92話-2、最初で最後の観光

 大嶽丸おおたけまるが持つ長刀から発する鋭い音と、大地を踏んで生じる振動音が木霊する道中。

 天狐のかえでの背中を睨むのに飽きた大嶽丸が、初めて閑古鳥が鳴く温泉街へ目を配る。

 今の温泉街には、光源らしい光源が少なく。ぬらりひょんと楓が張った、透明色の結界が建物全てを覆い尽くしていた。


「女狐。この堅固な結界は、誰が張ってる?」


「我らが総大将、ぬらりひょん様でございます」


 結界自体は二重に張られていて、事前に楓も張っていたのだが。一人分の結界主しか伝えぬと、大嶽丸は「ほう」と興味あり気に返す。


「そういえば、ここの支配者はぬらりひょんだったな。そいつはどこに居る?」


「ちょうど真正面にあります、ここ『秋国』を代表する温泉旅館『永秋えいしゅう』に居ります」


「正面の建物、あそこか」


 まだ遥か先にある、一際目立つ巨大な建物へ手をかざした楓の説明に、大嶽丸は素直に正面を見やる。左右にあるシャッターが降りた店や、他の温泉旅館には光が灯っていないのにも関わらず。

 永秋だけは、営業中だと言わんばかりに煌々こうこうと光が灯っており。そこで違和感を覚えた大嶽丸は、見やっていた視線を楓へ戻した。


「何故、あそこにだけ光が灯ってる?」


「ちょうど先月。温泉街に居る一人の従業員が、満月の光に冒された者に襲われまして。ですので今宵は、外出禁止令が敷かれ、大体の店は夕方頃に営業を終え、避難場所の永秋だけが営業しております」


「ああ。そういえば、今宵は凶月の日か。……待てよ?」


 口外禁止の情報まで明かすも。そこで新たな疑問が芽生え大嶽丸の瞳に、猛火の殺意が宿り出す。


「貴様は、何故凶月の光を浴びても平気なのだ?」


「先程も申しました通り、私めは酒呑童子様に心と感情を壊された身。元より、狂い果てております故。それ以上に狂い昂る心と感情を持ち合わせておりません」


「……なるほど」


 狂気すら感じる返答に、流石は酒呑童子と納得した様子で、感銘の声を漏らす大嶽丸。ここまで信頼を得られたのであれば、ふざけ倒す事も可能だと企んだ楓は、とある建物に左手をかざした。


「大嶽丸様。左にありますは、この温泉街で高き人気を誇る甘味処、『極寒甘味処ごっかんかんみどころ』でございます」


「女狐、唐突になんだ?」


「道中、暇を持て余すかと思いまして。数十分程度ですが、観光などいかがでございましょう?」


「いらん。どうせ、我の手によって全てが滅ぶ。消えゆく物の説明など不要だ」


「全てが、滅ぶ?」


 滅びゆく理由を知っているものの。初めて聞いたていで反応を示した楓が、呆けた顔をかしげた。


「我は、盟友の酒呑童子を腑抜け者に変え、我から奪ったこの場所を酷く憎んでる。だから、跡形もなく徹底的に滅ぼすのだ」


「まだ、多くの観光客が滞在しておりますが」


「だからどうした? 我には関係無い。恨むのなら、今日ここへ来た運の無き己を恨むんだな」


 これ以上、話が通じぬ者との会話は無駄だと判断した楓は、「左様でございますか」と素っ気なく返し、前を向いて黙り込む。

 そのまま感情を押し殺し、ああ。ここまで怒りが込み上げてきたのは、生涯で初めてかもしれんのお。と静かに憤慨しつつ、歩みを進めていく。

 沈黙が続く道中は、果てにあった永秋へと差し掛かり。無言を貫く大嶽丸は気にせず、丁字路を左折する楓。

 背後から感じ取れる怨嗟の念と、混じり気の無い純粋な殺意が永秋へ流れていく様を、いつまでも認めながらススキ畑に足を運ぶ。


 そして、大嶽丸を案内し始めてから、約三十分が経過した頃。仄暗い闇を波立たせている、広大なススキ畑に到着し。歩みを止めた楓が振り向き、ススキ畑に向かい右手をかざした。


「大嶽丸様。ここが、例のススキ畑でございます」


「おい、女狐。酒呑童子が居らんではないか」


「酒呑童子様は、この奥に居ります」


「なら、そこまで案内しろ」


「仰せのままに」


 軽く会釈を挟み、千里眼を駆使して酒羅凶しゅらきの居場所を探り出し、ススキ畑の中へ入っていく。

 場所にして、温泉街から五百メートルにも満たない先。既に、こちらの気配を察知した酒羅凶を捉えた楓は、ススキを掻き分けぬまま直進する。

 あくまで地狐ちこ以下で、なんの力も持たない狐を演じる事、数分。

 色の無い開けた場所に出ると、先に抜けた楓は目を配り、唯一色付いていて、中央で仁王立ちしているあるじを目視した。


 右手に持つ、年季の入った長刀を肩に置き。何者をも叩き潰さんとする巨大な金棒を、左手で悠々と持ち。

 これから戦を始めんと、傷だらけの赤い甲冑を身に纏い。暗雲を穿つ、鮮血にも似た鮮やかな朱色の二本角を、ひたいから生やし。

 金色に発光した獣王の眼で、楓の背後に居る大嶽丸を認めた酒羅凶が鼻を鳴らし、白髪混じりでゴワゴワなヒゲをたなびかせた。


「来たか、たけ


「おお、酒羅しゅらよ!」


 かつての悪友と再会を果たし、気の緩んだ大嶽丸が無邪気に声を弾ませ、早足で酒羅凶の元へ歩んでいく。


「はっはっはっ! 久しく会ってなかったが、全然変わってないのお!」


「たった数十年そこらで変わってたまるか。ったく、バチバチ稲光出しやがって。てめえだって、あん時のままじゃねえか」


「我は生涯全盛期だからなあ! 一生変わらんぞ!」


 豪快に高笑いした大嶽丸が、酒羅凶の背中を砕かんとばかりに叩き、「はあっ」と一息ついた。


「しかし、見た目こそは変わってないが。中身は色々変わってしまったなあ、酒羅よ。果し合いをことごとく断り続けるなんて、貴様らしくないぞ」


「こちとら新作の酒造りで忙しいし、今は乗り気じゃねえんだよ。何回も断った時点で察しやがれ」


「乗り気じゃない? 三度の飯より果し合いを好んだ貴様が、乗り気じゃないだと!? どこか具合でも悪いのか?」


「気乗り以外は絶好調だ、馬鹿野郎」


 護るべき者を心配させたくなく、仕事が忙しいと嘘をついた酒羅凶が、持っていた金棒を地面に突いて寄りかかる。


「見れば分かる。それと、昔よりらしくなったではないか。流石は三大悪妖怪の一人よ、我も誇らしいぞ!」


「あ? どういう意味だ?」


「貴様の遣いから聞いたぞ。ぬらりひょん側に付いたというのに、中々の悪徳を積んでるではないか!」


「はあ? 遣い? まさか……」


 大嶽丸の狂喜具合に、嫌な予感を覚えた酒羅凶の眼が、遣いと説明された楓を睨みつけた。


「てめえ、嶽に何吹き込みやがった?」


「私めは、あるじ様に心と感情を壊されたからくり人形と、だけ」


「ただの女狐が、凶月の光をものともせぬ体になったと聞いた時は、心が熱く昂ったぞ! ああ、これぞ酒呑童子のあるべき姿だとなあ!」


 豪快な笑顔で嬉しがる大嶽丸に、酒羅凶の視界に居る楓が、袖で口元を隠してクスクスと笑う。

 秋国の滅亡が近いというのに、まるで緊張感の欠片すら見受けられない者達へ、酒羅凶は呆れ返ったため息を吐いた。


「ったくよお、変な所で狐の性剥き出しにしやがって。もういい、面倒くせえ。おい嶽」


「なんだ?」


「今日は、俺様と決闘しにここまで来たんだよな?」


「無論だ。そして、貴様と満足するまで殺り合った後。貴様を腑抜け者した温泉街を、完膚無きまでに滅ぼすつもりだ」


「それ、決定事項なのかよ……」


 事態は思っていたより深刻だと理解した酒羅凶は、たとえ己が果し合いを受けようとも、全てが無駄に終わると悟り。

 とりあえず、本来あるべき流れに持っていこうと、元々無かった戦意を更に喪失させた。


「だってよ、楓」


「酒羅? 貴様、誰に言ってるのだ?」


「そこで突っ立ってる天狐・・にだよ」


「わ、私めがですか?」


 わざわざ酒羅凶から正体を明かし、妖怪の次元から抜けた神に近し者に指を差せば。その指に視線を合わせ、楓へ滑らせていった大嶽丸の眉間に、信じられぬと深いシワが寄っていった。


「地狐より位が低い私めが、天狐を語るなど恐れ多きにも程がございます。お止め下さいませ」


「そうだぞ酒羅よ。こいつは、貴様が調教済の名も無き狐ではないか」


「ほんとドピュアだな、てめえは。嶽、いい加減気付け。こいつに化かされてんぞ」


「我が、化かさてるだと?」


 そんな馬鹿なと信じぬ大嶽丸の表情に、とうとう酒羅凶の口角が強張り出す。


「こいつはな、嶽? 俺様よりも、サシならぬらりひょんよりも強えぞ。俺様と果し合いするより、こいつと殺り合った方がよっぽど有意義だと思うぜ」


「この女狐が、貴様より強い? ……ふむ」


 まだ半信半疑の大嶽丸が手で顎を擦りつつ、一歩、二歩と楓に足を進めていく。

 そのまま十歩ほど歩み、長刀の間合いに入ると歩みを止め。右眉を跳ね上げながら、まじまじと楓を眺め始めた。


「蹴り飛ばしただけで刎ねそうな細身。人間かと疑う程の妖気の無さ。首なんぞ、軽く握っただけで折れそうなものだが……。どれ」


 瞬間。楓の査定を終えた大嶽丸が、不格好な体勢から電光石火の如き速さで長刀を振りかざし、なんの躊躇もなく振り下ろす。

 が、その行動全てを目に留めていた楓は、人差し指だけ掲げ、指頭のみで帯電する長刀を受け止めた。


「なっ……!?」


「どうやら、遊びはここまでのようじゃのお」


 血が通うからくり人形の、どこか癪に障る言動、危機感すら覚える妖々しい雰囲気に、背筋を凍らせた大嶽丸が瞬時に間合いを取る。


「ほっほっほっ。どうした? 狐につままれた様な顔をしおって」


「……貴様ァ、我をおちょくったな?」


「気付かぬお主が悪い。ワシを誰だと思っているんじゃ? 他者の全てを欺く狐なるぞ」


 もう欺く必要も無いとほくそ笑んだ楓が、普段から限界まで抑え込み、体内に溜め込んでいた妖気、神気を一気に解放した。

 すると、二つの異なる気に当てられた自然が気圧され、悠々とススキを揺らしていた夜風がピタリと止まり。

 楓を中心として、透き通った清らかで神聖な気が自然界に浸透していき、隙間無く満たしていった。


「大嶽丸。いや、小童よ。貴様は、この温泉街を滅ぼすと言ったな?」


 酒羅凶と大嶽丸が、初めて当てられた不可思議な気に困惑し、圧倒されている中。自然界すら掌握した楓が、糸目を微かに開く。


「この温泉街には、第二の故郷として住み、帰る場所にしている者も数多く居る。そしてその中には、ワシや仲間達も含まれている」


 やや怒気を交えて語り出すも、天狐の地位に居る者として、内なる感情までは解放しなかった楓が、妖艶な黄金色の眼差しを大嶽丸にやった。


「すなわち、それはワシらの故郷を滅ぼすも同義。しかし、それだけではない。ワシはこの温泉街を、この温泉街に来る者達を、この温泉街に住む者達を、心底好いておる。無論、そこに貴様という存在は居ないがのお」


 故郷を脅かす存在を迫害せんと、遠回しに宣言した楓の周りに、ポツリポツリと粒の大きい雨が降り出すが。雨も恐れを成しているのか、楓の真上には落ちず、辺りだけを湿らせていく。


「せめてもの良心で、秋国の良き所を説いてやろうとしたんじゃが、それも無下にされた。そこで素直に従っていれば、まだ救いようはあったというのに。残念でならん」


 場の主導権を握り、喉に引っ掛けていた当時の心境を語っていく内にも、雨足と風がだんだん強くなり。暗雲を纏った漆黒の空に、雷鳴が突き走る。


「小童よ。貴様は、この温泉街に居る資格は無い。この地を踏む権利も無い。ワシが肉体を保っている内は、この地へ近づく事さえ許さん」


 横殴りの雨を物ともせず、雫の一滴すら付着していない楓が、大嶽丸に向かい右手をかざす。


「貴様を、生涯出禁とする」

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