第7話 2002年がやってきた
2002年が始まった。
2月に入って彼から「おやじの夢だった店を一緒にやろうということになった」と言われた。原宿の居酒屋を3月いっぱいで辞めて、所沢にうどんと蕎麦の店をオープンするための準備に入ると言う。お父さんの命は長くない、彼は自信があるわけでもなく迷った末に父親の望みを叶えてあげたいと思って決断したのだそうだ。彼が決めたことなら頑張って欲しいと思うけど、その時の私は彼の気持ちを大切にしたかっただけで自分自身のことは何も考えていなかった。
「品川から通うのは大変になるし、おやじが死んだあとお袋を淋しがらせたくないから所沢の家で同居して欲しい」そうなのか、私は彼のお母さんと同居することになるのか。仕事は続けたい、所沢から麻布十番まで私が通いってことになる。できるかな?
思えば、彼は私に考える時間を与えてくれたことがない。話を聞かされた時には決定事項になっている。あの時「待って、少し考えさせて」と、なんで私は言えなかったんだろ?
そもそも「結婚してください」的なプロポーズの言葉も聞いていないし、結婚して同居するというということを前提に話が進んでいる。きっと出会ったあの時に、この人と結婚するんだろうなと思って疑わなかったんだろな。
私の生活は以前と変わりなく仕事に追われ仲間たちとも全力で遊んでいた。変わったのは、彼がお店の構想と場所探しでお父さんとの打ち合わせが増えたため、品川の家には週に二日くらいしか帰って来なくなったことくらいだろか。
私の両親には彼のことを時々報告していた。そういえば、お正月明けに一度彼を家に連れて行ったような気もするが、30代後半にもなる娘なので合わせたことで結婚相手はこの人なんだなと納得していたのだと思う。彼とお父さんの店がどんどん形になろうとしている、店舗の設計まで取り掛かっていた5月に銀座で両家の顔合わせを兼ねて食事会をした。親同士は話が盛り上がり、良い関係になれそうで安心した。彼から、サプライズでダイヤの指輪をもらい、両親には「結婚したら同居をすることにしましたが、2階は全て自由に使えるので問題ないし、生活も守っていきますので安心して見守ってください」このようなことを言っていたはずなんだけど。
翌日、私は会社に結婚とその後も仕事は続けることを報告した。
2002年は日韓共催FIFAサッカーW杯、サッカーが凄く好きってわけでもないのに燃えたな、記念にスタージュエリーのバングルを彼へのプレゼントのつもりでペアで買ったりしてアホでしょうか私。6月10日は日本vsロシア戦、彼と私の仲間が品川にある私の家に集合!「とりあえずビールでしょうが、乾杯!」とともにキックオフ。前半が始まって20分くらいたったときだろか、彼の携帯が鳴る「うんうん、わかった。すぐに帰る」そう応えた彼は「おやじが救急車で運ばれたからすぐに帰る」そう言って所沢へ帰っていった。お父さんのことも気になりながらも、仲間たちとテレビの前でサッカー観戦とともに飲んで騒いだ。日本は勝利した。
彼のお父さんは脳にがんが転移して、この先いつどうなってもおかしくない状態になってしまった。
私たちは、その一週間後6月17日、2002年の父の日に入籍をした。
私たちにできる最後の親孝行だと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます