第18話
勢いで予約をとって、勢いで来たカラオケ。
二人で来るのは初めてだと、ふと思い出した。
特にこれから先に行く宛もない僕らは、昼料金でなるったけ長い時間居座ることにした。
部屋番号が載った番号札をもらい、同階の部屋へ向かう。
途中、ドリンクバーとトイレの位置も確認済。
部屋は薄暗く、液晶モニターがやけに眩しい見慣れた感じ。
L字型の固いソファを囲うように設えてあるテーブルに部屋番号のレシートを挟んだバインダーを置いて、よれたリュックを奥に置く詩穂を待って部屋を出る。
「ソフトクリームあるじゃん」
「別料金な」百八十円。
「ちぇっ」
詩穂に先を譲って隣で待つ。
メロンソーダとカルピスソーダを混ぜたものを初っぱなから注ぐのを見届け、僕はとりあえず山ぶどうサイダー単品を浅めに注ぐ。
部屋に戻るなり詩穂はステレオ脇の選曲用タブレットとマイクを抜き、タブレットは自分の前に、マイクは僕の前に置いた。
「さんきゅ」
アイドルのPVを見ることしばし、わずかな沈黙のあと画面が切り替わった。
タブレットを受け取り、いつも歌っているアーティストを歌手検索する。
詩穂の一曲目は僕でも知ってる有名なJ-POP。前のカラオケでも歌ってた曲だ。
男性アイドルの曲を、言ってしまえば無難に歌い上げる。
僕が入れた曲に切り替わるまでの間に小さく拍手した。
悩んだ結果、僕も下手にならない曲を入れていた。
二人きりで歌うのは緊張する。無意識に唇が震えてしまう。
「下手でごめん」
「そんなことないと思うけど」
「お世辞ありがとう」
「捻くれてるなぁ」呆れた口ぶり。
「ダチと行っても、音はずれてるとか笑われることの方が多かったんだよ」
「は? そんなこと気にしてんの?」
「いや気にするでしょ普通」
「アホくさ。カラオケなんて雰囲気じゃん。
自分が楽しけりゃ上手い下手とかどうでもいいの。好きな曲歌えばいいじゃん」
「そっか。それもそうだね」
漢らしいなぁ。自然と口元が笑ってしまう。
「誰の印象気にしてんの?」
「詩穂の」
「……そういうのよくない」
「ごめんて。……次、入れないの?」
「悩んでただけだし」
メロンカルピスソーダを傾けてから、端末に向き直る。
――僕はただ、その横顔を見ていた。
細い指先が、落ちてきた髪をすくって耳にかけた時。
机に置いていたスマホで電話が鳴って、驚いて取り上げたそれを見ては顔をしかめ、電話に出ることなくまた元の場所に戻す。
僕は一度視線を目の前の机上に落とす。
照明とモニタの光がちかちかまだらに反射する化粧板の上に乗った手をこねて、破いたおしぼりの袋をいじり、胸がきゅうっと締め付けられたとしても、何も言わなかった。
僕にできることは次の曲が始まるのをじっと待つことだけだと信じたから。
しばらく待つと思い出したように次の曲が始まり、詩穂は何もなさそうに歌いきった。
気にしないように振る舞ってるのがバレバレだが、僕も下手にお節介を焼くつもりはなく、ひとまず今日一日は好きにさせておくつもりだった。
焦らなくったって、実家住まいの人の家出なんて大して続かないことくらい、大人になった今ならよく知っている。
浮かれていた気持ちも長い沈黙を挟んで落ち着いてしまった。
「忍、次入れないの?」
はっと我に帰る。
「ん? ああごめん、ぼーっとしてた」
目の前にある選曲用の端末をいじくり、悩んでいるフリをする。
「普段カラオケとか来ないから、何歌っていいかわかんなくなっちゃうんだよね」
「わかるー」
スマホをいじる詩穂が言って、
「なら、無理して歌わなくていいんじゃない? あたしと二人だけなんだし。気遣わなくていいよ」
カラオケで歌わないなんて選択肢あったのか。まあ違う意味でお前が言うなだけど、ここは素直に乗っかることにする。
「それならお言葉に甘えて」
端末を触るのをやめ、硬いソファにもたれる。
モニタの向こう側で騒ぐ男性グループをから机の上に視線を落とすと、バインダーの下で猛アピールしてくる「ソフトクリーム食べ放題!!」に唐突に心が惹かれた。
「全然違う話だけど、ソフトクリーム食べる?」
「え、うん。……え?」
多分反射で返事をしたのだろうが、僕は構わず受付に繋がる受話器を取って注文する。
「ほら、行こう。元取らないと損だよ」
「ほんとデリカシーない」
「まあまあ、いいじゃん」
言いながら、部屋を出た。
ちなみに別料金とは言ったけどダメとは言ってないし。
俯く詩穂のためなんかじゃなくて、ただ僕がソフトクリーム食べたかっただけの話だ。
カラオケではその後歌うことはなく。
ソフトクリームと温かい飲み物を交互に取りに行き、トイレにも行き、それぞれ特に会話もなくてスマホをいじっているだけだった。
こうしていてもしょうがないと退店を口にしたのは七時少し前だった。
いろいろと飲み食いしていたせいで腹はどちらかというと膨れている状態で、なんとなく習慣で入れそうな居酒屋を探してしまう。
かといってどこかへ行こうという元気もなくて、僕らは駅へ向かって歩いていた。
この感じ、あの時みたいにまた胸の奥がチリチリと痛む。
「――あの、さ……」
「うん?」
「詩穂はこのあと、どうしたい?」
さすがにもう先延ばしにもできないし、意を決して口にする。
「どうしたい、かぁ……」
「帰る?」
ふるふる。首を振る。「それは嫌」
「ですよね」
「忍はもう帰るでしょ?」
「そのつもり。明日仕事だし」
「そっか。じゃあ改札でバイバイだね」
――来た。今しかない。僕は乾いた口の中にわずかに残った唾を飲み込んだ。
「何言ってんのさ。うち来るんでしょ」
今度こそ間違えない。あの時の後悔を殴りつけて、恥ずかしさで走り出したい衝動を我慢して、なんでもないことのように言ってやった。
「えっ!? いや、だって……、だって……」
今度は詩穂が慌てる番だった。
頻りに髪に手櫛を通しながら、行かないで一人で過ごす理由っぽい何かを並べ立てる往生際の悪さに、身勝手だと分かっていながらも少しだけ苛立ちを覚えてしまって。
「ネカフェでもいいけど、どっちにしろ一人にはさせないから諦めてね」
僕自身が驚くほど、強い語気で言い切ってしまった。ざまあみろ、僕だって言えるんだと心の中で舌を出す。
「……!!」
僕の剣幕に、ぴたり、と意味のない言葉が止まる。
返事を待ってゆっくり歩いているのに、もう改札が目前まで迫っていた。
どうするの、と足を止めそうになったところで、
「……ごめん。行く」
ようやく小さな声で頷いた。
どっちに、なんて聞くまでもなかった。
「……うん」
僕が先に定期で改札を抜ける。
後ろでピンポンと鳴った。振り返ると、ペコペコしながら詩穂が駆けていく。
少し待って無事に改札を抜け、
「チャージしなきゃなの忘れてた」
「あるある。行こっか」
ホームへの階段を上がって、僕らは数分後に来る電車を待つ。
どちらかなのかはわからないけど、気づかぬうちに僕らは指先だけで手を繋いでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます