第13話
冗談だろ……!?
僕が初めに抱いた感情はそれだった。
いやだってあり得ないでしょ。この前会ったばっかりだし、あの子は高橋君と付き合っていたのに。
「で、ダブルデートしたいんだってさ」
「あ……、あぁ、うん」聞いたことがない不穏な単語が出てきたのに妙に安心してしまった。
「パートナー交換して、だって」
「えっ!?」
そしてまた手のひら返し。
二転三転する状況に往復ビンタされているかのようにいちいち驚き、ついに間抜けな声を上げ、
「忍、どう思う? あたしは……その、まぁいいかなって思うんだけど」
「……うん」詩穂なら絶対にノーだと言うと思ったんだけどな……。「詩穂がそう、思うんならいいんじゃないかな」
本心に反して、流されてしまう。
「そっか。じゃ、そう言っとくね」
随分あっさりした反応がやるせない。
詩穂の中ではまだそれくらい高橋君の存在が大きかったということだろう。それこそ、僕なんかじゃ到底届かないくらい遠くにいるって、一人で勝手に痛いくらいに感じてしまった。
……なんかもう、どうにでもなれ。
仕事と緊張による疲れと絶望感の相乗効果で投げやりな気持ちになり、詩穂の顔を見ることも嫌になってしまいそうになる。
なんかもう、早く帰って眠りたい。
まだ半分残っているハイボールが恨めしい。
「これ飲んだら帰ろっか」僕が手元を見たまま言う。
「そうだね」
それを機に、僕らの間で会話がなくなる。
端から見たら、別れ話をしているカップルにでも見えるだろうか。でもまだきっとそっちの方がマシなんだよな。
僕はまだ詩穂の彼氏でもなんでもないし、スタートラインにすら立ててないんだから。
別れ話の一つでも出来る方が、僕らの距離は近いに違いない。
詩穂のグラスが空になったのを見て、僕も残り僅かの薄くなったハイボールを一気に飲み干した。
「行こっか」
端末から会計ボタンを押して、先に荷物をまとめていた詩穂に続いてレジへ向かう。
働いている僕が少し多めに払い、店員さんに貼り付けた笑顔で「ごちそうさまでした」と頭を下げて店を出た。
冷たいアルコールで温まった体に夜風が気持ちよく、また僕の沈鬱な気持ちを冷やすにもちょうどいい。
駅の改札まで、僕らには変わらず会話はない。
詩穂はずっとスマホを触ってるし、僕は気づけば足下ばかり見ていた。
「じゃ、またね」
無表情の詩穂が今日の終わりを告げる。
「うん、またね」
僕もできるだけ表情を殺して頷き、遠ざかる視線を落とした踵が、僕から二歩離れたところで止まった。
「……ほんとにいいの?」
小さな声に僕はハッとして顔を上げる。
いつもな強気な相貌は、僕でも分かるくらい不安に揺れていた。
「……何が? 詩穂が決めたんでしょ?」
なのに、僕は最後まで素直になんかなれなくて。
くしゃくしゃになっていく詩穂の顔を、どこか遠くにいる自分が眺めているしかなくて。
「そうだったね、ごめん」
今度こそ、詩穂は改札を抜けて人混みに消えていった。
小さな背中をずっと追っていたのに、振り返ることもなく。
この時をもって僕は片思いの終わりを悟った。
僕自身の手で、終わらせた。
翌日、金曜日。
僕は体調不良を理由に仕事を休んだ。
帰ってから強めの酒を飲み直したせいか、視界が揺れていて立つこともままならなかった。まだ酔いも抜けてないし、起きても確実に二日酔いだ……。
仕事の連絡だけしてから目を閉じると、僕はまたすぐに意識を失った。
――次に目が覚めたのは午前十一時。
少し気分は回復していて、とりあえずトイレを済ませる。
ひどく喉が渇いて、手を洗うついでに水道水をがぶ飲みしてから布団が蹴落とされたベッドに戻った。
いつもなら寝ている間に一、二通ある詩穂からの着信もないことに強烈な虚しさと寂しさを感じてトーク画面を開く。
昨日一日分くらいのトーク履歴を遡り、入力欄をタップした。
『昨日はごめん』
その一言を一度打っては消し、再度打ち直してはしばらく眺め、痛いくらいに鳴る心音を深呼吸をして落ち着かせてから、目をつぶって送信した。
それから冬島さんからの心配するチャットに表面的な返信をした。
PCの電源を入れて最近やっているブラウザゲームを起動する。
今日のノルマと普段はめんどくさくてやらないモードのクエストをやり、いくつかのゲームでそんなことを繰り返しているうちに昼の一時を回っていた。
スマホを確認すると相沢さんから変なスタンプが送られてきていたので、可愛いキャラクターがボディブローを入れているスタンプを返した。
失礼な話だけど、相沢さんの意味不明さに救われている僕がいる。
月曜日はいつも通り仕事に行こう。
詩穂のことは残念だし、気を抜くとすぐに昨日の後悔が僕を苛むからこそ、仕事をしているくらいの方が気が紛れるだろう。
もう、会うこともないのかな……。ダブルデートだってもちろん行きたくない。
でも山本さんが本気なら、彼女と付き合うのも悪くないかもしれない。
詩穂には悪いけど、容姿だけで言えば山本さんの方が好みなんだよぁ。
んで、高橋君が詩穂と結ばれれば、元の鞘に収まってかつ僕は可愛い彼女ができる。
案外、そんな未来も悪くないかもしれない。
……ふざけんな。あり得ないだろ。
三日間を無為に過ごした翌月曜日。
仕事には行きたくないのに奇妙なやる気に身を任せて仕事をする。
「そういや今週はデートしたんですか?」
いつものように画面を見たままの相沢さんが唐突に言う。最近週明けの恒例になりつつある質問だ。
「いや、それが……。ダメになっちゃったんすよね」
違う。僕がダメにしたんだ。
せっかく忘れていたのに、また胃のあたりがズキズキする。
「いや、僕が悪かったんすけどね」
「そうですか」
僕が乾いた笑いを浮かべながら吐いた自虐に相沢さんは手を止めた。腕を組む。
「俺は恋愛とかよく分からないんで、参考になるかも分かんないんですが」
前置きをしてからしばらくの沈黙を挟み、切れ長の目が僕へ向いた。
「とりあえず、今夜飯でも行きますか」
「……了解っす」
本当はそんな気分じゃなかったけど、相沢さんが職場では言えない何かを言おうとしてくれてるのは分かった。
であれば、その優しさを無下にして断ることなんて出来ない。
「なんか嫌いなものあります?」
「いや、基本なんでも大丈夫っす」
「じゃ、ケーキバイキングですかね」
「どうしてそうなった。いやまぁ別にいいっすけど」
数日ぶりのツッコミに自分で笑ってしまう。
「近場行きますか」
「そっすね」
短い会話を打ち切り、僕らは仕事に戻る。
定時で仕事を切り上げ、相沢さんとビルを出た。
職場からほど近い高層ビルの地下にある居酒屋の暖簾をくぐり、カウンター席に隣り合って着席した。
僕らはとりあえずビールを注文し、お通しのひじきの煮物を突く。
乾杯もせずに黙々とお通しを食べ、食事を注文した。今回はチキン南蛮もしっかり頼んでいた。
「さすがにね、仕事中に話すわけにいかなかったんで、お疲れのところ連れて来ましたけど」
「はい」
「あー、もっと崩していいですよ。仕事じゃなくて俺のお節介なんで」
「じゃ、お言葉に甘えて」
はたはたとめんどくさそうに顔の前で手を振る相沢さんの言葉に頷く。
「とりあえず、たまには誰かと飲みにでも行きたくなったんですよね」
「……なら、冬島さん呼ばなくてよかったんすか?」
相沢さんは持っていた箸を、お通しが入っていた小鉢の上に置いて、腕を組んだ。
「その方がよかったんですか」
何気ない一言が、不思議と僕の胸を深く抉った。
「すいません」
「いやいや、悪態つきたくなるときもありますよね」
笑ってビールを煽る。
「迷ったんだけど、女性には言いにくいこともあるかと思って控えたんですよ。……うふ、今夜は二人きりだね(棒読み)」
「あ、そういうの間に合ってるんでほかでお願いします」
相沢さんは「くっくっ」と小さく引き笑いをして、
「そんなわけで、言いたいことがあれば言ってくれれば聞くし、なければ楽しく酔っ払いましょうってやつですね」
運ばれてきたソーセージを僕はかじってから、
「相沢さん口軽そうだからなぁ」
「冬島さんに言うくらいですよ」
いや言うなよ……。ほんと、つかみ所がない。でも最近はよく人を見ているんだと言動の端々に感じるようになった。
一歩引いているのに遠さを感じさせない距離感は、相沢さんだから保てるんだろう。
「……いつもありがとうございます。迷惑ばっかかけてすいません」
自然と感謝が漏れた。
「別に、仕事だからやってるだけです」
どこまで本気かはわからないことを言って、小さく笑った。
これは仕事じゃないという矛盾をわざとスルーした。
「じゃあ、せっかくなんで、聞いてもらえますか」
「喜んで」
僕はテーブルに頬杖をついて、チキン南蛮を咀嚼しながら話し始める。
山本さんのこと、高橋君のこと、木曜日のことと、詩穂への気持ち。
金曜日送った謝罪にも、既読すらつかないこと。
あの時の後悔も……。
相沢さんはあちこち話が行ったり来たりする僕の説明に、口を挟むことなく頷いていた。
なるほど大体分かりました、と理解を示して、
「えーと、前も言ってましたけど、俺には恋愛とかよく分からないし、誰かを大切に思うとかってのもよく分からなかったんですよね」
僕とってそれは意外な吐露だった。
別のチームの人、違う部署の人、リーダークラスの人、いろんな方がわざわざ相沢さんの席まで来ては冗談をかわし、笑顔で去って行くのを見ていたからだ。
なんなら僕をネタにされたこともある。相沢さん自身も結構きつめのブラックジョークにも、皮肉で返していたし。
それに、
「よく分からなかった、ってことは、今は違うんすか」
相沢さんはおしぼりで口元を拭ってから、
「さあ、どうですかね」
と、とぼけてみせた(ように見えた)。
「ただ、少しだけ忘れていたものを思い出すことは出来たかも知れないな、とは思ってますね」
「あの……、前に言ってたおうちに居候してるっていう……」
ふと、最近一度だけ聞いた、家出をしてきたという親戚が思い当たった。
その人は常識もなく、いろいろ大変だけど、帰ったときに誰かが待っていてくれるのはいいものだとか、一人でいるのが好きだと聞いていた相沢さんが珍しく漏らしていたのでよく覚えていた。
「さあ、どうですかね」
もう一度流してから、
「まあ、だからこそ――」
口元にウイスキーのグラスを当てたまま、横目で僕を見据えて、
「甘えてんじゃねーぞ」
どきり、と。
初めてかつ不意に見せた相沢さんの顔つきに威圧され、恐怖からか指の感覚が薄れていくのを感じた。
「なんてね、思ったりするわけです。俺が言う権利はないですが」
そう言って瞳を弓なりにした相沢さんには、さっきの寒気のする眼差しはなかった。
相沢さんは銀縁のメガネを手で挟むように直してから続ける。
「自分に楽な言い訳って、結局、全然楽じゃないんですよね。もう辞めちゃえばとか、さっきの……名前は忘れたけど女性と付き合っちゃえばとか、そんなので利田さんは納得するんですか」
自然と感覚の戻った指で、僕は持っていたおしぼりを握り締めていた。
「ゴールポストずらしたら、反則負けにしかならないんですよ。そんな選択するなら変な言い方ですけど……、俺は一緒に仕事したくないですね」
普段、ほとんど他人に対して言及しないこの人が、面と向かって言ってくるということ。
その価値は多分、僕じゃないと分からない。
「――自惚れかも知れないですけど、相沢さんにそう言ってもらえるって、僕は幸せ
前を向いて、青リンゴサワーを飲み干す。
「なんていうか、どうすればいいのかはまだ分かんないっすけど、どうしたいかは分かりました。……いや、最初から決まってたんですよね」
「話聞いてて、初めから答えは決まってたんだろうなぁ、と俺は思ってましたよ。ただ、言い訳って他人にするものであって、自分にするものじゃないと思うんですよね。何事も言うは易く行うは難し、ですが」
僕は箸を止めて、傾聴する。
「自分に言い訳したら、大体やらないんですよね」
言葉の端々が、僕の中のどす黒い何かを晴らし、染み渡っていくのを感じる。
「そんなの、もう辞めちゃえばいいんじゃないですか。誰も認めてくれない独りよがりのプライドなんて、捨てちゃっていいんですよ」
僕は今までなんで意地を張っていたのか、目的も理由も言い訳さえも分からなくなった。
「……すいません、もう大丈夫っす」
――詩穂に会いたい。
今の僕にダブルデートの憂鬱さはなく、反対にどう逆手に取ってやれるか、彼らを出し抜けるか考えるべきなんだと気づいた。なんで忘れていたのか。
「こんなことに時間使ってもらって、ありがとうございます」
「……ただ俺が、独り言聞いて欲しかっただけですよ」
ストロベリーパフェを勝手に二つ頼む様を見ながら、素直じゃないなぁ、とちょっとおかしくなる。
「デザート食ったら帰りますか」
そう言いながらウイスキー(ストレート)のおかわりも注文している。
僕もそれに乗っかって梅酒サワーを注文した。
こんな夜の次の日は決まって二日酔いになるからな。
その暁にはまた、相沢さんに文句を言うことにしよう。
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