97話-7、酒天VS酒羅凶

 酒呑童子と茨木童子の関係を知っている者であれば、まず実現不可能だと断言出来る夢の対戦カードに、観客は興奮を隠し切れず、大気が割れんばかりの大歓声を上げていく。


「親分! 今日は無礼講っスよ! 最初で最後の下克上を果たしてやるっス!」


 まずは会場を盛り上げようと、普段なら宴会の場においても、口が縦に裂けようが放つ事の無い挑発を、易々と言い放つ酒天。

 一方、仕事中なら問答無用で蹴り飛ばすであろう酒羅凶は、初めて見せる酒天の反抗的な態度に、心が震えるほど深い感銘を受けてしまい、ゴワゴワな白髭で隠れた口元を緩ませていた。


「酒羅凶はん、なんか嬉しそうにしとるな」


「あんな優しい目をしてる酒羅凶さん、初めて見たや」


 流蔵りゅうぞうや花梨にまで悟られてしまうほど、甘い余韻に酔いしれていた酒羅凶が、我に返って野太い咳払いをする。


「はっ! 態度だけ一丁前になりやがって。俺様に勝とうなんざ百年早いんだよ」


「ならここで、百十年分頑張って親分を超えるっス! 必ず勝ってやるっスから、覚悟して下さい!」


 酒天の口から出たとは、到底思えない強気な発言に、酒羅凶の感銘は天井を突き破り、荒々しい呼吸として鼻から漏れ出していく。

 頬はほんのりと赤く火照り、『ふんすふんす』と鳴り続ける可愛げな呼吸音は、観客にとって怒髪天寸前の前兆だと勘違いされ、怪我の功名な畏怖を与えていった。


「その軽ったらしい意気込み、粉々に砕いてやっから掛かって来い」


「望むところっス!」


「では、待った無し」


 金雨きんうの合図に、二人は四股を踏んで河川敷を揺るがし、仕切り線に片手を置く。しかし、酒羅凶の気が緩みっぱなしのせいか。

 花梨対銀雲戦に比べると、土俵上の空気はだいぶ和やかになっており。その柔らかな空気を察知していない観客は、己が作った緊張感に囚われ、固唾を呑んで二人を見守っていた。


「はっけよい、のこった」


 行司ぎょうじを任された金雨が、掛け声を上げるも、酒天と酒羅凶はがっぷり四つに持ち込まず、互いに睨み合いを続ける。


「おっとォ、両者動かない!」


「あの体格差だからな。酒天は下手に動けないだろ」


「迂闊に懐へ潜り込んでも、相手の思う壷でしょうね」


 酒天と酒羅凶の身長差、おおよそ百五十から二メートル前後。

 力の差も歴然で、全てにおいて劣る酒天に、先手で動ける要素は無く。まずは相手の出方をうかがい、そこから行動を起こさざるを得なかった。


「一応、頭は使ってるみてえだな。けど、そっからどうすんだ?」


「親分次第っス」


「挑発にも乗らねえってか。ふんっ、正解だぜ。なら、お望み通りだ。一発で埋まるんじゃねえぞ?」


 あくまで先行を譲る酒天に、冷静な判断だと褒めた酒羅凶の初撃は、酒天が吹き飛ばないようにと配慮を込めた、斜め下に目掛けて振るう鋭い突き出し。

 一般の妖怪は、プレス機に押し潰されそうな錯覚を起こす突き出しに、酒天は両腕を頭の上にクロスさせ、自前の剛力のみで真っ向から受け止め。

 土俵が酒羅凶の突き出しに押し負け、酒天の足元が浅く陥没し、そこを中心として辺りに亀裂が走っていった。


「秋国が誇る最凶の突き出しを、難なく受け止めたァーーッ!」


「あの突き出し、本気じゃねえな。よくて二割か」


「ですね。しかし、僕達は仙術で身体強化をしていないと、受け止めるのは厳しいかもしれません」


 酒天の体を通し、土俵に亀裂が走る威力ながらも、酒羅凶は相当手加減していたようで。その事に気付いてた酒天も、力んで寄っていた額のシワを、不服そうに深めていく。


「親分! 本気で来て下さいっス!」


「馬鹿野郎。片手で防げねえ奴が、なに粋がってやがる。それに、ここでクレーターを作るつもりはねえよ」


 一度本気を出せば、考えうる未来は容易に想像が出来てしまい。二次被害で負傷者を出さぬよう、細心の注意を払った酒羅凶が、空いていた手を後ろへ引き下げる。


「今度は土手っ腹に張り手かますぞ。ちゃんと防げよ」


 あえて先の手を教えた酒羅凶が、酒天の隙だらけな脇腹を狙い、剛風を纏う張り手を繰り出す。

 が、風圧で押し飛ばされかねない、巨大な壁を彷彿とさせる張り手を、酒天はクロスさせた片方の腕を強引に引き抜いては、張り手が迫る方へ移動させ。

 陥没した土俵に両足を引っ掛けて踏ん張り、上からのしかかる突き出しの重圧も利用し、酒羅凶の張り手を何とか片手のみで防いだ。


「んぎっ……! ま、まだまだっス!」


「ほう、やるじゃねえか」


 酒羅凶にとって、戯れる程度に力を抑えているものの。抵抗の意志を見せつけ、期待通りに防御してくれた酒天に、酒羅凶の声が思わず嬉々と弾む。

 しかし、力を緩める事自体は怠らず。酒天がなんとか反撃に出られる力加減を保ち、窮地へと追いやっていく。


「で、ここからどうすんだ?」


「 ……こ、こうするんスっ!」


 瞬間。酒天は防御していた両手に、限界まで力を込めて酒羅凶の手を僅かに浮かせ、生まれた隙間を素早く掻い潜り、バックステップして背後へ逃げる。


「うおっ」


 その拍子に、酒羅凶はバランスを崩して前かがみになるも、ずば抜けた体幹により体勢を崩さず持ち堪えた。

 が、酒天は刹那に強張った酒羅凶の隙を見逃さず。すぐさま、全握力を駆使して酒羅凶の中指を掴み、文字通りの一本背負投げをかました。


「ぬおりゃあああーーーッ!!」


 体格差があり過ぎるせいで、背中ではなく高く挙げた肘を、酒羅凶の手の平に強引に付け、勢いのみで投げ飛ばそうとする。

 その酒羅凶は、まだ体の強張りが解けておらず。一本背負投げを引き止めようとするもコンマ秒遅れてしまい、巨体がふわりと宙へ浮いた。


「う、浮いたーーッ! 酒羅凶の体が浮いたーーッ」


「わあ、すっげ……」


「正に、力技ですね」


 流石の酒羅凶も、虚空で踏ん張る事は出来ず。直立した体の足先が、真上の空を指し示す。だが、体勢を立て直す事自体は容易らしく。

 投げられた勢いの風圧で、張っていた背中に力を込めて反り返し。逃げ遅れた観客の行く末を見切りつつ、空いた場外へ着地した。


「っと! ……ふう、危ねえ。ふんっ。俺様を投げ飛ばすたあ、ちっとはやるじゃねえか───」


「酒羅凶、まさかの場外により、第二のサプライズイベント戦は、一度限りの下克上を果たした酒天の勝利だぁぁあああーーッ!!」


「───あっ?」


 酒天に見せ場を作ろうとして、大袈裟に投げ飛ばされた酒羅凶が、相撲を続けようと土俵のある方へ振り向いた矢先。

 戦いの終わりを呆気なく告げる、訳が分からない実況と、未曾有の番狂わせによる勝敗に、鼓膜が破けかねない狂喜の大歓声が後を追う。

 そんな、温まり始めた体を一気に冷ます、筋違いが極まった判定に、酒羅凶は当然納得していなく。戦いに水を差した鵺へ、怒りが籠った獣王の瞳で睨みつけた。


「おいコラ鵺。なんだ? これからって時に、ふざけた実況しやがって。あんま舐めた真似すんじゃねえぞ?」


「これからも何も。お前、土俵の外に出たんだから負けだぞ?」


「えっ」


 素っ気ない鵺の返答に、抜け切った声を漏らした酒羅凶が、土俵外に付いた己の両足を視界に入れて、すぐさま鵺に戻す。


「……相撲って、場外に出たら負けなのか?」


「ああ、負けだ。知らなかったのか?」


「いや、まあ……。ああ〜……」


 歯切れの悪い反応と、困り切った様子で、土俵の上で勝鬨の咆哮を上げる酒天や、鵺を見返していく酒羅凶。

 反論しなくなった所を察するに、どうやら何も知らなかったらしく。すっかり意気消沈した酒羅凶は、このやり切れない場を、どう乗り切るか考えた結果。

 負けを認める他無いと結論を出し、「ふっ……。ハァーッハッハッハッ!!」という、大歓声を諸共吹き飛ばす笑い声を放った。


「よう、酒天。知らねえ間に強くなったな。けど、次はこうも行かねえ。俺様に塗りたくった泥は、いつかてめえの顔に塗り替えしてやる。覚悟して待ってな」


 そう、不燃焼さを隠し切れていない酒羅凶は、酒天の「はいっ! ですが、あたしだって次も負けないっスからね!」という、負けを見せない意志を背中で受け止めながら、関係者専用の壁テント内へ逃げ込んでいった。






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都合により、次回の投稿は11/17になります。

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