第23話

 ――翌朝。

「はぁ~~……」

 早朝の着信音で叩き起こされた僕は、スマホの通話終了ボタンを押すなり深いため息をついた。

 ベッドから体を起こしただけの態勢で、スマホを布団の上に投げる。


 ――遡ること十分前。電話の相手は高橋くんだった。

 昨日、僕が返信をしなかったからかけてきたということだった。せっかく忘れていてそのまま既読スルーできそうだったのに。そうは問屋が卸さなかった。

 かといって、聞いた内容は昨日の通りでしかなく、焦る高橋くんに「浮気が嫌なら別れれば?」と助言することしかできなかった。

 ――だって、詩穂から聞いたまんまじゃん。

 先入観があったことは認めるが、実際に会ってみて鈍感な僕ですら『なるほどな』と感じるものがあったくらいだ。余程なんだろう。

 さすがにそれは酷だと思って、本人には言っていない。

 代わりに、とんでもない自虐をやらかして、僕は行き場のない怒りに頭を掻きむしりたくなる。


「別れて次探したら? たとえば……、詩穂とか、さ」


 高橋くんにかけた声が脳内で反響した。

 

「え、いや……、うーん……」

 アドバイスを受けた当の本人は、予想外にも難色を示した。

「お似合いだと思うけどな」

 まさか自分の口からそんな言葉がすんなりと出てくるとは思いもしなくて、僕自身が驚いてしまう。

「いや、そういうことじゃないんだ。どうしたら梓に振り向いてもらえるかと思ってさ。ほら、俺は、……その、梓のことが――」

 対して、びっくりするくらいピュアな反応が返ってきてしまい、尊さで僕の中にある暗がりが照らされて、焼け死ぬんじゃないかと思ってしまった。

 でも、助かった。そう安堵したのもつかの間、

「てか、あんたはそれでいいのか?」

 ぎゅんと、胸が痛んだ。

「……なにが?」

 そう答えるのがやっとだった。

「なにって、あんたは詩穂のこと好きじゃないのかよ」

「僕は……」

 乾いた笑いが漏れる。聞こえないように深呼吸をして絞り出す。

「僕は、そんなんじゃないよ」

 高橋くんは、「そか」と短く言い「でも……、そうだな。あいつの方が梓のことよく知ってるし、相談してみるかな」

「……いいと思うよ」待ってくれ、という言葉が、どうしても声として発せられない。

「すまん助かりました。またなんかあったらよろしく」

 高橋くんはこちらの返事を待たずに、通話を切ってしまった。


 ――さっきまでの記憶が呼び起こされ、脳内をぐるぐるしている。

 一度心臓が動くたびに、全身から血が噴き出しているんじゃないかと思うほど、痛い。

 ああ、僕はどうしようもないバカ野郎だ。もし、これで本当に詩穂と高橋くんがくっついてしまったら、僕は……。

 それから一日かけて独りでモヤモヤして、寝る前に詩穂に何かを伝えようとして、何を伝えればいいかも分からなくて、やめた。


 翌日になると、平日の朝の忙しさのおかげで、高橋くんとの一件は一旦忘れることができた。

 再来したのは昼休みになってから。

 昼食のサンドイッチを食べ、習慣でスマホのチャットアプリを開いたときだった。

 昨日の夕方から更新されていない詩穂との会話を開きそうになり、履歴の上から三番目に残る名前を見つけてしまってからだった。

「なんかありました?」

 無意識にそわそわしてしまっていたのか、相沢さんが僕に問うた。

「え、よく分かりましたね」

「なんとなく」

 少し迷ってから、

「……そうですね、聞いてもらってもいいっすか?」

 ちょうど周囲の方は打ち合わせで離席していたので、意を決して打ち明けることにした。相沢さんなら、馬鹿にしないっていう確信もあったから。

「俺でよければ」

 了承を待ってから、全部、正直に白状した。

「――ってことがあって、なんかモヤモヤしてたんすよ。余計なこと言ったなーって。あはは」

 つい、胸中のモヤモヤを笑ってごまかした。

 相沢さんは手を止めて「うーん……」と唸り、腕を組む。ちゃんと考えている時の癖だと、最近気づいた。

「もともとは、お相手は相談してきた彼のことが好きだったんですよね?」

「って、本人は言ってました」認める度に心がズキズキする。

 そっかー、と一度頷いてから、

「俺は話聞いてた中で、考えなきゃいけないとこっていくつかあると思うんですよ」

 相沢さんはそう言って目を細めた。

「……そもそも、そのお相手って今はどう思ってるんですかね。前じゃなくて、今です、今」

 ――詩穂が今、どう思ってるか。どうなんだろう、分からない。嫌われてはいないと思う。

「次に、電話をした彼がどうなのか、ですね。その友達? 知り合い? が土俵に上がらなきゃ勝負は始まりようがないじゃないですか。彼は土俵に上がってるんですか?」

「それは確かに……そうですよね」

 ――大前提の話だ。高橋くんはどうなんだろう。僕が知らなかった頃の彼らは、どんな話をして、どんな距離感だったんだろうか。

 少なくとも今は、山本さん彼女(梓)のことが好きだと言っていたからその点は心配ないのかもしれない。

「最後に、利田さんがどうしたいのか。……まあ、彼らが両思いだと仮定したとして? 分が悪い戦いかもしれないですけど、君がどうしたいかは自由じゃないですか」

 ――僕がどうしたいか。答えは初めから決まっている。決まっている……けど、どうしても詩穂がどうしたいのかを勝手に決めつけてしまう自分自身に、心底嫌気が差す。

 ふと我に返ると、相沢さんがくつくつと笑っていた。

「悩む気持ちも、思いとは反した行動をついしてしまうのも、分かります。……ま、せいぜい悩んでください」

 口の片端を上げて言う。

 相沢さんが言うことはもっともだ。そんなことは分かっている。

 僕が悩んでいることは、結局なんなのか。そう考えたときに、ふと思い当たった。

 ――詩穂にとって、どうなれば一番いいのか。どうなって欲しいのか。

 あるべき形を勝手に作り上げて、決めつけている。あの再会した日の、詩穂の言葉に縛られている。

 分かったからこそ、逆に深みにはまって同じ過ちを繰り返してしまいそうな気がした。

「最後の余計な一言でぶち壊すのは、相沢さんのチャームポイントっすよね」

 苦し紛れの皮肉も、「そりゃどうも」と軽くあしらった相沢さんは、もう僕のことを見ていなかった。

 ため息をついて、僕は自分の作業に戻る。

「気分を害しましたかね」

「少しモヤッとはしました」横からした声に答える。

「そうですか」

「ほんの少しですけどね」

 モニターに映る表の幅をいくら広げたり、縮めたりと調整しても、なぜか勝手に手が動いてしまって大きさが決まらない。

「少し、羨ましくなったのかもしれません」

「……何がですか」

「独り言です」

 そう残して席を立ち、部屋を出て行ってしまった。

 僕は黙ってその背中が見えなくなるまで見送り、モニターに向き直った。

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