100話-4、妖怪の総大将、参る
ぬらりひょんと天狐の
秋国がある地から遥か彼方まで離れた、一面広大で、所々に灰色の尖った岩が露出した草原に佇んでいた。
絶えず吹き抜ける風は生温く、その風には鼻をつく異臭が含まれており、閻魔大王が座する冥界が近くにある事を知らせた。
「魂が落ち着かない、不気味な風だねえ。気が滅入っちまいそうさね」
「ここから半日も歩けば、冥界に辿り着くからのお。深層心理が死んだのかと勘違いして、危惧しておるのかもしれん」
「間違いありません。実際、底から湧き上がる寒気を覚えております」
体を撫で回していく新鮮な死の風に、茨園の魂が無意識に戦慄している中。
平然としている楓は、死の風をものともせず、キセルの煙を横へ流していくぬらりひょんの背中を見やった。
「ぬらりひょんよ。小童は目視出来ておるか?」
「ああ。あやつも、ワシらの存在に気付いている」
「気付いているだけで、最早ワシらと認識出来ておらん。意識もあるか定かではないの」
「だが、なんとも禍々しい殺気を放っているねえ。魂だって、様々な黒の憎悪に塗り潰されてるさね。あれ程までに黒い魂、今まで拝んだ事がないよ」
楓が大嶽丸を八寒地獄の第一、
二人の視界に映る大嶽丸は、露出した肌に血を含んだ赤黒い氷が付着しており。両足は地面から離れず、常に引きずった状態。
紅蓮の眼も虚ろで焦点が合っていなく、静電気のように儚い稲光が、体のどこかに現れては消えていっている。
そして、楓が見抜いた通り、意識は失っているものの。大嶽丸の全てを塗り潰した漆黒の憎悪だけが、意識の無い体を秋国へ向けて動かしていた。
「もう、なんの目的を持って歩いてるのかすら、分かってないんじゃないかねえ」
「それはそれでタチが悪いのお。目に入った物を、片っ端に蹂躙するやもしれん」
「しかし奴は、秋国へ向けて一直線に歩いている。どちらにせよ放置は出来ん。今度は列に並ばせて、閻魔大王直々に裁いてもらおう」
生身の地獄行きではなく、順序を無理矢理踏ませると明言したぬらりひょんは、持っていたキセルを和服の袖にしまい込んだ。
「ぬらりひょん、結界はいるかえ?」
「いらん。お前さんは、自身と茨園を護っておれ」
「心得た。では、茨園よ」
「はい」
「これからワシは、あらゆる攻撃を通さない結界を張る。しかし、音と閃光は流石に防げん。なので、小童が攻撃を始める瞬間、ワシが『今』と合図を送る」
「合図、ですか」
意図が掴み難い説明に、茨園はオウム返しをすると、楓は小さく
「小童の攻撃は、主に神通力を駆使した暴風雨や轟雷、火の雨などがある。その中でも、小童が放つ轟雷は、とにかく耳障りでのお。数きろめぇとる先に居た我が子が、耳を負傷してしまったんじゃ」
「そ、そこまでの爆音なのですか……?」
「そうじゃ。なので、茨園よ。視力と聴力を失いたくないのであれば、ワシが『今』と合図を送り次第、両手で耳を塞ぎ、顔を地面に向けながら目を瞑っとくれ」
「わ、分かりました……。善処致します。あの、楓様? もしかしてアタシ、足手まとい、ですよね?」
「相手は腐っても、歴史に悪名を残した大妖じゃ。対処出来るのは、秋国に居る者でも数少ない。そう己を責めるな」
楓の警告により、好奇心が先行して後先考えず付いてきた事を、後悔して罪悪感に駆られた茨園へ、楓は落ち度は無いと咎めずフォローを入れ、安心感を与える微笑みを見せた。
「で、ですが……」
「お前さんら、来るぞ」
「え───」
瞬間。一筋の黒い稲妻が、ぬらりひょんの正面近くに落ち、短くも鋭い轟音が茨園の言葉を掻き消していく。
その際に生じた黒いの閃光が、茨園の目を眩ませ。数秒すると、ブラックアウトした視界が徐々に明るみを帯び、かつての景色が色付いてきた。
「……ひぇ。近くで見ると、これまた禍々しいねえ」
色を取り戻した、茨園の視界先。下半身には、先の戦いで半壊した漆黒の鎧。三メートルを越す巨体は項垂れていて、脱力した両手も長刀を持っておらず、ぶらんと垂れ下がっている。
頞部陀に居たせいで、魂まで凍え切っているのか。気だるそうに長く吐いた息は白濃く、生温い風に乗っては霧散していき。
くすんでいて虚ろな紅蓮の眼は、右目でぬらりひょん、左目で楓を捉えているも、二人が誰なのか理解していなさそうでいた。
「キサマラ……、ココハ、ドコダ……」
「しゃ、喋った……」
「ふむ。どうやら、記憶もあやふやになっているようじゃの」
大嶽丸が急接近してくる直前。自身と茨園の周りに円球の結界を張っていた楓が、ぬらりひょんの耳にまでしか届かない声量で呟いた。
「なら、呼び覚ましてやるか」
記憶が混濁した大嶽丸には、用は無いと鼻を鳴らしたぬらりひょんが、「うぉっほん」と二分した注目を集めるよう咳払いをした。
「お初お目に掛かります。お客様を見限った酒呑童子の
「呼び覚ますって……。自我をじゃなくて、怒りをって意味なのかい?」
「あくまで、総支配人を装うか。大変じゃのお、ぬらりひょんも」
簡潔に、かつ的確に相手の神経を逆撫でするぬらりひょんの挑発に、楓が思わず緩んだ口元を巫女服の袖で隠し、クスクスと呆れ笑っている中。
口がだらしなくポカンと開き、楓を捉えていた左目が、滑るようにぬらりひょんの方へ向いていき。霧がかっていた大嶽丸の脳裏に、楓の攻撃によって飛んでいた記憶が怒涛の如く逆流し始め。
かつての記憶が朧気に蘇ってきて、負の感情と全身の血がフツフツと滾り出し。呆然としていた表情に、太い怒り筋が大量に浮いてきた。
「アキ、グ二……? し、しゅらき……。ぬらりひょん、楓……。グッ、ギギギギ……、ガァアアアアアッッーーーー!!」
耳底を刺す怨嗟の大咆哮と呼応するかのように、大嶽丸の遥か頭上に、渦を巻く分厚い黒雲が出現し、晴れ渡っていた空を急速に覆い隠していく。
数秒もすれば、見えていた青はどこにもあらず。雷鳴やいくつもの稲光を轟かす黒雲が、大空を支配しており。
薄暗い闇に飲まれた地上には、足を踊らせる暴風が吹き荒れ、追い討ちに横殴りの強烈な暴雨が降り始めた。
「ほう? ワシと対峙した時より、数倍強い暴風雨じゃの」
「た、台風が可愛く見える雨風だねえ……。楓様の結界が無かったら、アタシは立つ事すらままならないさね」
「よく見い、茨園。暴風に神通力を使った風の刃が折り混ぜられているから、肌を抉られるぞ」
「げっ……、本当だ……」
横殴りの暴雨に混ざり、不可視に近い鋭く鋭利で幾重にも連なった風の刃を目視した茨園が、あったかもしれない己の未来を予想してしまい、ゾッと身震いする。
しかし、ぬらりひょんはずぶ濡れになっているも、涼しい表情で平然と立っており、腕を組んで『ふんっ』と鼻を鳴らしていた。
「よし、少しは正気を取り戻したな。貴様には、言いたい事が山ほどある。まずは、それを全部聞いてもらおうか。では……」
正気とは程遠く、真黒の
「総大将ぬらりひょん、参る」
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