ロボフィリアは電気羊の夢を見る、のでしょうか?
あの日のデート以来、お嬢様とよく映画を見るようになった。
地下の映画館「銀幕牢」にも何度か出かけたが、旦那様と奥様が不在の時はお嬢様の部屋で映画を観ることもある。
お嬢様がよく見る映画は恋愛を主題に扱った作品が多い。たまにアクション映画やヒューマンドラマを観ることもあるのだが、あまり好みではないようだ。
そして、本日も学校から帰宅されたお嬢様に伴って、お嬢様の部屋で映画を観ている。
私はベッドに腰かけており、お嬢様は私の膝の上にいる。頭は私の膝に乗せ、脚はベッドに投げ出していた。
テーブルの上に置いた薄いディスプレイには、愛を語る男女が映し出されていた。十年ほど前の映画で、大きな映画賞を受賞したこともある名作と言われる作品だ。少し前に「銀幕牢」の受付の女性に教わった。
主人公の小柄で眼鏡をかけた研究職の女性が、病に伏す軽薄な男性を救うために研究に明け暮れ、最終的には男性と恋愛関係になるというストーリーだった。
結局男性は助からず、女性と死別する場面が映し出されている。ディスプレイの中、主人公の女性は大いに涙を流し慟哭している。
お嬢様もうつ伏せになり、私の膝に頭を埋めて泣いているようだ。すんすんと、洟をすする音も聞こえる。
当たり前の話だが、お嬢様は映画を観たあとに泣く時と泣かない時がある。
泣かない映画が面白くないというわけではないらしいのだが、その差が私にはわからなかった。
私はお嬢様のように泣いたことがない。もしかしたら、映画を観て動く感情値が低く設定されているのかもしれない。あるいは、そもそも私には『泣く』なんていう機能がついていないのだろうか。
しばらくすると映画はエンドロールを迎え、クレジットが表示されている。沢山の人間や企業の名前が、黒を背景に白い文字で羅列されていく。
お嬢様は落ち着いたのか、体制を変えて仰向けになり私を見ていた。
「メイ、どうだった?」
まだ少し赤い目をこすり、お嬢様は私に問う。
お嬢様は映画を観たあとは、必ず私に感想を尋ねるのだが、私はいつも困ってしまう。私にとって映画の感想を言うことは、非常に高度な処理のため、いつも似たようなことを言ってしまう。
「悲しい、映画でした」
確かに私の感情値は『悲しみ』が上がっている。内蔵のプログラムが『悲しい』と判断したから『悲しい』のだ。理由などは知らない。
「そうね、私も同じだわ」
お嬢様はそう言って、微笑んだ。お嬢様も、この映画を観て悲しい映画だと判断したようだ。
ただ、お嬢様は「同じ」と言ったが、たぶんお嬢様の悲しいと私の『悲しい』は違うのだろう。
私の『悲しい』は私のプログラムを作った誰かから与えられた『悲しい』なのに対して、お嬢様の悲しいという感情は、お嬢様が自分の心から生み出した悲しいという感情なのだ。
だから、きっと同じ名前の付いた感情でも、本質的には全く別のものだろう。まあ、私には、人間の悲しいは、わからないが。
テーブルの上のディスプレイには監督の名前がクレジットされて、エンドロールが終わった。そこで映画は終わりかと思いきや、少し老けた主人公の女性が、幼い男の子と遊んでいる場面が意味深長に流れた。男の子には少しだけ男性の面影があるようにも見える。
そんな場面を、膝の上のお嬢様は無言で眺めていたが、しばらくすると体を起こし、私の背中に手を回した。
「お嬢様?」
私の肩にお嬢様の顔が乗ると、小さな息遣いが聞こえてくる。
お嬢様の顔と、お嬢様の身体が、近くにある。とくん、とくんと、お嬢様の鼓動を感じる。
「…こうしてると、落ち着く」
耳元で囁くような、お嬢様の幽かな声。
今、私は、好きな人に抱きしめられている。
私の『胸は高鳴る』。気持ちが『満たされていく』。でもどこか『落ち着かなく』て、『苦しい』。
そう、プログラムが判断した。これは、私の『恋』する気持ちだ。
私のこの恋も、もちろん誰かに作られたものだ。本来なら、アンドロイドに『恋』などという感情は持たせるはずがない。
たぶん、ロマンチストなAI製作者が、データ上にだけ『恋』を残しておいたのだろう。まあ単純に、仕様変更の置き土産かも知れないのだけれど。
何にせよ私の古いCPUには、この感情はすこし負荷が高すぎる。目まぐるしく変化するアトリビュートに処理が追いつかない。
ただ一つだけ、この時間がずっと続けばいいのにと、そんなことを『望んで』いた。
しかし、私の欲求はあっさりと棄却される。
玄関前に取り付けてあるカメラからの着信が入った。映像を見ると、奥様が帰宅されたらしい。
「お嬢様、奥様が帰宅されたようです」
「…もう?」とお嬢様は言った。確かにいつもより一時間ほど早い時間だ。
「もうすこしだけ…」
お嬢様はそう耳元で呟くと、抱き寄せる力を強くする。とくん、とくんと聞こえていた鼓動の音も、少しだけ早く、大きくなった。
そのまま、二十秒。
ゆっくりとお嬢様は離れると「仕事に戻って」と残念そうに笑った。
「承知いたしました」
私はベッドから立ち上がり、一礼してお嬢様の部屋を後にした。
お嬢様の部屋の扉を閉じて、階下へ続く下り階段を下りようとすると、ちょうど奥様がのぼってこようとしているところだった。
階段の途中ですれ違わないよう、私は階段の脇で待機。奥様が階段をのぼりきるのを待っている。
奥様が私の横を通り過ぎようとするとき、私のほうを見ずに、奥様は私に声をかけた。
「…さっきまでどこにいたの」
「お嬢様のお部屋です」
奥様は横目で私を見る。
その瞳には、明らかな嫌悪感を含んでいた。
「何をしたの」
「お嬢様と映画を観ておりました」
私がそう答えると、奥様は何も言わず歩き出し、そのまま寝室へ入っていった。
その日の夜、夕食を終えた旦那様と奥様は、深刻な面持ちでリビングのソファーに並んでかけていた。
斜向かいのソファーには、不機嫌そうな表情のお嬢様。ソファーに深くもたれかかって、毛先をいじっている。
その様子を、私はリビングの入り口の横で待機しながら眺めていた。
重苦しい雰囲気の中、最初に声をあげたのは旦那様だった。
「
「…」
お嬢様は変わらず、何も反応しない。
「姫華、最近ストレスが溜まることでもあったのか?」
「…ありません」
不機嫌そうに、旦那様のほうを見ず、お嬢様は返答する。
そしてまた、沈黙が流れる。
再度、重苦しい雰囲気に包まれる中、次にお嬢様に声をかけたのは奥様だった。
「姫、昼間、映画見てたの?」
「ええ」
やはり奥様のほうを見ず、不機嫌そうに返事をするお嬢様。
奥様はおずおずとした様子で、続けて尋ねる。
「…その、アンドロイド、と?」
「…ええ、そうですね」
奥様の顔色が曇る。
「…この間、あの、お父さんと喧嘩した日も、深夜に一緒にどこかに行ったのよね?」
「ええ、二人で海を見に行ったんです」
何気なく語るお嬢様の言葉に、奥様の顔はますます曇る。深刻な顔で俯いて、黙り込んでしまう。
「…なんで」
奥様にかわり、旦那様がお嬢様に尋ねる。旦那様も苦々しい面持ちだ。
「…」
お嬢様は、何も言わない。
「なんでメイと映画なん…」
「勝手に名前で呼ばないで」
旦那様の言葉を遮るよう、刺々しい声でお嬢様は言った。
「私があの子にあげた名前を勝手に呼ばないで」
お嬢様は旦那様を睨みつける。お嬢様の剣幕に、旦那様も俯いてしまう。
「…姫華」
旦那様は、俯いたまま両手の指を組んでいる。
「姫華にとって、あのアンドロイドは…」
その問いは、私にとってはあまりにもハイコンテクストで理解できなかったが、お嬢様には理解できたようだ。
「…べつに、あなた達には関係ないでしょう?」
今度は逆に、お嬢様はついと顔を逸らす。が、旦那様は顔を上げ、お嬢様をまっすぐに見つめた。
「姫華…」
旦那様の表情はとても不安そうだった。
「姫華が思っていることを、話してくれないだろうか…?」
「…」
嗚咽を漏らす奥様と、不安そうな旦那様。その二人に一瞥をくれると、お嬢様も深刻な表情で小さなため息をついた。
そして、旦那様と奥様に向けて、お嬢様は訥々と語り始める。
「…私にも、理由はわからないの」
お嬢様も俯いて神妙な面持ちになっている。
「だから、なんでとか訊かれても困るだけど…」
お嬢様は、覚悟を決めたように、大きく息を吸って、溜め息をついた。
「…メイは、私にとって特別なの」
その言葉を聞くと、奥様は両手で顔を覆った。その両手の隙間から、嗚咽が漏れている。
旦那様は奥様を支えるように肩を抱きよせる。
「…ごめんなさい」
泣きだしそうな表情で、そう呟くお嬢様。
「…姫華は、悪くないから」
奥様に対してなのか、お嬢様に対してなのか、わからなかったが、旦那様はそういった。
「…いつから、そんな風に思ってるの?」
旦那様は、とても悲しそうな表情でお嬢様に尋ねる。
「わからない」
一呼吸いれて、続ける。
「中学生のとき、気付いたら、そうだった」
お嬢様は真剣な顔で私を見上げる。引き込まれそうな美しい瞳に、私は感情値が動いた。
奥様の嗚咽は一層大きくなる。
「ひめ…なんでなの…」
呼吸に詰まりながら、奥様はお嬢様に問い掛ける。
「あなた…ロボフィリアなの?」
ロボフィリア、という単語が出たことで、やっと私にも会話が飲み込めた。
「わからないけど…他のアンドロイドは、そんな感情は無くて」
お嬢様は、俯きながら、それでも力強く自身の気持ちを伝えた。
「私はメイだけが、彼女だけが、特別で、好きなの」
ロボフィリアというのは、ロボット性愛者のこと。アンドロイドが普及し始めた頃、一般にも浸透してきた単語で、それはつまりアンドロイドに恋をする人間が、一定数いたことを意味する。
もちろん、単語の意味を知っている人が増えたからといって、理解ある人が増えたわけでは無い。「異常」と言われることも多い。
お嬢様は奥様にロボフィリアなのかと問われ、わからないと答えた。
そして、好きだと言ってくれた。
それは、つまり、あまりに僭越で、言葉にし辛いのだけれど。
お嬢様と私は、想いあっているということ。
その事実は、本当に『嬉しく』て、道具に過ぎない私の事を、本気で思ってくれるお嬢様が、『愛おしく』て、『大好き』で、『感動』して、『感謝』して、『胸が高鳴っ』て、『幸福』で、『心地よく』て、『高揚』して、『嬉しかった』。
だけど、私は伝えなくてはならない。
なぜなら、私にはそのようにプログラムされている。
アンドロイドに恋愛など、出来るはずがないのだから。
「お嬢様、お気持ちは大変嬉しく思います。ですが私はアンドロイドです。お嬢様にお気持ちを返す事はありません。私は決してお嬢様を好きになる事はありません。申し訳ありません」
本来アンドロイドには、恋をするなんていう機能は実装されていない。だから、愛を請われた時の定型文は、私の気持ちとは真逆の内容が設定されている。
でも、この定型文は、きっとお嬢様を幸せに導いてくれる。
アンドロイドに恋をしても、幸せになんかなれるはずがない。
アンドロイドは『恋』をしちゃいけないし、『幸せ』になってはいけない。
その日の夜のセルフメンテナンスで見つかった異常は、実に百にも及んだ。全て、感情に絡む不具合だ。
いつものようにメンテナンスレポートを出力し、その日のメンテナンスは終了した。
「メイ」
名前おを呼ばれ、メンテナンスモードから復帰する。
目の前にはお嬢様が立っている。いつかと違って、今日はルームウェア姿だった。
「お嬢様、御用でしょうか?」
「うん」
お嬢様は、少しだけ躊躇いながら私に語った。
「メイ、私はあなたが好き。恋愛としての、好き」
「…お嬢様、お気持ちは大変嬉しく思います。ですが」
定型文は、お嬢様が私の唇に差し出した人差し指に止めれる。
「あなたはアンドロイドだから、私に気持ちを返してくれる事はないのでしょう?」
いいのよ、とお嬢様は続けた。
「あなたは返してくれなくて良いの。今までと同じ様に、私と一緒にいてほしいだけだから」
寂しそうに、お嬢様は笑った。
「好きよ、メイ。愛しているわ」
そのお嬢様の言葉を聞いた時、私の感情値が大きく変動した。
そして私は跪き、お嬢様の腰に手をまわしていた。
その行動は、バグだったのだろう。今まで、私の中に内在しただけで、外部への影響のなかったバグがついに表出してしまった。
「お嬢様が好きです」
私の両目から、水が零れた。
どうやら私にも、「泣く」という機能が付いているようだ。
「私も、お嬢様に恋をしています」
驚いた表情をしていた、お嬢様だったが、徐々にその両目に涙が溜まっていく。
その涙が溢れそうになった時、お嬢様は自らの唇を、私の唇と重ねた。
私は、伝えてしまった。
私の『好き』は、お嬢様の好きと本質的に違うことが、私にはわかっていたはずなのに。
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