97話-2、河童の日

 秋国としては異例で、温泉街よりも河川敷に妖怪が集中していて、大いなる活気に溢れた朝の九時五十五分頃。

 特に緊張している様子のないぬえは、来たる開催時間に備え、簡易の特設ステージに立ち、マイクを片手に待機しており。

 関係者専用の壁テント内で、鵺に呼ばれるのを待っている花梨、酒天しゅてん流蔵りゅうぞうは、予想を遥かに上回る参加者の数に圧倒され、テントの隙間から呆然と会場を眺めていた。


「なんや、この参加者の数は? えらいこっちゃやで……」


「私と流蔵さんが、交代制の相撲リレーをしてた時よりも、断然に多くないですか?」


「ひぇ〜……、とんでもない数っスねー。流石に緊張してきたっス」


 流蔵が見知った常連客。鵺と猫又の莱鈴らいりんが作成した宣伝ポスターにより、募った新参の筋肉隆々な鬼。

 風の噂を聞いて訪れたのか、この場では異色とも言える子連れの親子。歴戦の風貌を纏う、体中古傷だらけの大男などなど。

 老若男女問わず、普段見る事が無い組み合わせの妖怪達も多々と居り。会場は正に、満員御礼状態のお祭り騒ぎと化していた。


「子連れの親子も居るがな! ……せやかぁ。ここで親子を見るのは、いつぶりぐらいやろか。感極まるで」


「早速、無料提供のジュースを飲んでるっスね。ニコニコ笑顔が、なんとも可愛いっス」


「今日はほんと、色んな妖怪さん達が居ますね。すっごく強そうな見た目をした妖怪さんも、大勢居るなぁ」


 『河童の川釣り流れ』をオープンして以来、初めは子連れの親子が釣りをする目的で、この河川敷に訪れていたものの。

 数週間後には、その子連れ親子すら来なくなってしまい、途方に暮れていた時期が流蔵にあり。窮地を救った切っ掛けを作ったのが、ぬらりひょんと花梨であった。

 そんな、久しぶりに見る親子連れに、流蔵がしみじみしている中。鵺がマイクのスイッチをオンにしたのか、会場内に甲高いハウリング音が鳴り響いた。


「おっと、そろそろ開会式が始まっちゃうや。剛力酒を飲まないとっと」


 未だに人間の姿でいた花梨が、あらかじめ用意していた特定量の剛力酒を取り出し、クイッと飲み干していく。

 すると、すぐさま副作用が体に現れ。数秒もすれは、花梨は酒天と見間違えてしまうような姿に変わっていった。


「よし、準備完了!」


『えー、皆さん。大変長らくお待たせ致しました。これより、栄えある第一回『河童の日』開会式を行います』


 花梨が、茨木童子に変化へんげを終えたと同時。鵺が開会式を始め、会場内に拍手の嵐が巻き起こり、やがて疎らになっていく。


「いやー、とうとう始まったなぁ。最初はワシが呼ばれるやんな?」


「そうっス。んで、次にあたしで、最後に花梨さんの順番っス」


「よーしっ。西の無敗の二つ名に懸けて、会場を沸かせていきますよ!」


 特別ゲスト枠として呼ばれ、河童の日において酒天に次ぎ、目玉の一つと言っても過言ではない花梨が、気合いの入った言葉を放つ。


「心強いのお。もしワシが滑ったら、二人共頼むで?」


「はいっス!」


「任せて下さい!」


 余裕綽々ながらも、唯一頼れる二人にだけ弱気を見せる流蔵に、酒天と花梨は当たり前のように即答して、頼り甲斐のある笑みを送る。

 そんな二人に、流蔵は心の底から安堵し。弱気はもちろん、過度な緊張感まで程よくほぐれ、「せやか」と返し、ワンパク気味な笑顔を見せた。




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「何かご不明点がございましたら、各場所に設置された案内板を確認するか、スタッフの女天狗、または猫又にお聞き下さるようお願い致します。それでは会場内における説明は、以上になります。ご清聴、誠にありがとうございます」


 開会式の初めから終わりまで、一貫して大人しく分かりやすいよう説明していた鵺が、澄ました顔でお辞儀をする。

 しかし、次の部に入るや否や。鵺の切れ目には、会場を焼き尽かさんとす熱い闘志が宿っており。口角を緩く上げ、静かに鼻で笑った。


「さぁて、硬っ苦しい前置きはこれぐらいにしてだ。司会進行兼実況役は、引き続き私がお送りする。前置きで会場が冷え切っちまったから、こっからはガンガン温めていくぜ!」


 先程の淡々と説明していた時とは打って代わり、いつもの本調子に戻った鵺が、十人十色千差万別な客層に合わせ、聞き取りやすい張った声で進行していく。


「つっても、私の御託に付き合いたい奴なんざ、これっぽちも居ねえだろう。だから早速、『河童の日』に欠かせねえ主役共の紹介に入るぞ! 全員、盛大な拍手で迎えてくれよ! そんじゃあ行くぜ!」


 血の気が多い者が、多数居ると予想出来るこの場において、勿体ぶるのは最悪手だと判断した鵺は、マイクをギュッと握り締めた。


「ナンバーワン! 『河童の川釣り流れ』店長にして、我らが相撲の総大将! 勝率はなんと、歴代ほぼ全勝一引き分けの負け無し! 秋国が誇る相撲界最強のレジェンド河童、東の無敗こと流蔵のお出ましだァッ!」


 煽り文句を詰め込んだ紹介を吠え、特設ステージの背後へ手をかざすと、待機していた流蔵が堂々と入場し、会場が一斉に沸き上がり、熱気と大歓声に包まれていった。

 その、分厚い圧の壁にも似た大歓声に押されるも、流蔵は怯まず歩みを進め、特設ステージを降りていく。

 そして、この日の為に作られた三つの土俵の内、真ん中の土俵へ上がり、待っていた女天狗からマイクを受け取った。


「紹介に与った流蔵や。まずは、皆に感謝を言いたい。ワシらの為にここへ集まってくれて、ほんまありがとう」


 どこか照れくささが垣間見える感謝を述べた流蔵が、深々と礼をしている最中。

 会場から、「今日という日を楽しみにしてたぞー!」や「もっと早くやって欲しかったぜー!」などといった、この日を待ち望んでいた野次がいくつも飛び交っていく。


「無名でしょぼくれとったどうしようもないワシを、ここまで育ててくれたのは、他でも無い皆のお陰や。ワシ一人で居たら、今でも『河童の川釣り流れ』は寂れ果てたままで、ワシは河川敷でグーダラしておったやろな。皆と出会う事無く、相撲も取れず、ただ寝っ転がってるだけやったかもしれん。しかし、今は違うで!」


 かつて『河童の川釣り流れ』が、閑古鳥状態が続いていた暗い話から始まるも、今度は活気に満ち溢れた声で続ける流蔵。


「相撲を通して数多の猛者と出会い、毎日毎日熱い相撲を取れとる! 本業の釣りも軌道に乗った! そして今日、こんなワシには勿体ないほど大層な日を、開けるまでになった! これほど嬉しい事は無い! だからワシは、皆に恩返しがしたい! 今日のワシは、一戦一戦全身全霊を込めて相手したる! 手加減なんか一切せえへんで! 東の無敗は、ここに立っとるぞ! 倒せるもんなら倒してみい! 全員、本気出してぶつかって来いやあ!」


 腹の底から出した、全力を込めた熱意と感謝の絶叫に、聞いていた観客は一瞬静まり返るも。流蔵のパフォーマンスが終わりを迎えてから、数秒後。

 徐々に感化された観客達は、流蔵の言葉に応えるかのように沸き出し、入場した時よりも遥か上をいく灼熱の声援に溢れ返っていった。


「流石は、我らが相撲の総大将。胸に熱いもんを感じたぜ。相撲未経験の私ですら触発されて、あんたと一戦交えてみたくなっちまったわ」


「おう、ええで! いつでも待っとるでえ!」


 先のパフォーマンスにより、早く相撲を取りたくなってきたようで。鵺のインタビューを真に受けた流蔵が、ニカッと無邪気に笑う。


「いや。温泉街までぶん投げられちまいそうだから、やっぱ私は実況に徹するわ」


「せやか? 遠慮しなくてもええんやで」


「マジかよ。んじゃ、帰る時になったら永秋えいしゅうまでぶん投げてくれ」


「任しとき、浸かりたい露天風呂に直送したるわ」


 流蔵があまり慣れていない冗談を交え、会場に一笑い起こすと、周りの反応に好感触を得た鵺が、満足気に口角を上げた。


「よっしゃ、これで帰りが楽になるぜ。さて、そろそろ次の紹介に入るぞ。次はなんと、滅多にお目にかかれない相当珍しいゲストだ。皆、拍手を忘れないでくれよ? そんじゃあ行くぜー!」


 会場の期待を大いに煽る前置きをした鵺が、マイクを再び強く握り締め、空いている手を背後にバッとかざした。

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