97話-12、花梨VS流蔵

 一時的な小休憩を終えて、今回の主役である花梨と流蔵りゅうぞうが、土俵の上に対峙した午後五時半頃。

 この時間帯になると、夜の帳はほぼ降り切っており。夜闇が濃い空には、土俵周りに設置された、かがり火にも負けぬ満点の星々が輝いている。

 その、雄大な天の川が見守る地上。唯一の光源に照らされた花梨と流蔵は、四股を踏んで土俵に塩を撒いた後。互いに大きく深呼吸し、細くゆっくり吐いた。


「お待たせしました、流蔵さん」


「待ちくたびれたで、ほんま。よっしゃ、ついに来たな。ワシの無敗伝説を、世間一般に晒せる日が」


「寝言を寝てから言って下さい。その無敗伝説は、今日私の手によって終わりを迎えるんですから、今の内に二つ名を東の一敗に変えておいた方が身の為ですよ?」


 花梨対銀雲ぎんうん酒天しゅてん酒羅凶しゅらき戦とは比にならぬ挑発合戦に、会場は大いに盛り上がりを見せ、東の無敗と西の無敗コールに分かれていく。


「くぅ〜っ! この痺れる構図を再び見られるなんてなぁ! ああ、土俵のすぐ下から観戦したいぜ!」


「ふふっ。心の声が、全てマイクに乗っていますよ」


「さあ、『河童の日』を締め括る大舞台。最終決戦は、東の無敗こと流蔵、西の無敗こと花梨よる『河童の川釣り流れ』の原点たるカードになりました。辺りに充満した歴戦二人の熱く燃える闘志が、見守る私達の心までも滾らせていきます」


 今まで喉を酷使する実況とは裏腹に、水面に小波すら立たせぬ穏やかな声量で、会場を包み込む緊迫感を引き締めていく鵺。


「さあ、花梨。そろそろやろか?」


「ええ、そうですね」


「では、待った無しです」


 行司ぎょうじとして、これで最後になる金雨きんうの掛け声と共に、花梨と流蔵は互いに目線を外さず、土俵に片手をゆっくり落としていく。

 会場の誰もが待ち望んだ時が訪れると、老若男女は瞬き一つすら忘れ。視界に焼き付けていた片手が、今か今かと土俵に近づき、音も無く到着する。

 そして、空いていた両者の片手も、鏡写しの如く同じ動きしながらじわりじわりと、土俵との距離を詰めていき。瞬きを許さぬ瞼が、瞳の潤いを奪い始めた途端。


「のこった」


 かつて、秋国にとっても近い記憶。満月の日が夜空を陣取るも、厚い黒雲により出番を奪われた日。

 ススキ畑の地を穿った厭悪万雷の一つが、花梨と流蔵の居る土俵にも落ちたのかと疑う尖鋭な爆音が轟き渡り。同時に鞭のようにしなる剛風が、会場内に何十発も吹き荒れていった。




──────────────────────────────────────────────────



 時刻は、東の無敗こと流蔵と、西の無敗こと花梨が、会場内に尖鋭爆音と、肌に打撃痕が薄っすらと残る剛風を巻き起こしてから三時間後の、夜九時半頃。

 木っ端微塵に大破した一つの土俵をそのままにし、花梨一行と残った参加者達は、河川敷で自由参加型のちゃんこ鍋パーティを開いていた。


「まさか、土俵が壊れて引き分け扱いになるとはなあ」


「流石にあれは、予想外の結末でしたね」


 想定していなかった結果に、どこかやるせなさが伺える銀雲ぎんうんが、様々な野菜を器に移し。

 花梨と流蔵の熾烈を極めた相撲に耐えかねて、見るも無惨に崩れた土俵を認めてから、焼けたばかりの川魚に手を伸ばす金雨きんう


「あ〜あ、また引き分けかぁ〜。土俵が壊れなかったら、まだ全然やれてたのに」


「ほんまやで。土俵が壊れるなんて、初めての出来事や。それだけワシらが、激しく相撲を取ってたんやろなぁ」


 三時間前後休憩を挟まず、流蔵と相撲をしていたのにも関わらず。体力はまだまだ余っており、完全不燃焼で幕引きをした花梨が、拳大のおにぎりを頬張り。

 呆気ない形で無敗を守った流蔵も、どこか寂しそうな眼差しで焚き火を眺めつつ、エビだんごを口に入れた。


「土俵がぶっ壊れた時、会場は騒然としてたな。一応あれ、場外扱いになんのか?」


現世うつしよじゃ、土俵の一部が欠けた事はあるらしいけど、完全大破したって前例は一度も無いからな。正直、俺も判断し難いぜ」


「げっ、そうなんですね。だったらあのまま、土俵を移して相撲を再開させてもよかったなあ」


 前例の無いアクシデントにより、鵺、相撲に精通した銀雲、金雨も対応に困り果ててしまい。

 時間も時間がゆえ、続行は難しいと判断した鵺達は、花梨と流蔵の意向も聞いた後。各自、胸を切る思いでエクストラ戦を終了させた。


「それにしても、手に汗握る相撲でしたね。あんなに白熱して応援したのは、初めてかもしれないっス」


「観戦してて飽きなかったし、数時間があっという間だったぜ。面白えじゃねえか、相撲ってやつは」


「そうっスね。親分。来年は、あたし達もあんな相撲を取ってみたいっスねぇ」


「そうだな」


 第一のエクストラ戦で花梨に破れた酒天しゅてんと、その酒天に負けた酒羅凶が、仲良くご飯を口にかき込んでいく。


「あーっ。ねえ、みんなー。花梨達ここに居るよー」


「んっ?」


 一日中動いていた事もあり、腹が極限にすいていた花梨は、五匹目の川魚を食べようとするも、聞き覚えのある声に呼ばれたので、声がした方に顔を向けてみる。

 自分達と同じく、参加者達がいくつも輪を作り、鍋を突っついている光景が周りにある視界の先。

 花梨達を応援しようと、一観客として相撲を観戦していたぬらりひょんを筆頭に、ゴーニャやまとい、クロ、かえでなどなど。

 他にも新旧温泉街メンバーが居て、明後日の方向に手招きしているみやびの誘いにより、ぞろぞろと集まってきていた。


「花梨っ! ずっと相撲を見てたけど、すごくカッコよかったわっ!」

「惚れ直したぜ」


「ゴーニャ! それに纏姉さんも。ありがとう、二人共!」


 約半日以上振りの再会に、花梨の体を抱きしめるゴーニャに、無表情のまま親指をグッと立たせる纏。


「よう、花梨。お疲れさん」


「クロさん! お疲れ様です!」


 ゴーニャや纏と同じく、観客席でずっと花梨の相撲を見守っていたクロが、目の前まで歩いて来て、その場にしゃがみ込んだ。


「相撲を取ってるお前の姿は、今日初めてじっくり見させてもらったけど、すごくカッコよかったぞ」


「えへへへ……、ありがとうございます」


 纏も花梨の体に抱きつき、二人から伝わってきた温もりに癒され、クロに激励を貰っている中。

 火を点けていないキセルを、片手に持ったぬらりひょんが、花梨達の様子をほくそ笑みつつ眺めている流蔵の横へ付いた。


「流蔵よ。お前さんの活躍ぶり、一時も目を離さず見ていたぞ。新たに設立された『河童の日』、大いに盛り上がっていたな」


「ぬらりひょんさん、お疲れ様です! いやぁ、今まで生きてきた中で、最高に楽しい一日になりましたわ!」


「そうかそうか。ならば来年も……、いや。その翌年も翌々年も、お前さんや皆が、こうやって楽しめるよう、我々も宣伝を続けていかねばなるまいな」


「え? それって……、もしかして?」


 遠回しに『河童の日』を、常設させると確約してくれたぬらりひょんが、焚き火に照らされた暖かな笑みを浮かべ、ゆっくりうなずく。

 その傍らで、先に、ある程度腹を満たしたかえでみやびが、野菜を切り始めた酒天の近くまで歩み寄って来た。


「酒天よ。酒羅凶への一本背負い、見事だったぞ。見ていて気持ちが良かった」


「楓さん! はいっ、ありがとうございます!」


「今年は俺がヘマをしちまったが、来年はそうもいかねえ。覚悟して待ってろよ」


 皆が来てしまったからには、普段通りに装おうとリベンジの意思を見せた酒羅凶が、一口大に切った鶏肉を鍋に投入していく。


「ほほう? もう来年を見据えておるのか。そうじゃのう……。金雨や銀雲も表舞台に出た事じゃし、満を持してワシも何かしてみようかの?」


「マジか。やるなら、流蔵、花梨、酒天、酒羅凶対、金雨様、銀雲様、楓の総力戦とか、めちゃくちゃ燃えそうだな。やっべ、来年の構想が止まらなくなってきたぞ」


「ならなら! あたしと親分を、仮で北と南の無敗とかにしてもらって、東西南北の無敗対、仙天狐様のエクストラ戦とかどうっスか!?」


「いいなあ、それ! 後で、ぬらさんと流蔵に打診してみるわ」


 楓の参戦を匂わす発言に、話を聞いていた鵺の妄想が止まらなくなり。

 悪気の無い酒天も、まさかの流れに呆気に取られた楓を尻目に、パッと思い付いた考えを披露しては、鵺の妄想を後押ししてしまい、構想の一部ををみるみる内に固めていく。


「んじゃあ、楓さん! 来年は俺達とタッグを組んで、一緒に『河童の日』を盛り上げていこうぜ!」


「……のう、銀雲? これはもう、決定事項なのかえ?」


「いつの間にか、僕も組み込まれてしまいましたので、お互い諦めましょう」


「お、おお……」


 既に逃げ場は無いと金雨に諭されて、言い訳すら封じられた楓が、口元を強張らせて立ち尽くす。


「へえ、ついにてめえも参戦か。面白え。これは余計に、来年が楽しみになってきやがったぜ」


「そうっスね! 今年以上に盛り上がること、間違い無しっス!」


「ふっふっふっ。お前さんらよ、話は全て聞かせてもらった。秋国総力戦、考えておこう」


「い、一月七日まで神楽を行っておるから、支障を来たさぬ程度に抑えて欲しいのじゃが……」


 流蔵と一杯交わしていたぬらりひょんも、前向きに検討してしまい。せめてもの救いとして、情けだけはかけてくれと、震えた声で訴えかける楓。


「分かっておる。正式に採用されたら、お前さん達に声を掛けよう。さてとだ!」


 楓の不安要素を汲み取りつつも、秋国総力戦の構図を諦めていないぬらりひょんが、改まった態度で声を張った。


「皆よ、今日一日お疲れさん。しかし、まだ『河童の日』は終わっておらんぞ。ちゃんこ鍋や酒は、山のように沢山ある。飲めや食えや、最後まで楽しもうではないか!」


「ならせっかくじゃし、ワシもここで食べ直そうかのお」


「ほらほら! クロさんも、ここが空いてますから、一緒に食べましょうよ!」


 ぬらりひょんの言葉を合図に、流蔵達が円を描いて座っていた場所は、新たに来た温泉街メンバーが徐々に加わり、大きくなっていく。

 やがてその円は、河川敷で一番巨大な物になり、『河童の日』が終わりを迎えるまで、焚き火よりも明るい笑い声が絶えずにいた。

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