92話-3、一方的な戦い

「グワッ!?」


 天狐のかえでが、大嶽丸おおたけまるに輪廻転生でもしない限り、秋国に対しあらゆる接触を禁じた矢先。

 棒立ちしていた大嶽丸が、不可視の何かと激突し、後方へ吹き飛ばされていく。しかし、飛ばされた先にも不可視の何かが待ち構えていたのか。

 鈍い衝突音を発したと同時、ほぼ垂直に空へ舞い上がり。今度は叩き落とされた様に、右斜め下へ急落下。

 が、地面に付く寸前。真左へ体が方向転換するも、再び固い衝突音が鳴り響き、大嶽丸の巨体が空へ昇る。


 大嶽丸の飛びゆく先々に不可視の何かが居り、それと接触してはあらぬ方向へ吹き飛ばされてを繰り返し。

 やがては、その吹き飛ぶ距離がだんだんと狭まっていき、抵抗すら許されぬピンボール状態と化していく。

 両手に握っていた長刀は折れ果て、楓を威嚇していた稲光も消失し、激しい豪雨の音を、空振を伴う衝突音が掻き消していった。


たけを一方的に嬲るか。何をぶつけてんだ?」


「超圧縮した空気じゃ。主に、亜音速で飛来して来る枕やぼぉるの速度を抑え込む為に使っているんじゃが、どうやら戦闘でも有効なようじゃの」


「枕やボール?」


 戦闘中には場違いな単語が出てきたせいで、持っていた長刀と金棒を地面に突き刺し、腕を組んでいた酒羅凶しゅらきが右目を細める。


「定期的に仲間達と、枕投げやどっちぼぉるといったりくりえぃしょんをやっていてのお。最初は、地狐達がほのぼのと投げて来るんじゃが。だんだん人数が減ってくると、端から全力の仙狐達が出て来て。仙術と神通力が飛び交い、枕やぼぉふがあんな風になるんじゃ」


「へえ、よくぶっ壊れねえな」


「ワシと仙狐、共に細心の注意を払って扱っておるからの。まあ、あやつには必要の無い事じゃが。ちなみになんじゃが、あれは『天刻』と言っての。まだ幼い子が名を授けてくれたんじゃ」


 血飛沫を撒き散らす大嶽丸を気にも留めず。話を振ってすらいないのに、名前の由来を聞いてくれと説明し出した楓へ、まったく興味を持っていない酒羅凶が、「天刻ねえ」と渋々反応を示した。


「そうじゃ。天狐のワシが、虚に刻印を打っているような様から、天狐の刻印を合わせて『天刻』という名前になったんじゃ。ワシも、この技名を非常に気に入っておる」


「なるほど。妖狐って奴は、常々酔っ払ってるって事がよーく分かったぜ」


「ふふっ、そう妬くな。お主も、酒天から何か技名を授けてもらったらどうじゃ?」


「あいつは酒如きで酔っ払うタマじゃねえよ」


 ただ単純な自慢話を、「ケッ」で打ち切る酒羅凶に、本気で妬いていると満足気な楓が、かざしていた右手を天に掲げた。


「さて、話はこれぐらいにして。身ぐるみが大体剥がれたから、そろそろ頃合じゃの」


 悲鳴すら上げる隙の無い、三百六十度から絶えず襲い掛かる怒涛の天刻攻めに、長刀はつばつかまで砕け散り。

 身に纏っていた漆黒の鎧も大半を失い、雪原を彷彿とさせる白長髪は己の血に染まり、二本あった角も片方が折れていた。

 三メートルを超える巨体は、あらぬ方向へ何度も軽々と吹き飛び、一段と激しい衝突音を轟かせると、大嶽丸の体が真上へ飛んだ。


ぼっせ」


「ガァッハ……!」


 楓が右手をはらりと振り下ろすや否や。ようやく悲鳴を上げられた大嶽丸が、仰向け状態で地面に叩き付けられた。

 最後の一撃は、特に凶猛だったのか。大嶽丸を中心として地面が陥没し、辺りに深い亀裂を何本を走らせていた。


「鬼神として歴史に悪名を刻んだ貴様が、その程度な訳なかろう? さっさと立たんか」


 横殴りの豪雨により、陥没した地面に鮮血が混じった雨水が溜まり、じわじわと沈んでいく大嶽丸に無常な指図をするも、反応は来ず。

 呆気なく気絶したのかと疑うも、指先が微かに動いたかと思えば。血が滴る両手で勢いよく飛び起き、憎悪に支配された白目を楓に合わせた。

 だが、先に受けた連打のダメージは、確実に蓄積しているようで。呼吸は大いに乱れ、上体を支える両腕は若干震えている。


「お、おのれぇ……! オノレェエエーーッ!!」


 喉が裂けんばかりに絶叫を轟かせる大嶽丸が、豪雨により血が洗い流された右腕を掲げた。

 それを合図に、豪雨の勢いが落ちていくも。突如として湧いたよこしまな神気に触れた楓が、大嶽丸を捉えていた視界を仰ぐ。

 虚を衝かれた視界の先。目の眩む煌々こうこうと瞬く光が、見える限りの夜空を覆っており。太陽よりも明るく、楓達を熱く照らしていた。


「ふむ、火の大海か。じゃが、生憎ワシの体は冷えておらん。暖を取りたいなら、貴様一人でせえ」


 夜空を焼き尽くす灼熱の大海を認めた楓は、人差し指を掲げ、トンボの目を回す様に、指先をゆっくり回し始める。

 すると、楓の頂点に居た大海が渦を巻き出し。周りの炎を巻き込みつつ、螺旋を描きながら球体へ形を変えていく。


「何してんだ?」


「旋風を作り、大海を一箇所に集めてるんじゃ。規模が規模な故、ちと大変じゃがの」


「の割には、指一本しか使ってねえじゃねえか」


「使っているのではない、使わされておるんじゃ」


 解釈の違いだと言い直されるも、どちらにせよ大した変わりはないと、酒羅凶は「あっそ」と不貞腐れ気味に口を尖らせた。

 その間にも大嶽丸は、大火球と化しつつある大海の主導権を取り戻そうと、両手を使い抵抗するも、楓は涼しい顔をしながら大海の全てを掌握していく。


「小童め、ススキ畑を全焼させる気かえ? 範囲が『木霊農園こだまのうえん』まで届いておるじゃないか」


「なんだと? おい楓、取り零すんじゃねえぞ?」


「結界を『魚市場難破船うおいちばなんぱせん』まで張っておるから安心せえ。いかなる厄災が来ようとも、何人なんぴとたりとも傷付けはせん」


 秋国全域のカバーは抜かりないと、さり気なく補足を入れた楓が、「よし、絡め終わった」と口角を緩く上げて、回していた指を止める。

 

「さあ、小童よ。豪雨に打たれて寒かろうて。今、温めてやるぞ」


 遠回しに死の宣告を放つと、楓は大火球を差していた指先を、今度は素早く地面へ振り下ろす。

 直後、無音の閃光がススキ畑全体を純白に塗り潰し。遅れてやってきた烈風と分厚い衝撃波が、酒羅凶の全身を殴打しながら通り過ぎ。

 純白に染まった視界が、前後左右に激しく揺れていると実感し出した頃。白の世界が視界のふちから薄れ、燃え盛る轟音と共に色付いていった。


「へえ、こいつはすげえや」


 目の当たりにした地獄絵図に、意に反して賞賛の言葉を漏らした酒羅凶が、全容を確かめる為に空を仰いでいく。

 大嶽丸が居た場所には、万物を焼き尽くさんとする業火の大旋風が荒れ狂い。怒りの矛先を天にも向けられ、遥か上空を覆う分厚い黒雲を穿っていた。

 途方にもなく巨大で、空を仰ぎ切っても頂点が認められぬ程高く。空気は焦熱にかき混ぜられ、呼吸をする度に酒羅凶の喉をチリチリ焼いていった。


「クッソあちいし、無駄にでけえな。横幅だけで何百メートルあんだ?」


「二、三百メートルはくだらんかの。小童も抵抗を止めて、大人しく結界を張りおったわ」


「流石にこれは、まともに食らったら蒸発しちまうだろうしな。正しい判断だぜ」


 右斜めに渦を巻く火炎旋風の熱に当てられ、辺りに群生しているススキも次々と自然発火し、烈風に捕らわれて飲み込まれていく。

 地面に突き刺している、酒羅凶の長刀と金棒も熱がこもり、焼き入れした様に赤く発光し出してから、数分後。

 絡め取った火の大海を使い果たしたのか。徐々に細くなっていき、やがては焦土だけを残し、尾を引く残火が天へ昇っていった。


 剥き出しになった土は焼き焦げ、蒸発した土を含んだ煙が、仄暗い闇を際立たせていく中。

 焦土の中央には、流していた血は全て固まり、上半身から透明に近い湯気を立たせ、両手を広げて顔を項垂れさせている大嶽丸が居た。

 呼吸はおろか、体はピクリとも動かず。目視だけでは生死の判別がつかない大嶽丸に、楓は「酒羅凶や」と口を開いた。


「次が来るぞ。防御するか、ワシから距離を取れ」


「馬鹿野郎。あいつの攻撃をなんべん浴びてきたと思ってんだ。てめえとは場数が違うんだよ。何十発食らおうが、屁でもねえ」


「ああ、そうじゃったの。なら、ワシも己の限界を知りたいから、我慢比べと洒落込もうか?」


「嶽にとっちゃ、これ以上に無え最悪の挑発だ───」


 天変地異をものともせず、己の耐久力を試してみたいと口走る楓に、呆れ返った酒羅凶が、大嶽丸に情けの感情が芽生えてきた直後。

 常に蚊帳の外へ追いやられていた大嶽丸が、地面に拳を叩き込み、無防備状態の楓に強烈な落雷を浴びせ、辺りに再び電撃の閃光が埋め尽くす。


「ガァアアアアーーーーッ!!」


 その閃光が晴れる前に、大嶽丸はがむしゃらに地面を猛打し、景色を色付けまいと厭悪万雷を降らせ、楓と酒羅凶の色を白へ染め続けていく。

 耳底を裂く尖鋭な爆音は止まず、地面を抉る電撃は一帯を駆け巡り。焦土の範囲を歪に広げては、地に降臨し損ねた火の大海を生み出していく。

 数十秒、一分では飽き足らず。楓という狐を確実に消滅させんと、執拗に地面を殴り続けてから数分後。

 とうとう息を切らせた大嶽丸は、殴るのを止め、肩で呼吸をし出すも。色付いた景色を認めた大嶽丸が絶句し、汗まみれの両腕を脱力させた。


 片や、瞬く青白き光を全身に纏い、稲光を発している無傷を保った楓。片や、仁王立ちして、口から白い煙を昇らせている、全身に焦げ目が付いた酒羅凶。

 酒羅凶も酒羅凶で、自前の痩せ我慢のみで厭悪万雷を耐え切られた事に、多少唖然としたものの。

 まるで、元から落雷など受けていなかったかのように、悠然と立つ楓を見て、大嶽丸は完全に戦意喪失してしまい。

 己の全てを出し尽くしたのにも関わらず、傷一つすら付けられなかった事実に、大嶽丸は初めて楓に対して戦慄した。


「き、貴様ァ……。一体、何者なんだ……?」


「酒羅凶が言っていたじゃろう? 天狐の楓だと。まあ、貴様のように歴史に名を刻んでおらんから、名の無き妖狐もあながち間違いではないがの」


 大嶽丸と対峙した時の自己紹介をあやかり、素っ気なく正体を明かした楓が、もう既に関心が無いという素振りで、大嶽丸に右手をかざす。


「さあ、小童。今度は暑くて仕方なかろう? いい場所へ飛ばしてやるから、頭ごと冷やしてこい」


 秋国を出禁の身となった大嶽丸に、別れの言葉を告げた楓が糸目を開き、妖艶な黄金色の瞳を覗かせた。


「天刻・雷掌」


 即興の技名を唱えた瞬間。圧縮された電撃の壁が、楓の前に出現。焦土を抉りながら猛進し、身構えていなかった大嶽丸に衝突。

 が、勢いは留まる事を知らず。一つの声すら出せなかった大嶽丸は、電撃の壁と共に夜空へ向かい、残雷を引き連れながら地平線の彼方へ消えていった。

 術者がその場から居なくなると、豪雨はだんだんと弱まり、夜空を覆っていた黒雲が薄々と霧散していく。

 そして、そこでずっと佇んでいた満月が姿を現し、己の役目を果たさんと、楓や酒羅凶の体を青白い月光で照らしていった。


「おい、楓。嶽をどこに飛ばしたんだ?」


 大嶽丸が居なくなったのにも関わらず、仁王立ちのままでいる酒羅凶が言う。


頞部陀あぶたじゃ。そこら辺なら、小童でも難なく耐えられるじゃろうて」


頞部陀あぶただあ? 八寒地獄の第一じゃねえか。閻魔大王が黙っちゃいねえぞ?」


「大丈夫じゃ。事前に使いの者を派遣して、閻魔大王には知らせておるから、何も心配は無い」


 全ては予定通りだと言い切った楓が、話を変えるように、両手を合わせて『パンッ』と音を鳴らす。


「さあ、酒羅凶や。これ以上延焼するとまずいから、消火をするぞ」


「すまねえが、しばらく一人でやっててくれ。筋肉が強張ってて、少しも動けねえ」


 痩せ我慢した代償か。万雷を受け過ぎたせいで、全身が悲鳴を上げている事を素直に明かした酒羅凶に、楓の口角が嬉々と吊り上がった。


「ああ、そんな! 我があるじ様、ご無事でございますか!?」


「だぁあああーーッッ!! 馬鹿野郎ッ!! 死ぬほどいてえんだから触んじゃねえッ!!」


 延焼を吹き飛ばしかねない断末魔が上がるも、その痛々しい反応に狐の性をくすぐられた楓が、耳と尾を楽し気に押っ立て。

 触るなという忠告を無視し、酒羅凶の左足へ強めに抱きつき、ススキ畑に更なる大絶叫を轟かせていった。

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