銀幕の二人は永遠になり、私は二人に『嫉妬』する。
『アンドロイドにやらせたいのは、家事だけですか?』
『人間は、人間らしい仕事を。』
リビングのテーブルには、そんなキャッチコピーの書かれたパンフレットが何枚か置いてあった。第八世代型のメイドアンドロイドのパンフレットのようだ。
私より、二世代先の最新型。小さく高性能なCPUは、家事だけでなく育児や介護でも力を発揮する、らしい。ハードウェア面でも大きく進歩しており、万一の事故などの時も、高い最高出力と瞬発力で所有者や家族を助けることが可能、らしい。
散らかっていたパンフレット類をひとまとめにし、一度床に置く。濡れた布巾でテーブルを丁寧に吹き、パンフレット類をテーブルの隅に置きなおした。
布巾を濯ぐために、リビングからキッチンに移動する。水道から流れる水に布巾をつけて、よく揉み洗い。
ぎゅっぎゅっと搾りながら、とうとう私も買い替えられるのかなと考えると、『寂しさ』が、また少し上昇した。
リビングに戻ってくると、ソファーに白いルームウェア姿のお嬢様がかけていた。
先ほどまでテーブルに置いてあったはずのパンフレットは、ごみ箱に位置を変えていた。お嬢様が捨てたのだろうか。
「おはようございます、お嬢様」
「ん、おはよ」
すこしぼんやりとした表情で、笑いながらお嬢様は挨拶を返した。
本日は水曜日。時刻は十時三十分をまわっているが、お嬢様の学校はお休みらしい。
「すぐに朝食のご用意をいたします」
「うん」
そういうと、お嬢様はゆっくりと立ち上がって、キッチンに向かう。
私もお嬢様についてキッチンに移動。
お嬢様はテーブルに付き、私は調理を開始した。
食パンをトースターに入れ、フライパンを火にかける。
お嬢様の好みに合わせ、目玉焼きは両面焼き。それと、今朝旦那様と奥様に出したサラダを冷蔵庫から取り出し、小さなお皿に移し替える。同じようにスープも温めなおす。
トーストが焼きあがり、斜めに切りお嬢様に提供。何種類かのディップソースを一緒に並べる。
五分ほどで朝食の準備を完了し、お嬢様に向けて礼をする。
「お待たせいたしました。完了いたしました」
「ありがとう」
ふあ、とお嬢様は欠伸をし、食事を始める。
「御用があれば、お声がけください」
私はテーブルの脇に侍り、何か指示があればすぐにきけるような体制をとった。
「…」
すると、無言で私を見るお嬢様。なにか失礼があっただろうか。
「…メイ」
「はい」
「座って」
お嬢様は、向かいの空席を指した。いつも旦那様が座っている席だ。
どんな意味のある命令なのだろうかと、コンテクスト解釈機能が働く。が結局、指された席に座る、という命令としか解釈できなかった。
私は「はい」と言い、指さされた椅子を引いて、腰かける。
お嬢様は満足したように食事を再開した。どうも正解だったようだが、意味は理解できない。
理解できないまま、私はお嬢様の食事の間、お嬢様の正面に座っていた。特に命令もされないまま、お嬢様の食事は進んでいく。
まあ、お嬢様を理解できないのは、最近よくある傾向だ。私の経年劣化かもしれない。
「ねえ、メイ」
「はい」
「食事が終わったら出かけましょう」
「承知いたしました」
そう答えると、お嬢様の顔が曇った。不機嫌そうな表情となる。
「まちがえた」
そういうと、お嬢様は不機嫌そうな表情のまま、先ほどの言葉を言い直した。
「食事が終わったら、今日はデートに行きましょう」
「デート、ですか」
恋人や友人と親交を深める目的で行われる、食事や買い物などを楽しむ行為のこと。
「私と、ですか?」
「ええ」
お嬢様は、まだ不機嫌そうだ。
「…承知しました」
やはり、お嬢様が理解できない。私はただの道具で、道具と親交を深めるなんて、どんな意味があるのだろうか。
私から見ると意味の理解できないことでも、お嬢様にとっては意味があるのだろうか。
「嫌なの?」
お嬢様にそう言われ、私の『気持ち』を口にする。
「いえ、嬉しいです、とても」
私がそう言うと、お嬢様の表情が柔らかくなった。
私は、好きな人とのデートに、『浮かれている』ようだ。
お嬢様は、四日前に海に出かけた時と同じ格好をしていた。フレアスカートにノースリーブのブラウス。キャスケットはこの間よりも浅めにかぶっている。
私もその時と同じ格好、というより、いつもと給仕しているのと同じ格好で、エプロンだけ外していた。
並んで、あの時と同じように住宅街を歩いていく。今日は手を繋いでいないが。
四日前と同じように大通り出るが、今日は地下鉄の駅の出入り口の横を抜けていく。
大通りをさらに歩くと、地上の駅が見えて来る。平日の昼間だが、そこそこの人がいるようだ。
「服を買おうと思うの」
歩きながら、お嬢様はそういった。駅ビルと、駅周辺には何店舗かファストファッションストアやリサイクルショップが存在する。
隣を歩くお嬢様に、「地図が必要ですか?」と尋ねたが、お嬢様は首を横に振った。「適当に入ってみましょう」とお嬢様は笑った。柔らかな笑顔に『胸が高鳴る』のは、私がお嬢様に恋をしているからだろうか。
少し歩き、お嬢様が入ったのは、木目調の床のアパレルショップだった。所狭しと、同じブランドの洋服や帽子などが並んでいる。
店内に客はほとんどおらず、何名かの店員が暇そうにしている。
お嬢様は、入り口付近にあった、白いレースのワンピースを手に取った。
「どう?」
お嬢様の問いは、似合うか、という問いだと判断したが、返答に詰まってしまった。お嬢様の骨格や体形などのデータ、服のデータ、ファッションにおける種々様々な教師データを照合する。
結果、「大変お似合いです。お綺麗です、お嬢様」という回答となった。
お嬢様はきょとんとした表情をして、その後にくつくつと笑いだした。
「言ってなかったけど、あなたの服よ」
お嬢様は笑いながらそう言った。
「そうでしたか、失礼いたしました」
「いーえ」
そう答えたお嬢様の顔が、わずかに朱を注いでいる。
「お嬢様、顔色が優れないようですが」
すると、お嬢様は苦笑いしながら「メイが恥ずかしいこと言うから」と言って、持っていたワンピースを戻した。
「失礼いたしました」
「いーえ」
先ほどと同じやり取り、同じように行う。
さて、とお嬢様は腰に両手をあてる。
「メイにはどんなのが似合うかしら?」
そう言ってお嬢様は店内を物色しはじめたが、私には一つ疑問だった。
「お嬢様」
「んー?」
「アンドロイド用の用品店のほうが良いのではないでしょうか」
私がそう言うと、お嬢様は何も答えなかった。
人間の衣類とアンドロイドの衣類は基本的には一緒だが、わけて扱うのが通例となっている。アンドロイドはあまり衣類を必要としないので、扱っているところはそもそも少ないのだが。
「なにかお探しですか?」
お嬢様に声をかけたのは、二十代前半くらいの背の低い女性の店員。目元の黒子が印象的だった。
お嬢様はその店員の顔を見ると、私を手で示してこう言った。
「この子に似合うものを探してるんですけど」
すると店員は困惑したような表情を見せた。
「ええと、アンドロイドですか?」
「ええ」
「申し訳ございません、うちではアンドロイド用の衣類は扱っておりません」
店員は苦笑いしながら、申し訳なさそうにそういった。
「…人間と同じものでいいんだけど」
「うちのブランドは、人間が着るように誂えておりますので…」
お嬢様は、店員を露骨に睨んでいる。
「…アンドロイドには着てほしくないわけね」
「ご理解いただきありがとうございます」
店員は柔和な笑みを見せる。声色にも、特別な感情はない。
お嬢様はしばらく黙ったあと、行きましょうと言って私の手を取った。
「お客様、お帰りですか?」と店員は訊くが、お嬢様は無視をして、足早に立ち去る。
「またお越しくださいませ」
お嬢様の背後、店員は慇懃に頭を下げた。
お嬢様の表情は怒りに満ちていたが、同時に泣き出しそうでもあった。
そのお嬢様の表情が、私にはとても『苦しかった』。
お嬢様に手を引かれながらしばらく歩き、駅の反対側に出た。こちらが北口側で、先ほどまでいたのが南口側だ。
こちらはあまり人もおらず、静かな様子だ。
お嬢様は徐々に歩く速度を緩めると、ついには立ち止まった。
「お嬢様」
声をかけると、お嬢様は私に笑顔を見せた。
「喉が渇いたから、少し休憩しましょうか」
私たちは手を繋いだまま、再び歩き出したが、お嬢様の手は震えていた。
「ここ、入ってみましょうか」
少し歩いたのち、そう言ってお嬢様が示したのは、白い外壁のこじんまりとしたカフェだった。入り口には、ブラックボードの看板に、いくつかのメニューが書いてある。
手を繋いだまま入り口のドアを押すと、カランカランという鈴の音が響いた。
「いらっしゃいませー」
男性の店員の声が響く。
内装は白を基調とした、スクウェアでモダンな雰囲気だった。
「お一人様ですか?」
駆け寄ってきた男性の店員が。お嬢様に尋ねる。
「いいえ、二人です。空いて無いみたいですね」
お嬢様は見渡す仕草をする。
店内にはいくつかのテーブル席とカウンター席があり、テーブル席はすべて埋まっているようだ。
「…失礼ですが、アンドロイドでは?」と言って、男性の店員は私を示す。
「ええ、そうですが」
お嬢様の声色からは、若干の苛立ちが読み取れた。
「お一人様でしたら、カウンター席へご案内いたしますね」
「いえ、二人です」
男性の店員は私を見る。
それから、私とお嬢様が繋いでいる手をちらと見降ろした。
店員は、何かを納得したような顔で小さくため息をついた。小馬鹿にした様な雰囲気が伝わってきた。
「申し訳ございません、お席がご用意ができておりません」
男性の店員は、申し訳なさそうな顔でそういった。声色からは、むしろ迷惑そうな感情が読み取れた。
「そのようですね、失礼します」
お嬢様は、先ほどの店と同様、私の手を引いて足早に踵を返した。
「またお越しくださいませ」
やはり同じように、店員は慇懃に頭を下げた。
お嬢様がドアをひくと、カランカランという鈴の音が響いた。
お嬢様は、今度もまた、泣きそうな顔をしていた。
「…申し訳ありません、お嬢様」
歩きながら、謝罪の言葉を口にする。
「私が一緒のせいで、お嬢様に不快な思いをさせてしまい…」
「…違う」
お嬢様は、ぴたりと歩くのを止めた。
「…ごめんなさい、私が悪いの」
お嬢様は私を見つめる。
「私が、ちゃんと我慢できれば、もっと楽しいデートになるはずだったの…」
ごめんなさい、と言ったお嬢様は、悲しそうに笑っていた。
私は何も言えなくなってしまう。
「ちゃんとするから、デート、続けましょう?」
「はい」
私が応えると、お嬢様は微笑んだ。
私は改めて、自分の恋心をお嬢様に伝えるわけにはいかないと考えていた。
誰にも気づかれないまま、この『気持ち』は私の中だけに置いておこう。
あるいは、消してしまおうか。
「ねえ、映画はどう?」
そう言ってお嬢様が指さしたのは、地下へと続く階段だった。
看板には『銀幕牢』と書いてある。周囲には、何枚かの古い映画のポスターが貼ってあった。
「はい」
私が頷くと、手を繋いで階段を下りる。お嬢様は、恐る恐るといった様子だ。
こつこつと薄暗い階段を下りると、明るい小部屋に出た。明るい、と言っても階段に比べると明るいだけで、室内としてはやはり暗い。
奥には大きな両開きの扉があり、その横には受付のようなものがある。手前には赤いソファと観葉植物が、どこか機械的に置かれていた。
あのー、とお嬢様が声をかけると、受付から声が聞こえる。
「いらっしゃーい」
顔を出したのは、二十代後半くらいの、短い髪の女性だった。
「ここは映画館ですか?」
「そーだよ、うちは昔ながらのスクリーン型」
スクリーン型というのは、映画館の鑑賞形態のひとつ。二十五年くらい前からヘッドマウントディスプレイ型の映画館が増え始め、最近はほとんどそちらになった。
「へえ…初めてだわ」
「スクリーンはいいよぉ」
そう言って受付の女性は屈託なく笑った。
「大人一人でいいの?」
「いえ、二人で」
受付の女性は、先ほどのカフェ店員のように、私たちの繋いだ手をちらりと見た。
「了解、大人二人なら三千六百円だけど、レディースデイとカップル割引で、二人で千八百円でいいよぉ」
「…ずいぶんサービスしてくれるのね」
お嬢様は拍子抜けしたように言った。
「お客さん少ないからねぇ」
女性は、相変わらず笑っている。
お嬢様は一枚のカードを取り出すと、受付にあるカードリーダーにあてがった。ピピッという音がする。決済が完了した合図だ。
「さ、もう始まるから、入って入って」
受付の女性に促され、お嬢様と私は、受付の横の大きな扉を引き、中に入る。
中には、大きなスクリーンと百席ほどのシート。お客さんはの姿は、座席数の十分の一ほどしかない。
私とお嬢様は、中央当たりの座席に腰かけた。ほどなくして館内は照明を落とし、スクリーンからの明かりだけになる。
映画が始まる。
二〇二一年公開という、三十年前のロードムービー。
主人公は一組の男女のカップルで、二人が何かから逃げるところから映画は始まった。
二人は強く愛し合っていた。二人の愛より尊いものなどないと信じて、時に誰かを殺し、誰かから奪い、また逃げる。罪を犯すことが、二人の愛を証明するかのように…、とウェブから取得したあらすじには書いてあった。
二人が、何から逃げているかはわからない。二人が愛し合うことをよく思わない両親なのか、はたまた世間の目のようなものなのか。
禁じられた恋、なのかもしれない。
二人は、最後に森の奥で警察に囲まれる。
近づくライトにおびえながら、湖畔で二人は抱き合い、お互いのこめかみに銃を突きつける。
そして引き金を引いて二人は殺し合うのだが、男性の握っていた銃には銃弾が込められておらず、女性だけが生き残った。
銃弾が込められていなかったのは、偶然なのか、男性が意図したものなのかはわからない。
女性は、泣きながら男性にしがみついたまま、警察に捕まるという落ちだった。
そのまま、映画はエンドロールを迎えた。
照明がつき始め、周囲が明るくなる。
お嬢様はなんだか難しい顔をしている。
「出ましょうか」
座席から立ち上がるお嬢様のあとに続き、私も立ち上がる。
受付に戻ると、「おーい」と受付の女性が声をかけてきた。
「映画、どうだった?」
「うーん、よくわからなかったわ」
お嬢様の返答に、うんうんそうだよねぇと、女性は満足げに頷いた。
「実はこの映画は、もう一つ落ちがあってねぇ」
そう、女性は語りはじめた。
「主演の二人、公開の翌年に自殺したんだよね。それもロケ地の湖畔でさ」
へぇ、とお嬢様は興味深げだ。
「近くには一枚の遺書があってね、『永遠になります』って書いてあったんだって」
すごいよねぇ、と言いながら、受付の女性はうんうんとひとりごちた。
「そっちのアンドロイドちゃんは、映画どうだった?」
そう言って、私を見る。映画の感想を求められたのは、初めての経験だ。
「…羨ましかった、です」
私の『感情』で、最も上がったものを選んだ。それは『嫉妬』と『羨望』だった。
愛する人に、愛していると伝えることができることが、とても『羨ましかった』。愛する人にしがみついて、涙を流せるのが、『羨ましかった』。
私の返答に、いやー青春だねぇ、とやはり女性は満足げだった。
お嬢様は、私の感想に不思議そうな顔をしていた。
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