら、それらが一人でできるかをナナイ様や先輩弟子たちに見守られました。それを五年間、頑張って続けました。
時に失敗も怪我もしましたが、元貴族の令嬢だった私が一人で何でもできるようになるのはひどく大変で、慣れるまでは疲れることが常でした。
ただ、ナナイ様が気になされていたのは私の体力のなさではなく身体の弱さでした。もともと竜人の力と魔力が小さかった私は、ヒトになってしまったことで拍車がかかったのか、或いは魔力が全くない故にその影響があるのか、以前よりも熱を出したり寝込んだりすることが増えてしまったのです。
山や森に入るようになって体力がつき、以前よりも食事が多く食べられるようになったことで、その回数を減らすことができました。それでもたびたび体調を崩すせいか、市井で暮らして薬を売るようになっても、時々ナナイ様やお弟子様たちが様子を見に来てくださいました。そして私が落ち着いたとナナイ様から聞いた途端、家族がこっそり会いに来るようになってしまったのです。
毎日のように入れ替わり立ち替わり、家族だけではなく屋敷にいた使用人まで様子を見に来る始末。最初は一人で住んでいることが心細くてそれが嬉しかったのですが、鏡に写る自分の姿が年々年老いて行くうちにそれが辛くなり、今では降竜祭の時だけと決めています。
それでも辛くなって、五年くらい前から「もう、来ないでください」と言っているにも拘わらず、家族も使用人たちも会いに来ることをやめてはくれません。
本当は両親よりも年老いた姿を家族や使用人に見せるのは辛いのです。けれど、会えば誰もが私の無事を喜んでくださることが嬉しいのです。
「アイリスお嬢様、紅茶のおかわりはいかがですか?」
屋敷を取り仕切る筆頭執事であるオリバーにそう声をかけられ、彼に意識を向けます。
「ありがとう。お願いできますか?」
「畏まりました」
つい屋敷にいた時のくせで無意識にそう言えば、彼は嬉しそうに微笑んでお茶を淹れ直してくれました。
オリバーは私が屋敷にいないことをひどく残念に思ってくれた一人で、降竜祭だけではなく普段も店に顔を出してくれる一人です。ですが、今の私は彼にすら劣りますから、お嬢様扱いされるのはとても居心地が悪いのです。
それをわかっているだろうに、彼は以前と同じように接する私が嬉しくて仕方がないのか、弁えつつも嬉しそうに話しかけてきます。
そのことに内心諦めつつも、その場にいた家族と和やかに過ごし、話している時でした。魔力がない私にまでわかるほど場の空気が緊張し、私の後方に向けて視線を飛ばした直後でした。
「やっと貴女を見つけました、アイリス嬢」
そう仰った声は、かつて仮の婚約をしていた方の声でした。二度と会えないと諦めた方でもあります。
仕方なくゆっくりと立ち上がり、帽子をとってから彼のほうを向いて見上げると、彼の目が見開くのが見えました。そのことに胸を痛めつつも嘗てのように淑女の礼をすれば、彼は――この国の公爵家の嫡男で、次期当主であり現宰相でもあるユリウス様が、周りにもはっきりと聞こえるほどに、息を呑んだのが聞こえます。
礼を終え、改めてユリウス様を見つめます。背中まである黒髪は銀色の組紐で一つに束ねられ、切れ長の目の中にある瞳は淡いブルー。整った顔立ちも、通った鼻筋も、薄い唇も……四十年前となんら変わりはありません。
だからこそ、顔や目尻に皺やしみができ、手や腕にあるしみや皺を……あと何年生きられるかわからない年老いた私の姿を見せたくはありませんでした。
「アイリス、嬢……?!」
彼から伸ばされた手を避けるように一歩下がれば、彼の眉間に皺が寄りました。
「違うっ! アイリス嬢はどこですか!」
ユリウス様のその言葉が私の心を抉ります。
それが竜人とヒトの命の長さです。……わかっていたことだけれど、愛していた人に……今も愛している人に言われるのは辛く、悲しかったのです。
「彼女はどこにいるのですか!」
「素手で彼女に触ってはいけません!」
一歩、二歩と私に近付いたユリウス様にナナイ様がそれを制止するものの、彼の行動のほうが早すぎました。侯爵家よりも強い力を持つユリウス様が私の両腕を掴んだ途端、ナナイ様が私にかけた術が砕けたような音がし、それと同時に両腕が肉を焼いた時のような音を立てて焼けつき、煙が上がって徐々にその範囲を広げて行きます。
「ああぁぁぁぁぁぁっ!」
「アイリス!」
「何をしている、ユリウス! その手を離せ!」
「え……」
二番目の兄が私の名を呼び、ユリウス様と同じ年の上の兄が彼の腕を掴んで私から引き剥がしました。私は腕の痛みに耐えられずに踞り、ナナイ様が鞄を掴んで慌てて私の側に寄って来るのを視界の端に捉えましたが、私は痛みのあまりにその意識を手放したのでした。
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