100話-6、しょうもない辞世の句

 ぬらりひょんに左足を切断された激痛により、暴風雨と大轟雷の維持が難しくなったのか。

 二つの攻撃が徐々に弱まりつつあり、暴風雨は霧雨程度まで収まり。大轟雷の数も激減し始め、辺りにかつての静けさが戻ってきた。


「貴様ァ……。よくもやってくれたなあ?」


 呼吸を荒ら、我を失うほど激情していた大嶽丸おおたけまるが自我を取り戻し、業火の怒りを宿した眼でぬらりひょんを睨みつける。


「頭に上っていた血が抜けて、少しは落ち着いたようだな。次動けば、全身を粉微塵になるまで斬り落とす。では、話を戻そう」


 反撃の動作を見せれば、待っているのは死だと警告したぬらりひょんが、淡々と口を開いた。


「苦節二十四年。月に換算すれば、約二百八十八ヶ月。二百八十八回。これは、辻風つじかぜが満月と対峙した回数。特効薬を完成させるまでに重ねた試行錯誤回数。そして、満月に晒されて暴走した辻風を、弟の薙風なぎかぜ、妹の癒風ゆかぜが止めた回数にもなる」


 霧雨が降り止み、大轟雷も遠雷へ変わり、肉を断つ風の刃も微風に変わった中。ぬらりひょんは、辺りの変化を気に留めず、死に土産の量を増やしていく。


「秋国の繁栄を想い、満月に怯え屈しぬ隠世かくりよになって欲しいと誰よりも強く願い、己の身を挺して成し得たいと決意をした。しかし、始めた当初は手探り状態から抜け出せず、光明の兆しは一向に見えず、時には険悪になり、何度も何度も心が折れそうになった。だが、彼らは願いを願いのまま終わらせないと諦めず、十回、五十回、百回、二百回と血の滲む試行錯誤を繰り返し行い、構想の中で留まっていた特効薬は徐々に形となり。そして、二百三十回目にして、ようやく理想の効果まで近づいた」


「いつまで、そのくだらん耳障りな言葉を並べていくつもりだ? 我には関係無い。鬱陶しいから、さっさと退け。用があるのは、そこの女狐だ」


「そう、貴様は関係の無い部外者だった。二百八十七回目に行われた実験まではなあ?」


 一触即発の冷静な挑発が出来るまでになるも、ぬらりひょんはドスの効いた声で、標的を変えようとした大嶽丸を黙らせた。


「話は、特効薬の調整がほぼ完璧に終わり、最終実験を行った先月に遡る。小僧、貴様が酒羅凶しゅらきに愛想を尽かれ。秋国を滅ぼすと宣言し、それを聞いたかえでに出禁を食らった日だ」


 一歩間違えていたら、辻風達が二十四年に渡り積み上げてきた集大成が、無に帰す可能性があった最悪の事件を蒸し返したぬらりひょんの眉間に、深いシワが寄っていく。


「その日は訳があり、秋国全体に外出禁止令を敷いていた。そのお陰で、夜になっても暴れる者は人っ子一人居らず、普段と変わらぬ静かな夜だった。これなら、辻風達は安心して実験に専念出来、無事特効薬を完成させるだろうと確信していた。どっかの誰かさんが来るまではなあ?」


 話の途中から、ぬらりひょんの声に肝が縮こんほどの凄まじい怒気が加わり、手に持っていた短刀に力が入り、ギリギリと鈍い音が鳴り出す。


「毎月毎月、飽きもせず誰かに毒牙を剥き。時には、愛する者を傷付けんと抗い。時には、最愛の家族を助けんとする者を堕とし。時には、第二の故郷と親友に手を掛け。誰しもが心に深い傷を負っては立ち上がり、なんとか今まで持ち堪えてきた。そして、先月。最終手段の外出禁止令を敷いたのにも関わらず、想定外の問題が起きた」


 当時の憤慨を蘇らせながら語るは、身の危険を顧みず、花梨達をより安全な永秋えいしゅうに送り届けようと買って出た、茨木童子の酒天しゅてん

 ゴーニャが取引業者トレーダーに攫われ掛け、取り返そうとするも返り討ちに遭い。己の力の無さに絶望し、誰をも黙らせん強大な力を欲してしまい、ススキ畑で剛力酒ごうりきしゅを飲んだ花梨。

 堕ちた者に目を付けられ、強引に満月の光を浴びせられて堕ち。後が引けぬ我儘を通そうと、巨大な氷塊で秋国を圧壊させようとした雹華ひょうか

 更に、花梨達が魔の手に掛かった次の日。逆恨みで辻風を屠ろうとした己の不甲斐なさが、短刀を持つ手に集約していく。


「先月は、出遅れたばかりに護りに徹していたがよお? 酒羅凶と決闘がしたい? 断れば秋国を壊滅させる? てめえ、どの口がほざいてんだ?」


 過去、立場上晴らす事が出来ずに蓄積させていた激憤を、ぬらりひょんが纏めて精算するが如く解放させた瞬間。

 自然界も畏怖の念を抱いたのか。微風が硬直し、音という音が全て黙り込み。

 ぬらりひょんが発する圧縮された高純度の殺意が、楓の結界に数百枚ほどヒビを入れつつ、辺りへ急激に広がっていき。

 地面にも浸透すると、呼応した大地が微振動を伴う地鳴りを起こし、茨園の足を軽くふらつかせた。


「茨園、今」


「嫌な予感がしたので、もうやってます!」


「ワシの声が聞こえなくなるぐらい、本気で塞いだ方が身の為だぞ」


 塞ぎ方が甘いという楓の警告に、茨園は「ヒィィ……」と情けない声を漏らし、両手に出来る限りの力を込めて耳を塞いだ。

 対し、ぬらりひょんの脅しを素直に守っていたように見えた大嶽丸は、気付かぬ内に三人の目を盗み、斬られた左足を完治させていた。


「心底どうでもいい。貴様らの問題に我を巻き込むなぞ、甚だしいにも程がある。総大将だかなんだか知らんが、往ね」


 直後。楓の視界に映り込んだのは、棒立ちしたぬらりひょんを人型の残影と化させ、おどろおどろしく呑み込む一筋の黒雷。

 音を立たせず落ちた黒雷は、地面を熱で燻らせず。変わりに、鼻がひん曲がりそうな異臭を放つヘドロとなり、触れた物を瞬時にただれさせていった。


「ほう? 腐食の雷か。あれは厄介じゃのお」


 黒雷の正体を、瞬時に見破った楓が糸目を開き、怒りで我を失おうとも、冷静沈着になろうとも、相手の力量を測れぬか。と心の中で呆れ返りつつ、大嶽丸の背後に居る者へ、金色の瞳を流した。


「忠告はした。小僧、ワシは仏じゃねえ。二度あると思うなよ?」


 腐食の黒いが落ちる寸前。既に大嶽丸の背後へ回っていたぬらりひょんが、まだ戦闘中にも関わらず。短刀を鞘に収め、和服の袖にしまい込んだ。


「いけしゃあしゃあと、よく吠える。だが、斬らずに避けた事は褒めてやろう」


 避けたのであれば、この攻撃は効くと判断した大嶽丸が、違和感を覚えるほど軽くなった体を背後に向けた。


「間抜けが。忠告通り、切り刻んでやったわ。無駄口叩いてる暇があったら、辞世の句でも考えたらどうだ?」


「なにを───」


 無防備に突っ立っているぬらりひょんに、新たな黒雷を仕掛けようとした矢先。右腕の感覚がふっと消え、思考が一瞬だけ止まる大嶽丸。

 数回瞬きをし、感覚を失った右腕へ視線を移してみると、まるで砂が零れ落ちていくような形で、指先が崩壊していく様が映り込んだ。


「な、なんだ? これは……」


「さっき言っただろ? 切り刻んでやったって。斬られたと自覚した箇所から崩れ落ち、やがては全身が塵芥と化し、痛みを感じないまま貴様は絶命する。あと、持って数分だろうよ」


「なん、だと……!?」


 ぬらりひょんのぶっきらぼうな余命宣告に、大嶽丸が一気に焦り出すや否や。

 残りの指先からも崩壊が始まり、蟻が進むような速度で体が粉微塵に零れ落ち、無常にも地面へ降り積もっていく。

 己の体が消えていく様を、痛みを感じぬまま眺め続け、崩壊が腕まで達した頃。大嶽丸の頭に明確な死が過ぎり、大粒の汗が頬を伝い始めた。


「お、己ェ……! 貴様ァッ! 何故、我の邪魔をする!?」


「それが、この世に残したい辞世の句か? なんともしょうもないな。貴様の生涯と同じで、中身が一切無い」


「ふざけるなァ! 我の問いに答え───」


 ぬらりひょんの安い挑発に乗せられ、再燃した怒りに任せた大嶽丸が、大口を開けて同じ質問を投げ掛けようとするも。

 怒号の衝撃に顎周りが耐えられず、鼻から下にかけて、瞬く間に細かで乱雑な切れ込みが数万以上入り、怒号の軌跡を知らせるように散っていった。


「口が先に崩れたか。それだと、無駄口すら叩けなくなってしまったなあ」


 口が崩壊し、言葉を発せなくなった大嶽丸は、紅蓮の涙眼を泳がすばかり。


「極寒の頞部陀あぶた如きじゃ、その煮えくり返った頭を冷やせなかっただろう? なら今度は、その逆だ」


 その頞部陀よりも凍てつき、有情や慈悲の感情が一切こもっておらず、既に生物として認識していない眼差しで、ぬらりひょんが大嶽丸を見下す。


「ワシが閻魔大王に直談判しておこう。業深き者を、大焦熱地獄に堕としといてくれ、とな」


 八大地獄の第七、大焦熱地獄の名を聞いた大嶽丸は、泳がせていた眼をギョッと見開き、何かを訴えようとするも全てが遅く。

 顔全体にも薄い切れ込みが浮かび上がった矢先。大嶽丸がグルンと白目を剥き、やがて残っていた部位の全てにも切れ込みが入り。

 ぬらりひょん、楓、片目を開けていた茨園の前で、大嶽丸は塵芥の山と化していった。

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