第8話 運命を変えた2002年

2002年は私にとって運命を変えた年でもある。


ここで言うのもなんだけど、本当にこの年を後悔している。




6月に入籍したものの、私は品川の家にいて相変わらず忙しく仕事をしていた。彼の家族は女全員が当番制でお義父さんを看るというのがモットーのようで、私は仕事の休みに合わせて土日が当番になっていた。土曜日、もしくは金曜の夜に所沢へ行き、土曜と日曜の昼間がお義父さんの付き添いで、月曜日の朝に所沢から会社へ出勤するというものだった。



当時の医療は、告知に関して家族に委ねられていた。お義父さんが脳への転移で倒れたあと、本当のことを伝えるべきなのか、それとも転移のことも余命のことも隠し通すか、義理の妹たちの家族も含めて全員で話し合った。結果は癌という言葉を使わずに「脳腫瘍なんだって。入院が必要らしいから先生の言う通りにしようね」と、お義父さんから聞かれた時には誰もが口を揃えて答えることになった。癌なのか?と聞かれたら、脳腫瘍だよと答える。それを徹底するつもりだったけど、実のところ「脳腫瘍だって」と伝えたら、お義父さんから返ってきた言葉は「へー、オレ脳腫瘍なんだ」だけで、癌とか余命など心配する必要がなかったのだ。それどころか、入院していれば治ると信じてきっていたようだ。疑うことを知らない真っ直ぐないい性格してるんだなぁ。



最近の医療は、癌も余命も告知することが標準になっている。QOL(生活の質の向上)を高めることが優先で、残された人生を人として悔いのないように生きるためである。私だったら、告知されたいと思うし、できれば家族よりも誰よりも先に聞きたい。だって、この命は他の誰のものでもなく、私の命だから当然でしょ。おっと、話は少しずれてしまった。



お義父さんとお義母さん、この二人は世間離れしてるというか、今までにこんな強烈な人を見たことがない。6月の終わり、私の当番である土曜日に、オープンする店の件で彼とお義母さんが朝から出かけていた。家で留守番していたら1本の電話がかかってきて、それは病院の看護婦からのものだった。「お父さんが、勝手にタクシー呼んで帰ってしまったみたいです。お金なんて持っていないはずだから、そちらでなんとかしてくださいね。本当に困るんですよ、ちょっと目を離した隙に勝手に帰るなんて。もう何度目かしら、二度とないようにちゃんと注意してくれなきゃ困ります」すごい剣幕で怒られてしまった。その日から、お義父さんは1日置きの入院生活になった。



あるとき、「お父さん、今日の調子はどうですか?」と言いながら病室のドアを開けたら、目の前に広がる光景がとんでもないことになっていた。同じ病室のはずなのに先週までと全く違う部屋になっている。私の目線はドンと下がって、部屋を間違えてしまったんだろかと目を疑った。病室の床に直接マットレスが二つ並んでいて、凄く高い位置から点滴しているではないか。いや、点滴のスタンドが倒れたら危なそう。

「どうしたんですか?ベットがなくなっているじゃないですか。」そう聞くと、「おれは日本人だ。ベットなんかに寝てられっか、てやんでい。(って、江戸っ子かい・・・ホントは勢いだけで、てやんでいとは言っておらんけどね)」と、お義父さんが言った。

数日前からお義母さんも泊まり込みにしたようで、そのときにベットを片付けてもらったと言う。完全看護の病院だけど、この二人の強烈ぶりには病院側も困っていたようで、お義母さんが泊まり込むことになってホッとしたのは何と言っても看護婦さんだった。その気持ち、わかるわ。



私はと言えば同居することが心のどこかで怖かったのか、できるだけ引っ越しは遅らせたかったというのが本音なんだろな。7月に入って彼から「お前はいったいいつ引っ越してくるんだ」と言われて、そろそろ腹くくらなきゃだめかなと、引っ越しの準備に取りかかった。賃貸は1か月前に退居の申し出をしなければならないので、8月いっぱいで引っ越すことを不動産屋に告げた。



もともと、私は同居なんか似合わない自由人のはずなんだけど・・・

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