第16話

 ほとんど夜に染まった夕方の街を、男女で二人ずつ並んで歩いている。

 僕はさっき、高橋くんの大学での野球部の話から、彼の日常の話へと逸らすことに成功したところだった。

 もっぱら興味のないヤンチャ話を聞き専でいて、こんなところで彼が「若いなぁ」と感じることになるとは思わなかった。

 年はそういくつも違わないはずだけど、社会人になった一年間で、僕は大人になったのか、ただ世の中への興味を失っただけなのか、そんなことを考えていた気がする。

 僕はスマホの時計を確認して、後ろをついてくる女子二人に声をかけた。

「まだ三十分くらい時間ありますけどどっか寄ります?」

「何時からでしたっけ?」と、山本さん。

「六時ですね」

「そうですかぁ……、あっ! ねね、ゲーセン行きましょっ」

 僕らが反応するより前に彼女たちはゲーセンのビルに近づいていき、僕らも特に候補はなかったのでその後に続く。

「高橋くんはゲーセンとか行くんすか」

「あー。梓とはよく行きますね」

 へぇ、なんか取ってあげたりするのかな。

 クレーンばかり並んでいる入口の景色に、僕はありきたりな感想を抱いた。

「詩穂ちゃん誰推しだっけ?」

 足を止めた入口にほど近い筐体には、扇形に区切られた枠にマイクを持った五人のキャラクターのポスターが貼られていた。

 透明な台座の上に、そのうち赤と青の髪色の男性キャラクターのプライズフィギュアが飾られている。

「あたし黄色」

「わかる。かわいいよね」

「梓は?」

「私は青」

「あー、好きそう」

 顔を筐体に向けているだけですぐに歩き出す。

 ポスターの枠の一つに、ここにはいない黄色髪でくせっ毛のキャラクターが、スポットライトに光る汗を散らしながらウインクしていた。

「それに今取ってもねー」

「わかる。そもそもあんま顔がよくない」

 横目に見たそのフィギュアの顔は、確かにツヤがないというか、のっぺりしているように見えた。……普段、水着の美少女ばかり見ているせいかな。

 狭い店内をゆっくりと見て回る。

 歩きながらさっきの五人のキャラクターの作品は今、女の子の間で流行っていると教わり、その言葉通りデフォルメされたマスコットだったり、キーホルダーだったりと、形を変えた景品が飾られている筐体がいくつもあった。

 店内にいるのも二人組の女の子が多く感じられた。

「特にめぼしいものはないね」「だね」

 あっさりと言い放つ二人に先導されて入口まで戻ってくる。

「そういや、忍と梓って一緒にゲームしたことあるんだっけ?」

 脈絡なく詩穂が言う。

「いや、ないかな」特に深く考えずに僕が答えると、

「じゃあ、せっかくなので一ゲームだけ対戦しましょ? 忍さんゲーム上手いんですよね?」

「あ、じゃあぜひ」

 さり気なく腕を絡ませてきたのをやんわりと押し戻しつつ、上手いと言われて快諾した。

「やたっ! 行きましょっ」

 再度山本さんに腕を引かれる形で、入口側の薄暗い階段を降りる。

 席は七割ほどは埋まっているくらい混んでいて、どのゲームで遊ぶかというより対面席が空いていたところに腰を下ろした。

 やるのは僕が子供の頃から続いている、有名な格闘ゲーム。

 最近のはやったことがないけど、とりあえず昔よく使っていたキャラを選んでおけば戦えないこともないだろう。

 ……そう、思っていた。

 しかしいざゲームが始まると、ゴングが鳴った瞬間に踏み込みが長く突き上げる掌底をもらって宙に浮き、一度も地面に足をつくことなく初戦はKOされた……。

「マジかよ」

 僕の画面を見ていた詩穂が爆笑している。

 二戦目、まずは初撃を防がなければ……。

 ゴングが鳴ると再び同じ攻撃を繰り出してきたのを防ぎ、その後の下段の足払いもガード。

 反撃で僕も下段キックを出してから、立ち上がりつつ回し蹴り。

 そこを掴まれて投げ技に繋がれてダウンし、明らかに起き上がりを待ってもらってから反撃するも全く歯が立たない。

 あっさりと三本先取の二戦目、三戦目もほぼパーフェクト負けを喫した。

「ありがとうございましたぁ、楽しかったです。またお願いしますね」

「う、うん、こちらこそ」……うん、二度とやらない。

 予約の時間もあるので、僕らはゲーセンを出て、当初のルートに戻る。

「意外だよね、梓が格ゲー好きなの」

 僕の隣を歩く詩穂がニヤニヤしている。

「いやほんと。歯が立たなかったよ」

 あそこまで完膚なきまでにやられると悔しさすら湧かなかった。素直に同意する。

「いやいや、そんなことないですよう」

 そういう山本さんはまんざらでもなさそうで、

「二度とやりたくなくなるよな……。クレーンも上手いし」

 と、高橋くんがそれを否定する。

 ようやくさっき彼が言ってた「梓とはよく行く」という意味を、僕は正しく理解した。

 ……少し彼に優しくできそうな気がした。

 

 ゲーセンから予約していた居酒屋までは徒歩数分の距離。

 明らかに光量過多の路地にあるビルの三階。近くの焼肉店からの排気で肉の焼ける匂いが一面に漂い、誰かの腹が鳴った。

 店内に入って受付を済ませると個室に案内され、単に並び順で僕と高橋くんが対面で奥に座る。僕の隣には山本さん。

「焼肉屋でもよかったかもね」

「次はそれもいいな」

 山本さんと、高橋くんがそれぞれ言う。……わかる。店の前に焼肉の匂いが充満してたのは卑怯だと思う。

 早速三人が次の話をしているのをうけて、僕は今日一日を振り返る。思っていたよりは楽しかったけど精神的にすごく疲れたし、やっぱり詩穂と二人が一番ちょうどよかったな。可能なら、次は二人で来たいなぁ。

 またチャットで意味のない話をしたり、デートの予定立てたりもそうだし、――

「忍さん?」

「えっ? あ、ごめんぼーっとしてた」

 隣の山本さんから声をかけられてハッとする。

「ふふ、お疲れですね。飲み物何にします?」

 注文用の端末から注文リストを見る。といっても大体いつも頼むのは一緒なんだよな。

 無難にグレープフルーツサワーをリストに入れて、先に送信ボタンを押すついでに、あくびも一つ追加注文してしまった。

「忍さんてかわいい」

 僕は山本さんが小声で言ったそれを聞こえないフリした。

「食べ物どうしましょっか」

 トップ画面でオススメ表示されていた季節メニューを開く。

「あたしこれがいい」

 詩穂が言ったのは桜のジェラートに、焼き菓子がトッピングされていたもの。

「それは最後にしようよ……」

「お前、前も最初に頼んでたよな」僕の言葉に乗っかるように高橋くんも続くが、

「まあいいんじゃね。詩穂らしくて」

 あっさりと肯定されてしまい、なんだか僕がまた浮いた感じになってしまう。

 彼の方が仲がいいような、知らないことをたくさん知っているような、特に意味はなくともいわゆるマウントを取られているような、そんな気分になる。

「……やっぱあとでいいかな」

 ややあって、詩穂がデザートから定番メニューのタブを開いた。

 フライドポテト、から揚げから始まり、たこわさ、揚げ出し豆腐、といった感じに僕が何を言うでもなくバシバシ詩穂が注文リストに突っこんでいく。

「こんなもんかな」

 ぴろん、と送信音が帰ってきた。

 全員分のジョッキが届くのを待って、「じゃ、お疲れ様でーす」と山本さんの音頭で乾杯。

 それから過去にあった彼らのサークルやら、同級生との飲み会の話を肴に、次々と運ばれてくる料理を囲む。

 食事と共に酔いも進み、隣の山本さんも顔が少し赤く、表情も伴って大人っぽさがずっと増して見える。

「そういえばぁ、」

 と、会話の中心にいた彼女が、不意に話題の転換をする。

「忍さんて、好きな子とかいるんですか?」

「え。なにそれ気になる」

 さっぱり顔色の変わらない詩穂も、グラスつけた口元をニヤつかせながら言う。僕にこの場で詩穂が好きだと宣言させるつもりなのか。

「んー……、今は、特にはいないかな」

 悩んで、僕は一番追及をかわすのに便利な回答を使う。

「えー、詩穂ちゃんは?」

 やっぱり、山本さんにはバレている。

「まさか。ただの腐れ縁だよ。あり得ないって」

 気持ちいい酔いも一瞬で覚めるほど胸の奥がズキズキと痛んで、つい苦笑いになってしまった。

 視界に映る詩穂はさっきの言うほどは興味なさそうで、スマホをいじっている。

「なんだぁ、残念。お似合いだと思ってたんだけどなぁ」

「いやいや」

 彼女のそれに一喜一憂してはいけないと分かりつつ、いやいや、と冗談交じりに否定をしてみせると、

「でもそうですよね。いくらお似合いって周りから言われても、私は幼馴染みから好きって言われたら、キモすぎてブロックしちゃうなぁ。あり得ないですよね。ね? 詩穂ちゃん?」

 全員が詩穂に注目する。

 詩穂は不意に自分にボールが回ってきて少し驚いた顔をしていたが、口につけていたグラスを置いて。はぁ、と小さくため息をついた。

 呆れているというか、うんざりしているというか。

 その間も僕の隣で山本さんは彼女の思う「理由」を並べ立て、返す言葉に詰まっているのか、そうだなぁとか、うーん…とか言っている。

 だんだん僕らも待ちわびて白け始めた頃、ごく僅かな時間、山本さんが息を継ぐ瞬間。

 店内の喧騒がふっと途切れた。

 大げさかもしれないけど、それは詩穂のために神様が用意した”隙”に違いなかった。

 一瞬のうちに目元を細め、口の端を釣り上げた彼女は、背筋が寒くなるような悪役顔へと表情を歪めて。

 はんっ、と小さく鼻で笑った。


「あんた、ほんとくだらないわ」


 山本さんが、今日初めて詩穂に圧倒されたのを感じた。

 僕は思わず息を呑む。

「言いたかったのはそれだけ? ほんとくだらないわ。前からそう、自分が一番じゃなきゃ気が済まなくて、男子にばっかいい顔してさ。片思いしてる子から奪ったり、浮気誘って別れさせたりもしてたし、一方的に敵と決めつけた子には陰口とか、意地悪とか、そんなんばっかでさ」

 それは、再会したあの日、自分自身に起きたことを語っているのか。

「見た目がかわいいのは知ってる。でも、それが何? 手当たり次第男子引っかけて何がしたいの。……まぁ? それで鼻の下伸ばすやつがいるのも悪いんだけど」

 そう言って詩穂は僕を見たので、つい視線を逸らしてしまった。

 山本さんが反駁する。

「男の子からたくさんモテたいって思って何が悪いの? 意味分かんない。そんなの、私より可愛くないのが悪いんじゃん。詩穂ちゃんだって正義ぶってるけど、男の子が好きそうな格好してるじゃん。私と同類でしょ」

 普段女の子と付き合いのない男子ほど、ちょっと優しくされただけで「気がある」なんて、女の子のこと勝手に意識しちゃうんだよな……。それで舞い上がって告白して、成否問わず次の日クラスで公開処刑されるまでが一連の流れ(経験談)。

 淡い思春期の短い回想に、ほんのり僕はブルーになる。

「は? 梓と一緒にすんなっての。あんたみたいに誰でも股開けばいいってわけじゃないし」

 じゃあ誰ならいいの、という疑問を僕は舌の先で転がしては飲み込んだ。

「何それ、想像で勝手なこと言わないでくれるかな。そういうのセクハラだし、モテるのと、……その、そういうことするのは別でしょ」

 山本さんが「肝心なとこ」を少し言い淀んだのは意外だった。

「何が別なの? 恋愛するなら誰しも通る道でしょ。まさか、――」

「違うし!」

 繰り広げる不毛な言い争いを、僕と高橋くんは黙って見守っていた。というか、高橋くんはスマホをいじっていてただ待っているように見える。……慣れてるようにも見えた。

 目まぐるしく話題が移り変わる舌戦も、初めこそ本当にお互いソリが合わないんだろうなぁ、と聞いていたが、僕は途中から何に腹を立ててるのかもよく分からなくなり、それは当の本人たちも同じようで辞め時を見失ってきているようだった。

 しまいには、

「うっ……ぐすっ……! 忍さぁん、詩穂ちゃんひどくないですかぁ?」

 なんて、僕にはさっぱり分からないまま山本さんが突然泣き出しては僕の腕に寄りかかり、それを見た詩穂が、

「言ってるそばからなんなの? そういうとこがあたしは嫌いって言ってんの」

 とさらに追い打ちをかける始末。

 ……なんだろう、このカオスな空間は。どうにかしようとする気も失せるめんどくささ。

 つか、高橋くんの三白眼をものともしないって、すごいなこの子。あ、もしかしたら今日って僕の命日かな。

「はぁ……、なんでこうなるかな」

 詩穂がわざとらしく長嘆して席を立った。

 高橋くんは腕を伸ばして、あっさりと僕から離れた山本さんが向ける頭を撫でている。

 幸いこの異様な光景も、個室なのが幸いしてほかの客から注目を浴びることもない。

「ちょっと、外の空気吸ってくる」

 置物と化していた僕に声をかけると、高橋くんは山本さんを連れ出した。

「あの二人どしたの」

 入れ替わりで詩穂が戻ってくる。

「外行ってくるって」

「あっそ」

 僕の前に座る詩穂は高橋くんのグラスを除けて自分のを引き寄せると、残り僅かだった色の薄いサワーを飲み干した。

 ブブ、とスマホが震えて四人のトークに新着。

『悪い、梓が帰るっていうから俺もこのまま帰るわ。また行こーぜ』

 スマホをいじっていた詩穂もちょうど見たようで、マジか、と呟いた。

『せめて金おいてけ』

 向かいの方からのお怒りのレスに、すぐに『Sorry』の吹き出しで「ごめんなさい」しているウサギのスタンプが返ってきた。

 そこから二言、三言やり取りをしていたみたいだが、僕はなんだかもう笑えてきてしまって、見るのをやめていた。

「何笑ってんの? キモいよ」

 まだ機嫌の悪い詩穂は、小さく笑う僕に聞いた。

「いや、なんていうか、やられたなぁ~って思って」

 きっと、山本さんの涙ももう引いていることだろう。彼女に文字通り付き合う高橋くんも大変だな。

 少しだけ高橋くんを不憫に思いつつ、まぁでも、と笑みを引っ込めるとため息をついた。


「やっぱ金はおいてけ、って感じだよね」

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