100話-7、上に立つ者として

「はぁ〜……、見事なまでに粉々だねえ。何回斬れば、ああなるんさね?」


「簡単じゃ。ああなるまで斬ればよい」


 呆然とした茨園いばらぞのの独り言に、ひねくれた回答を足したかえでは、腐食の雷が落ちる寸前。ぬらりひょんは地面を蹴り上げ、一瞬で小童の背後へ移動した。と状況を振り返り始める。

 更に、その小童とすれ違った直後。二人は、完璧に近い円状の煌めく繭みたいな物に包み込まれた。おそらくあの繭は、ぬらりひょんが刹那に描いた太刀筋。身の細い短剣が、隙間の無い円状を描く。ワシの目を以ってしても、そう見るのが限界じゃった。と天狐を戦慄させ、小粒の汗を頬に伝わらせた。


「しかし、怒りで大地を震わせるわ。雷や炎の竜巻、大津波をぶった斬るわ。おまけが一つ付いたが、地震雷火事親父とは、正にこのことじゃの」


「確かに、恐ろしい者には変わりないですしね」


「おい、聞こえとるぞ」


 締まりが悪い二人の小言に、キセルの煙を軽くふかした恐ろしい者代表が、ボヤきで突く。


「じゃが、ぬらりひょんよ。小童に情けを掛けるとは、お主も大概甘いのお」


「この有様を見て、何故そう思う?」


「生まれ変わりを許さぬ、阿鼻あび地獄に堕とさず。痛みを与えぬ斬撃で小童を屠った。これが情けとならないのであれば、一体何になるというんじゃ?」


 慈悲とも取れるぬらりひょんの裁きに、不服そうな楓が、幾重にも張った結界を解いた。


「何を言っても分からん奴を、今世で終わらせるのは癪だと思ってな。地獄で悔い改めさせて、来世で罪を償ってもらうことにした」


「……ほう、なるほどの」


 ぬらりひょんの釈明に対し、一理あると相槌を打った楓が「で」と続ける。


「痛みを与えぬ斬撃の方は、どうなんじゃ?」


「わざわざ痛めつけてどうする? それで懲りていたら、地獄から抜け出してこんだろう。それにな? 楓よ。ワシは大嶽丸を嬲り殺す為に、ここへ来た訳じゃない。温泉街の安寧を守る為に来たんだ。痛めつけるかつけないか、そこを重要視する必要は、まったくないぞ」


「あんた、更なる地獄をうんぬんって、温泉街で言ってたじゃないか。だから、てっきりアタシは、一人八大地獄でもやるのかとばかり思ってたさね」


「ワシも、薄々そう思っておったぞ」


「阿呆。ここで大嶽丸を、何京年痛めつけさせるつもりだ」


 人間界の時間に換算すれば、八大地獄全てきっかり滞在することになると、おおよそ千百京年以上必要になり。

 約百三十七億年前。宇宙が誕生した年月よりも長く、永遠と言っても差し支えがない時間を用いて、大嶽丸を痛めつけるのかと思っていた二人に、ぬらりひょんが呆れた眼差しで睨みつけた。


「そう睨むな、総大将ぬらりひょんよ。異なる立場で上に立つ者として、少なからず学ばせてもらった。まず、ワシがやらねばならぬことは、怒りの制御からじゃの」


「そこら辺に関しては、正直ワシもあまり自信が無い。愛する者に被害が及ぶと、特にな」


 大嶽丸に冥土の土産として持っていかせた内容に、隠世かくりよに多大な功績を収めたカマイタチの辻風つじかぜについて、説いたものの。

 花梨が満月の光によって、命に関わる危害を受けた後日。怒りに飲まれたぬらりひょんは、逆恨みで辻風を殺めようとした事があり。

 同じく楓も今日、大嶽丸の執拗な襲来に堪忍袋の緒が切れかかり、秋国を護るという大義を忘れ、私怨で大嶽丸を地獄送りにしようとしていた。


「だからこそ、上に立つ者として、誰も見ていない場所でも相応の振る舞いをせねばならん。ワシらが選択を誤れば、来たるは全ての瓦解だ。このワシを止めてくれる、クロが居るように。お前さんも、止めてくれる者は居るか?」


「ワシじゃったら、そうじゃな。金雨きんう銀雲ぎんうん、それにみやびかの。その三人が動いてくれれば、皆も止めに入ってくれるやもしれん」


「そうか、良い仲間を持ったな。これからも大事にしろ」


「無論じゃ」


 迫られた選択や振る舞い方を誤ろうとも、正しき道へ戻してくれる者が居る事を、二人して確認した後。楓が「それに」と付け加える。


「ワシは天狐というだけで、温泉街にてなんばぁわんと囃し立てられていたが……。お主の戦いを見て、それは間違った判断だと確信を得られたわ」


「なぜだ? お前さんはおろか、ワシは金雨様や銀雲様の足元にも及ばんぞ?」


「いくらなんでも己を下に見過ぎじゃ。まず、小童を刹那で塵芥にした斬撃。あの斬撃は、二人共反応すら出来ん。このワシでも、完全に見切る事は叶わんかった」


「アタシなんか、何をしたのかまったく見えんかったさね」


 温泉街新旧メンバーの中で、総合的な力量でトップに君臨してもおかしくない楓が、己を妥当な序列へ引き下げ。

 先の戦いで、ぬらりひょんが何をしていたのか目で追えず。その目を力の限り瞑り、両耳を塞ぐ事しかしていなかった茨園が、一番偉そうにキセルをふかした。


「そして、お主と対峙した小童。あやつも自分が何をされたのか、お主に言われるまで気付いておらんかった。更に轟雷、炎の竜巻、大津波をも一撃で払う斬撃の威力。ワシが結界を数万層張ろうが、それもワシごと突破されよう」


「ワシを分析するのはいいが。お前さんは、油断をせずとも戦闘経験が皆無に等しい。己が持つ本領を理解出来ておらず、本気を一度も出した事だってない───」


「本気を出していないのは、お互い様じゃろうて」


「むっ」


 対大嶽丸戦にて、実力の二、三割程度しか出していなかった事を見抜き、ぬらりひょんの話途中に割って入った楓が、妖々しくも柔らかな笑みを返した。


「総大将ぬらりひょんよ。お主は今まで守った者にしか見られていない状況で、孤独と共に戦い抜いてきたと見える」


「突然どうした?」


「ワシを口説こうとした言葉を、そっくりそのまま返してやろうと思っての。お主は、己の強さをまったく理解していない。自身を仙狐以下に置いたのが、いい証拠じゃ」


「実際、そうだろう?」


「いいや、断じて違う。確かにワシは、戦闘経験なら皆無に等しい。じゃが、それに近い経験ならば、週に何度もしておる」


 楓が反撃材料に使ったのは、妖狐寮にて定期的に開催しているリクリエーション。内容は枕投げやドッチボールといった、至ってシンプルなものであるが。

 大体が、自分対大人数という孤立無援の戦いで、花梨と茨木童子の酒天しゅてんが参加した回を抜かせば、今まで負けた事が無く。

 相手の人数が半分ほどまで減ると、待機していた金雨と銀雲も、一切の手加減無しという条件で加わるが、天狐に勝ち星を挙げる事は叶わないでいた。


「お主は、一人で戦い続けてきたが故、己が持つ強さに自信を持てておらん。安心せえ、総大将ぬらりひょん。お主は、全てにおいて妖怪の頂点へ君臨するに相応しい御方じゃ。このワシ、天狐が太鼓判を押そう」


 糸目を開眼させた楓が、華奢な手を胸に添え、口角を妖艶に上げ、総大将としての真っ当な評価を与えるも。

 ぬらりひょんは珍しく困惑しており、視線を楓から逸らしては戻した後。乾いたため息を吐き、頭頂部をポリポリと掻いた。


「その様子だと、茶化してはいないようだが……。お前さんに、そう真面目に言われると、どうも調子が狂う」


「ほっほっほっ。普段の行いが仇となったのお。しかし、今回は大真面目じゃ。お主に付いた事を、ワシは誇りに思う。先の戦い、天晴れじゃったぞ」


「よかったじゃないか、ぬら。天狐様に認められたみたいで。アタシも鼻が高いさね」


「なんで、お前さんが嬉しそうにしてんだ。もう、この話はいいだろう。身体中がむず痒くなるから、止めだ止め」


 とうとう恥ずかしさを隠し切れなくなったぬらりひょんが、「ったく」と話を強制的に終わらせ、尖らせた口でキセルの煙を固くふかした。


「さあ、二人共。もうここに用は無い。とっとと秋国に帰り、ワシらも『八咫烏の日』に参加するぞ」


「おお、そうじゃった。なら、早急に帰るとしよう」


「せっかくだし、アタシも見て回ろうかねえ」


 秋国の危機を脅かす因子の排除が済み。当初、予定していた流れに軌道修正させたぬらりひょんが、我先にと姿を消し。

 年に一度しか行われない祭りに参加するべく、本調子に戻った楓が、茨園の肩に両手を添え、ぬらりひょんの後を追っていった。

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