97話-11、決め手の継承

「花梨さん。その原点の技とやらを破って、今度はあたしが西の無敗になり、流蔵りゅうぞうさんも倒してやるっス」


 人柄と職業柄が故、普段では見せる事のない闘争心と勝ちへの執念、鬼の威圧感を表に出し、花梨の精神力を削ごうとする酒天。

 しかし花梨は、気圧された様子をまったく見せず。むしろ触発され、友人に明確な敵意を当てられて心踊り、嬉しそうに口角を上げた。


「いいえ。やらせませんよ、酒天さん。私があなたに勝って、流蔵さんの無敗伝説に終止符を打ってやります」


 酒天の挑発を上塗りする挑発返しに、酒天の全身にくすぐったい武者震いが走り、あまりの嬉しさに雄々しくニッと笑った。


「ほんっと、今が楽しくて楽しくてしょうがないっス」


「ええ、同感です」


 体の底から溢れ出す心地よい闘争心に触発され合い、しばらく浸っていた欲に駆られるも、本能が戦いたいと頭に直接言い聞かせ、更に上体を沈める二人。

 実況席に居るぬえ銀雲ぎんうん金雨きんう達が、各々の役目を忘れ。観客達も、息を吸う時間すら惜しみ、二人が動く瞬間を見守っていた。

 騒ぐ余裕の出てきた自然界が、清涼な秋の風を吹かせ、秋国山に群生する紅葉とした木々を揺らし。川のせせらぎも静寂を佇ませんと、水の音を静かに立たせていく。


 正常に流れ出した時間が、一秒、二秒、三秒と刻んだ直後。花梨達が居た土俵の上で、煩わしい自然界を黙らすが如く、二度目の斜め十文字を描いた鋭い衝撃波が発生。

 流石に二回目ともならば、会場に居た者は予想がついており、全身を殴りつける衝撃波を耐え抜き、がっぷり四つをした二人を視界から離さなかった。


「んぎっ……! グッヌヌヌ……!」


「ふんぬぅうっ……!」


「さあっ! 再び力技に持ち込んだ二人は、やはり拮抗状態のまま! 先に動くのは、果たしてどちらか!?」


「行けーッ! 二人共ー!!」


「踏ん張る力が強過ぎて、足が土俵にのめり込んでいますね」


 二人が動き出し、ようやく実況を始めた鵺。最早、己に課された使命が頭から完全に抜け、一観客に回り二人を応援する銀雲。涼しい顔で衝撃波を受け流し、冷静に解説する金雨。

 観客達も、衝撃波を合図に腹から声援を発し、花梨と酒天コールの二極に分かれ、出せる限りの声圧を二人にぶつけていく。

 その、未だ別の技を繰り出せていない二人の全身は、四方八方から迫る厚い声援に押されていて、がっぷり四つを解き辛い状況に置かれていた。

 しかし、花梨にとっては都合の良い状況下であり。かつて、流蔵と初めて相撲を取り、気付かぬ間に敗北していた決め手を酒天に掛けるタイミングを、虎視眈々と狙っていた。


 少しも気が抜けない中で、花梨は、酒天さんの体を浮かせるには、本当に一瞬でやらないと。と思案し、酒天に悟られないよう、視線を足元へ落とした後。

 酒天さんの両足は、ギリギリ同時に払えるな。よし、そろそろ仕掛けるぞ! と意気込み、渾身の握力で握っている酒天の和服を握り直した。


「さあ酒天さん、行きますよ!」


「こ、来いっス───」


 堂々と攻めに入る事を宣言した花梨は、酒天の和服を握っていた手に、血管が浮き出る程の力を込め、瞬時に酒天の体を持ち上げ。

 数ミリだけ空いた隙間に狙いを定め、通常の妖怪ならば、骨折や切断しかねない威力の足払いを放った。


「わっ!?」


 たとえ酒天であろうとも、踏ん張りが解けた足を素早く払われれば、体は軽々しく払われた方向へ流れていき。訳が分からぬまま、空中で仰向け状態になり。

 視界から花梨が流れるように外れ、残紅が散らばる茜空しか映らなくなり、「酒天さん。今度は、お互いヘロヘロになるまでやりましょうね」と、近くで花梨の囁きが聞こえた直後。

 花梨は、浮遊感に包まれた酒天の胸元に手を添え、そのまま全身全霊で押し込み、大砲の発射音に似た轟音を響かせながら、酒天を土俵に叩きつけた。

 その衝撃と威力で、酒天の体を中心として土俵に枝分かれした亀裂が走り、一部の亀裂が土俵のふちまで達した頃。


「……え?」


 酒羅凶の拳や蹴りに耐えうる強靭な肉体をしていた為、特に外傷は負っていないものの。

 何故、自分は仰向けで茜空を見上げているのか、未だ理解していない酒天が、か細い声を漏らした。


「しゅ、酒天が土俵に叩きつけられたーーーッ!! よって、エクストラ戦第一戦目の勝者は、西の無敗こと花梨に決定だーーッ!!」


「え? えっ? ……ええぇーーーっ!?」


 鵺による大咆哮勝者宣言に、勝るとも劣らない絶叫紛いな大歓声に混ざり込む、酒天の驚愕した困惑声。

 各人各様な音が乱雑に飛び交う中。敗北という二文字が頭に流れ込み、薄々と理解が追い付いてきた酒天が、顔に片手を置きながらため息をついた。


「……ああ、そうっスか。あたし、負けちゃったんスね……」


「酒天さん」


 生涯で初めて味わう敗北に、言いようの無い悔しさが込み上げてきた矢先。勝者に呼ばれた酒天が、腕からそっと顔を覗かせる。

 下半分だけ開けた視界先には、雄々しい笑みを浮かべた花梨が、右手を差し伸べていて。大きく見える花梨の手を認めた酒天も、遅れてニッと笑い返し。その手をガッチリ掴んでは、上体を起こした。


「お見事っス、花梨さん。いやぁ……、負けるのってすごく悔しいっスねぇ」


「私も通った道だから、その気持ちは痛いほどよく分かります。なので!」


 会話を一旦中断させた花梨が、握っていた手を力任せに引っ張り、土俵に座っていた酒天を強引に立たせた。


「リベンジマッチは、いつでも受けます! 来年も出来たら、この土俵で熱い相撲をしましょうね!」


 まだ来年の『河童の日』開催日は未定であるが、酒羅凶は酒天、酒天は花梨という繋がった再戦構図が完成してしまい。

 灼熱の興奮止まぬ間に、新たな起爆剤を仕掛けた花梨が、握っていた酒天の手を離し、今度は握手を求めてきた。

 当然、今すぐにでもリベンジマッチをしたい酒天は、花梨の握手を拒むはずがなく。ガッと握っては、約束の握手を交わした。


「次こそ絶対に勝ってやりますからね! 首を洗って待ってて下さいっス!」


「いいえ! 次も私が勝って、西の無敗という二つ名を守ってみせます!」


 来たる来年へ向けて挑発し、必ず防衛してやると挑発返した二人は、似た者同士ニッと笑って八重歯を覗かせて、共に称えんと軽く抱きつき。

 戦いの余韻を分かち合った後。二人は歓声が止まぬ会場へ体を向け、無垢な笑顔をしながら大きく手を振った。




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 『河童の日』最後の目玉である、エクストラ戦一戦目は花梨の勝利で終わり、二戦目の準備へ取り掛かるべく、皆が関係者専用の壁テント内で小休憩に入った後。

 激闘を繰り広げた一戦目の疲れを、少しでも癒す為に、花梨は椅子に座って熱いお茶を飲んでおり。

 束の間の休憩をしている花梨の背後には、ニコニコ顔の絶えない幸せそうな酒天しゅてんが抱きついていて、上機嫌に鼻歌を歌っていた。


「えらいご機嫌じゃねえか、酒天。花梨と相撲を取れて、よかったな」


 絶叫級の実況をし続けてきて、酷使した喉を辻風つじかぜ印ののど飴を舐め、応急処置していたぬえが声量を抑えて問い掛けた。


「はいっス! 今日という最高の日を、あたしは絶対に忘れません! それにしてもっ」


 疲れをまるで見せず、いつも以上に元気有り余る返答をした酒天が、花梨の肩に顎を置く。


「花梨さん、ほんっとうに強かったっス。足払いからの叩き落とし。あたし、最初何をされたのかまったく分かってなかったっスもん。すごく鮮やかでしたよー」


「あの流れは、私が初めて流蔵りゅうぞうさんと相撲を取った時に掛けられて、負けちゃった技なんです。それで酒天さんに勝つには、その技しかないと思って仕掛けました」


「あれを見た時は、あんなんやったなぁって懐かしさが込み上げてきたで。ほんま、いいもん見させてもらったわ」


 しみじみと語る流蔵も、花梨達の会話に混ざり込んでは、景気付けに高級キュウリを豪快に齧る。


「流蔵さん。そうやって緩く喋ってる暇は無いっスよー? あたしの師匠は本当に強いから、覚悟してて下さいっス!」


「えっ? 師匠?」


「はいっス! 今日だけでもいいんで、花梨師匠と呼ばせて下さい!」


 己より力の使い方が上手く、技のキレも遥か上を行っていて、完膚なきまでに負けを認めさせられた酒天が、尊敬の眼差しで花梨を見やった。


「あっははは……。姉妹じゃなくて、師弟関係になっちゃったや。それじゃあ、弟子に良い所を見せたいので、流蔵さん」


 酒天との関係が忙しく変わっていく最中。師匠としての風貌を即興で作り出した花梨が、キュウリを食べ終えた流蔵を、闘志溢れた鋭い目で睨みつけた。


「これで、三度目のリベンジです。今日こそあなたに勝って、東の無敗伝説を終わらせてあげます」


「おう、その意気や。ワシの日やからって、手ぇ抜くんやないぞ? 情けない相撲をしたら許さんからな」


 土俵の上ではなく、休憩中に一触即発状態になった二人が、不敵な笑みを浮かべ、花梨はお茶をすすり、流蔵も冷水を注いだコップに手を伸ばす。

 そのまま二人は黙り込み、第二のエクストラ戦に向けて精神統一を行い出し、休憩が終わるまで目を開ける事はなかった。

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