92話-4、それぞれの時間(閑話その①)

 天狐のかえでが、大嶽丸おおたけまるに圧倒的な力の差を見せつけて蹂躙した、次の日の昼頃。

 昨夜、茨木童子の酒天しゅてんに一報を入れつつ、安否を確認して店に帰った酒呑童子の酒羅凶しゅらきは、一人で就寝するも。

 帰宅した酒天に、大嶽丸から送られてきた果たし状を読まれてしまい、すぐさま叩き起され。

 怒り狂った酒天をなだめるも、今までの経緯を黙っていたせいで、怒りの矛先が酒羅凶にも向いていた。


「ったくもう! あいつの妖気を感じたから、もしかしたらって思ったら、やっぱり来てたんスね!? 今度来たら、あたしが叩きのめしてやるッ!」


「落ち着け。楓が出禁を食らわせて頞浮陀あぶたに直葬しちまったから、もう二度と来ねえよ」


「あいつの事だから分からないっスよ!? 第一、あたしは昔からあいつが大嫌いだったんス! いっつも親分を平気で傷付けるし、ヘラヘラ笑ってるし! ああ、もうっ! 思い出しただけでイライラしてくる!」


 地団駄を踏めば、床が抜けてしまい。物に当たれば、一撃で粉砕しかねない事を知っている酒天は、ただその場で後頭部を抑え、悶える事しか出来ず。

 その懐かしさを覚える悶えっぷりに、呆れた酒羅凶は、こんな酒天を見たくねえから、あいつから遠ざかる為に秋国へ来たっつうのによ。と、心の中でため息をついた。


「おい酒天。一回しか言わねえから、ちゃんと聞きやがれ」


「なんスか!?」


「俺が一番辛いって思うのは、てめえがそうやって怒り苦しんでる姿を見てる時なんだよ」


「……へっ?」


 よもやの告白に、沸煮えくり返った頭が一気に鎮火した酒天が、金色をした獣の目を限界まで丸くさせ、両手をダランと垂らす。

 そのまま隙あらばと、片手で酒天を抱き上げた酒羅凶は、太ももの上にそっと座らせた。


「お、親分? 今言った言葉、本当、なんスか?」


「そうだ。で、俺が一番好きなのは、てめえの笑顔を見てる時だ」


「あ、あたしの……、笑顔?」


「ああ。てめえの笑顔を見るのが、この上なく好きだ。だから、もう落ち着いてくれ。怒り苦しんでるお前なんざ見たかねえ。何も出来ねえ自分が許せえねえし、マジで辛いんだよ」


 胸の内を洗いざらい吐くには絶好の機会だと、常に荒々しくぶっきらぼうな酒羅凶の語り口に、棘の無い柔らかみが帯びていく。

 長い付き合いの中で、憧れた者の真意を初めて触れた酒天は、どうすればよいのか分からなくなり、言葉に詰まった口を尖らせていった。


「で、でも親分。あたし、よく仲間達に怒ってるっスよ? その時は、何も言ってこないじゃないっスか」


「あれは怒ってんじゃねえ。ミスしたから、副店長として叱ってんだろ?」


「あっ……。そうっス、ね」


「それともなんだ? ただ私情で怒りをぶつけてただけだって言うのか?」


「あいやっ! 決してそうじゃないっスよ!? 叱った後は必ず一緒に裏に行って、ちゃんと慰めたり励ましてるっス!」


 誤解を招く言い回しに、冷や汗をかきながらあたふたし出し、必死になって弁解する酒天に、酒羅凶が「ふっ」と鼻で笑う。


「一部始終見てっから知ってらあ。で、そいつと同じミスをしたてめえが、俺に吹っ飛ばされんだろ?」


「あ、あっははは……。その通りっス」


 冗談と結末を織り交ぜ、会話を盛り上げていき、ようやく酒天が苦笑いを浮かべ。

 待ちわびていた笑みを見られた酒羅凶は、少し、昔話をするか。と次なる話題へ移るべく、酒天の頭にドスンと手を置いた。


「それにしてもよ。てめえがあんなに怒ったのは、秋国に来てから初めてだな」


「そりゃそうっスよ。あたしが本気で怒るのは、大事な人が傷付けられた時っスもん。だから秋国へ来る前は、ずっと怒ってたんス」


「毎晩毎晩、暇さえありゃあ決闘してたからな。……やっぱり、そういう事か」


 まだ二人が秋国へ来る前の事。三大悪妖怪の酒羅凶に魅入られた大嶽丸は、己もその地位に就きたいと、酒羅凶にしつこく付き纏い。

 酒羅凶も酒羅凶で、満更では無い様子で決闘を受け入れ、日々地形を変える戦いに明け暮れていた。

 しかし、決闘が終わる度に酒天は大荒れし、大嶽丸を酷く恨みながら酒羅凶の手当をしていた。


 薄々と気付いていたものの。酒天が怒り狂っていた原因は、自分のせいでもある事実に直面した酒羅凶は、深い後悔の念に駆られ。

 心配そうに見つめてくる酒天の頭を撫でると、こいつには、悪い事しちまったな。と荒んだ心がチクリと痛み、眉間に浅いシワを寄せた。


「俺の為を想って怒っててくれてたんだろうが、俺もてめえを怒らせてたみてえだな」


「いえ、親分は悪くないっス。全部、決闘を吹っかけてきたあいつが悪いんス」


「いや、俺のせいもある。あの時は、俺も決闘を楽しんでやってたからな」


「……じゃあ、親分も悪いっス」


「はっ! 言うようになったじゃねえか」


 他愛もない小突きだが、酒天から初めて言われた事もあり。堪らなく嬉しくなった酒羅凶が、表情で読み取られてしまう程の笑顔を見せた。

 その喜びが手にまで移り、うぐいす色をした酒天の髪を、クシャクシャに乱していく中。

 一種の愛情表現だとして受け取り、無抵抗で頭を撫でられていた酒天が、何を思ったのか。「あっ、そういえば」と口を開いた。


「親分。甲冑の傷は増えてるみたいっスけど、体はどこも傷付いてないっスね。あいつの攻撃は、全部防いだんスか?」


「むっ……」


 素直に事の流れを言えば、酒天の怒りが再燃しかけない質問に、酒羅凶の強張った口が一文字に広がっていく。

 楓と我慢比べという名目で、全身がズタボロになるまで大嶽丸の雷を浴び、ススキ畑の消化活動を終えた後。

 別れ際に、気を利かせてくれた楓が、神通力で傷を全快してくれた事なんぞ、今の酒天にはとても明かせず。

 思わず視線を逸らした酒羅凶が、「あ、あ〜っ……」とバツが悪そうに視線を戻した。


「ま、まあ……、軌道が読みやすい攻撃ばかりだからな。大体は甲冑で防いで、残りは避けた」


「おお〜っ、やっぱり! 流石は親分っス! じゃあじゃあ、あいつを懲らしめたのも親分なんスね!」


 期待通りと言わんばかりと、みるみる輝いていく酒天の無垢な眼差しに、類まれなる罪悪感が芽生え、心に鋭い痛みを感じた酒羅凶の顔が苦痛に歪んだ。

 期待に満ちた酒天を裏切れば、愛想を尽かされるかもしれないと深読みしてしまい。

 この話題を心底止めたくなった酒羅凶は、どうにかして話題を更に変えるべく、「……そ、そんな事よりもだ」と震えた語り口を開いた。


「俺の攻撃に、刀で斬撃を飛ばしたりよ、金棒で地面をぶっ叩いて、地面を隆起させて相手を吹き飛ばすのがあんだろ?」


「えっ? ……ああ、あるっスね。それがどうしたんスか?」


「それらには、名前が付いてねえんだ。でだ! もしお前が、これらに技名を付けるとしたら、どんなのにする?」


「技名、っスかぁ。んん〜……」


 唐突に始まった至極難題な質問返しに、酒天は唸りながら腕を組み、深く悩ませた顔を傾けていく。

 十秒、三十秒と唸り声が部屋内を満たしていき、そこから数十秒後。「あっ!」と弾けた声を上げた酒天が、目をカッと見開いた。


「斬撃の方は、『師走捌き』なんてどうっスか?」


「……へえ? 師走捌き」


 話題を逸らす為に、一蹴した楓の提案をあやかってしまったが。思いのほか心を打たれ、悪くないと思った酒羅凶の左胸が、ときめいてほんのりと火照っていく。


「わ、悪かねえな。なんで、その技名にしたんだ?」


「えっとっスね。親分の斬撃って、素早い乱打なのに、全部正確に当たるじゃないっスか。その姿が、忙しい書き入れ時でも、正確無比に魚を捌いていく親分と重なったので、そんな風に名付けたっス!」


「お、おお〜っ……。なるほどなぁ」


 酒羅凶にとっては、とてもまともな技名だと脳内で都合良く変換され、楓が、あそこまで惚気けるのも、これなら頷けるぜ。と、感情が昂り興奮し始めていった。


「その技名、採用するわ」


「本当っスか!? やったー!」


「おい酒天。金棒の方も、考えてくれねえか?」


「いいっスよ! ちょっと待ってて下さいね!」


 即興の技名が採用された事もあり、だんだん気持ちがノッてきた酒天が笑顔で快諾し、その顔を維持したまま技名を考え出し。

 早く新たな技名聞きたいが、急かしてはいけないと葛藤する酒羅凶は、鼻息を荒げつつ酒天の動向を見守るも、その圧の強い顔をじりじりと寄せていった。

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