第22話

 相沢さんの一件があった次の土曜日の夜、ここ最近のドタバタを詩穂との電話の中で愚痴っていた。

「知らない偉そうな人に呼ばれて生きた心地しなかったよ。一日でめっちゃ老けた気がした」

「お子ちゃまの忍ちゃんには刺激強すぎだったんだね。大人になれてよかったじゃん」

 あはは、と笑う詩穂の声を聞きながら、僕は耳に当てた無線のヘッドホンの位置を直し、冷蔵庫で冷やしている缶チューハイを取りに立ち上がった。

「てかさ、さっき言ってた相沢さん? ってトラブル体質なん?」

「なんで」

「いやだってさ、たまに話聞いてるといっつも何かに巻き込まれてるじゃん。この前だって、なんだっけ……」

 缶のプルタブを軽く持ち上げた状態で数秒待ち、これは思い出せないなと判断して栓を開けた。

 ブシュ、と手元から人工甘味料の匂い立ち上る。撥ねた液体がプルタブを開けた指先にかかり、僕はそれを口先で咥えて舐め取った。

「あぁ、ミスしちゃって手戻り発生したってやつ?」

「そうそれ」

「あれはハードだったなー」

「最近忙しそうだったよね。今落ち着いたんだっけ」

「一応ね」

 ここのところの疲れが抜けていないのか、僕は欠伸をする。

 開けたばかりの缶チューハイを傾ける。

「あ、何かおいしそうなもの飲んでる」

「ただのやっすい缶チューハイだよ」

「いいなー。あたしもアイス食べよっと」

 扉を開け、とん、とん、とゆっくり階段を降りる音。

「ママー。アイスー」

「入ってるでしょ。パパが詩穂にって高いやつ買ってきてたよ」

「マジか。どれ?」

「まだ入れたばっかりだから溶けてるかもよ」

 繋ぎっぱなしのまま、受話器越しに響く詩穂の家族の会話に僕は目を細める。

 ぼー……っと、青空のような色をしたカーテンを眺めて詩穂を待つ。

「よいしょ。お待たせ。ごめんマイク入れっぱなしだったわ」

「ん? 全然おけ」

 むしろ、久しぶりに聞いた家族の会話があまりにも温かくて、今後もそのままがいいと思ってしまった。……言えないけど。

「そーいえば、あたしこの前忍がやってたゲーム買ったからやろうよ」

「え、マジ!? 何買ったの」

 詩穂の意外な一言に、しんみりしかけた気持ちが一瞬で吹き飛んだ。

「名前今思い出せないけど、戦うやつ」

「ダメだ何も分からん」

「だよね」

 笑いながらゲーム機を起動する。

「フレンド登録してたっけ?」

「してない。この前買ったばっかだもん」

「あ、ゲーム機ごと?」

「そそ。バイト頑張っちったー」

 えへへ、と嬉しげな声に僕は変な声が出そうになってしまった。

「しゃーねぇフレンドになっちまうかー」

「なっちまうかー。で、どうやんの?」

「え、待って。調べていい?」

「あちゃー。今のは減点よ、減点」

 僕は机の上でスピーカーにしていたスマホを取り上げ、ブラウザでやり方を調べる。

「えっとね、まず――」

 フレンド登録はすぐにできて、起動中のゲームが画面左上に通知される。

 僕も同じ物を起動した。この前一緒にやった、四人で遊べる格ゲーだ。

「やるか」

「やろう」

 オンライン対戦モードからルームを作り、詩穂を呼んだ。

 「ボコボコにしてやるぜ!」と、意気揚々とキャラクターを選んで開始……したのはいいものの、あれよあれよという間にダメージを蓄積され、僕の方がボコボコにされてしまった。

「うわマジか」

「へへ、勝ったー!!」

 ロビーに映る詩穂のアイコンがぐるぐる回っている。

 あー、ほんと心折れそう。結構やりこんでたつもりなのに……。

「くそっ、次だ、次!!」

「よっしゃ、またボコボコにしたるぜー!」

 違うキャラクター選んで再戦。今度は僕の圧勝。

 次も勝って、その次は負けた。

 何戦も、何戦も間断なく対戦を繰り返すとあっという間に時間が過ぎていく。

 「あー!!」とか、「ぎゃー!!」とか声を上げて、ヒリヒリする喉を酒でごまかし、一缶空いた頃にはもう一時間半経っていた。

 戦績ではまだ僕の方が上回っていたのがまだ救いだった。

 火照った体を冷ますのに、無性に欲しくなるのは甘くて冷たいアレである。

「ごめん、ちょっくらコンビニ行ってくる」

「じゃあここらでお開きだねー」

 お互いに、またー、と軽く挨拶を交わして通話を切った。

 どこからどう見ても部屋着なので、雰囲気外行きを擬態してから家を出る。

 アパートの二階廊下、どうしてか一つだけ消えかかっている電灯がやけに目についた。

 

 梅雨が間近に迫った今日も雨が降ったらしく、水たまりがない程度に地面が濡れ、黒いアスファルトの上にもやが立ち上っていた。

 夕食時を過ぎて人のいない路地を、コンビニに向かって心のスイッチを切ってぼんやりと歩く。

 ――ブブ。

 ポケットの中で振動したスマホを習慣で見る。なんとなく、詩穂からじゃないかって期待もあった。

 ロック画面に表示された予想外の送り主に、

「高橋くん?」

 思わずその名前を呟いた。珍しいってか、初めてじゃないか? 

『相談があるんだけど』

 明らかに関わらない方が良さそうな雰囲気がプンプンしてる。僕から見た彼の位置は、相談を受けるほど仲良くはないからだ。

 できれば、このまま未読まま終わらせられないかな。でもなんか深刻そうだしなぁー。

 一旦、ロックを解除もすることなくそのままポケットに戻し、コンビニに入った。

 棒アイスと、炭酸水、明日の朝のために明太子フランスパンを「あじゃっしたー」みたいな気だるげな店員を通して購入し、外に出るなりアイスの封を解いて、かじる。

 見ないようにしてはいるけど、僕の心の中はあの短い一文でいっぱいになっている。

 ――あ、そうだ。

 ぱっと閃いた僕は、彼をよく知る(はず)の詩穂に、画面のスクリーンショットとともに、

『どうしたらいいと思う?』

 と、投げかけてみることにした。すぐに既読がついた。

『しらねワラ』

 ……思わずスマホを落としそうになった。

『うそうそ。逆に、忍にしか言えないことなのかもよ。あたしとかじゃダメな話なんじゃない?』

 すぐにまともな返事がくる。

『そうかなぁ。なんか嫌な予感するんだよね。関わらない方がよさそうっていうか』

『あーね、どうなんだろ。話聞いてから決めるのでも遅くないんじゃない』

『確かに。そうするよ』

 一度詩穂にお礼を言って、高橋くんに返事をする。

『お久しぶりです。相談とは……?』

 なんとなく困惑した感じの文面にしておいた。

 間もなく帰宅。

 忘れていた風呂にも入り、再度スマホを見ると高橋くんからの相談が書かれていた。


『梓が、浮気してるかもしれないんだけど、どうしたらいい?』


「えー……」思わず声が出てしまう。

 ……しらね。まさしくその一言に尽きる。

 もう一度スクリーンショットを撮り、それだけを詩穂に送った。

 少し経って、頭に天使の輪がついた笑顔の絵文字が送られてきた。

『本音を言えば、無視でいいんじゃって思うけどなぁ』

『僕もそうしたい』紛れもない本音だ。

『これは確かにあたしには言えない相談だわ』

 文面だけなのに、画面の向こう側で詩穂がニヤニヤしてるのが分かった。でもその理由は聞かないでおく。

「えー……どうしよっかなぁ」

 既読つけちゃったしなぁ。このまま無視ってわけにもいかないし。

 かといって安易な返事はできない。

 しばらく悩んだ末、僕は返信を一晩寝かせておくことにした。

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