第4話 

 電話が鳴った。

 大助はもしや霧氏からかと思い携帯を取り上げたが、そこに表示されている番号はまったく別のものだった。

「もしもし」

 ため息交じりの返事をする。

『もしもーし、こんにちはー』

 この声には聞き覚えがある。

 火村組の事務所が入っているファッションビルのロビーに、いつもいる少女の声だ。

 ロビーのテーブルで宿題をしていたり、携帯をいじっていたり、何度も顔を合わせているうちに少しずつ言葉を交わすようになって……大助の立場で考えればというのもおかしな表現だが、ほかに形容のしようがない存在の少女だった。

「……お嬢ちゃんか。なんの用だ」

『ご飯奢ってもらえないかなあと思って』

「……なんだと?」

『あたし、チャーシューメンが食べたいです。えーっと、ほら、あの、東通りにある中華屋さんの。今日の六時半で駄目ですか』

「おっ、おい!」

 大助は思わず立ち上がっていた。

 東通りの中華屋、そこのチャーシューメンというのは霧氏がよく使っていた言葉だ。

 もしかして霧氏が自分と連絡を取りたがっているのでは。

「ろ、六時半だな」

『やったー、チャーシューメンだー。じゃあ待ってますねー』

 無邪気にはしゃぐ声を耳に残して電話は切れた。

「親父、だれからです?」

 藪元と同じく若頭の草加くさかが声をかけてくる。

「ああ、知ってるお嬢ちゃんだ。今晩一緒にメシを食うことになった」

「お嬢ちゃんて……親父、親父は火村組の組長ですよ。ガキに舐められて……」

「まあ、そう言うな。俺のことを慕ってんだ。可愛いもんじゃねえか」

 大助は壁に掛けられた時計を見上げた。

 あと二時間弱……もしも本当に霧氏が現われたとしたら、言いたいことは山ほどある。

「電話したよー」

 大助への電話を切って顔を上げた少女は、霧氏に笑いかけた。

「どうもありがとう、白珠しらたまちゃん」

 本当の名前は白橋珠季しらはしたまきなのだが、霧氏は白珠ちゃんと呼んでいる。

 今どきの女子高生にしては洒落っ気がなく、どちらかといえばボーイッシュな雰囲気の珠季もまた、過去の事件で霧氏と関わり合い、今も付き合いを続けているひとりだった。

「お礼はなにがいいかなー。ここのジャンボパフェなんてどう?」

 ふたりが座っているのは、表通りにある小洒落たカフェで、テーブルのメニューを指さして霧氏が問う。

「そんなことより」

 珠季は脇に置いたカバンから教科書やノートを取り出してきた。

「数学教えて。今度のテストでいい点が取れなかったら補習なんだから!」

「はいはい」

 切実そうな表情に、霧氏は肩をすくめてうなずいた。


「いらっしゃい!」

 きっかり六時半、威勢のいい店員の声に迎えられて大助は中華屋の扉をくぐった。

 狭い店内、少し見渡すが霧氏の姿はない。

 その代わり……あの日、インタビューに答えていた初老の男が座っていた。

 大助は大股でそのテーブルに近づき、男の真ん前に腰かけた。

「おい、見つけたぞ」

 勢い込んで男に詰め寄る。

 声を荒らげようと思った瞬間、店員が水の入ったグラスを持ってきた。

「ご注文は?」

 大助がそれどころじゃないと言うより先、男が口を開いた。

「チャーシューメン。三代目さん、なんにします?」

「……てめぇ……」

 思いがけない言葉に全身の力が抜けそうになる。

「お連れさんは?」

「……同じやつ」

 店員が厨房へ戻っていくのを確かめ、男はゆっくりと薄毛の頭に手をかけ……かぶっていたと思しきカツラを外し、おしぼりで酒焼けしたような赤ら顔を拭った。

 顔からおしぼりを取ったとき、そこには霧氏が悪戯っぽく笑っていた。

「てめぇ……!」

 手を伸ばして胸ぐらをつかもうとし、軽くよけられてしまった。

「まあまあまあ、今チャーシューメンきますよ」

 その言葉と同時に店員が丼を運んでくる。

 結局、大助の憤りは無視されたようになった。

「……十日間もどこでなにしてやがった」

 麺を啜りながら凄味のきいた声で尋ねるが、霧氏はやはり平気な顔をしている。

「こそこそ動いてるのを知られたくなかったもんですからね……ええ、特に自分を殺そうとした人間には」

「お前、やっぱり狙われてたのか」

「まさかあんなど派手に爆発させてくれるとは思いませんでしたよ」

 さっさと先に食べ終え、口を拭いながら霧氏はまったく違う言葉を発した。

「自分が奢りますから、ここ出たらカフェ行きませんか? コーヒーか甘いものでも」

 おそらく霧氏がそんなことを言うのは内密の話があるのだろう。

「まあ、いいだろう。で、ここの支払いは」

「あれ? 三代目さんが奢ってくれることになってたはずじゃ」

 一瞬呆気に取られ……しぶしぶ財布を取り出した。

 それから場所を変えたはいいが、大助にとってそこはあまりにも不似合いな場所だった。

 店内のテーブルはカップルか女性が占めていて、男ふたりというのが不自然に見える。

「……なんでこんな場所……」

「居心地悪いでしょ? 自分たち以外に男連れがいたら、同じ気持ちだと思いますよ」

「あ……」

 確かにここならば、自分たちの話を聞かれたくない人間がいたら(おそらくそれは男だろうから)すぐに見つけられるだろう。

 しかしそれにしたところで大助の居心地悪さは変わらない。

 さっさと話を終わらせたいと思った。

「で? なにか大事な話なんだろう?」

「十日前に、西條先生のところで起きた騒動、もうお耳に入ってますよね」

「ああ、おかしな女が先生のところで暴れて……ってやつだな」

「そうですそうです」

 霧氏は運ばれてきたフルーツパフェのてっぺんをスプーンで突いて言葉を続けた。

「最初、先生と自分は女がクスリでもやってるんじゃないかと疑いました。それで先生に血液検査をお願いしたんですが……先生がちょっと目を離した隙に女は逃げてしまった」

「クスリだと?」

 同じようにパフェを崩していた大助の手が止まる。

「そいつは聞き捨てならねえな。うちの組じゃクスリは……」

 大助の祖父は文字通り侠客を地で行くような男だったから、クスリと呼ばれるものに手を出すことを決して許さなかった。

 そしてその教えを、大助の父も大助自身も頑なに守ってきたのだ。

「ええ、存じてます。そこで自分は考えました。女はどこか別の場所でクスリをやって、この山東街にやってきたか、ここでだれかにクスリをもらったか……」

「そういうことならすぐに調べさせる」

「ところが」

 霧氏は大助の言葉など聞こえなかったかのように続ける。

「西條先生に調べてもらった結果、クスリの成分なんて出てこなかったんです」

 パフェを突いていたスプーンで大助を指した。

「さて、これはどういうことでしょう?」

「……俺に訊くなよ」

「これは自分が集めた情報から推理した結果なんですが……三代目さんの組はクスリもやらない、喧嘩沙汰もよほどのことがない限り起こさない、シノギも問題のない、ある意味組ですよね。当然のことながら山東街に警察が入れる余地もない」

「やましいことはなにもねえ」

 霧氏は意味ありげに目を細めた。

「でも、クスリが動いてるとなれば?」

「……痛くもねえ腹を探られるな……」

「女の雇い先を調べました。見事に演技しきった、あの女のね……そうすると風龍会に行きついたんです」

 霧氏のスプーンの先で、アイスに乗ったチェリーがぐらりと傾いた。

「クスリの疑いって通報が入り警察が山東街、つまり火村組に手が入る。いくらきれいな組だといっても叩けば埃のひとつやふたつは出てくるでしょう。三代目さんの力が弱まればだれがこの街を治めます? この街の人間は三代目さんのお祖父さんに感謝してる。あの若頭さんたちじゃとても治めきれない……だれかが乗っ取るにはまたとない機会じゃないですか」

「まさか……」

 そうつぶやいた大助の目の前で、己の自信のようにチェリーが転げ落ちた。

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