92話-1、妖怪の血を呼び覚ます、満月の光。その6
太陽よりも先に活気が寝静まり、
満月の青白い光で影法師を伸ばす天狐の
右手に持つ携帯電話を巧みに操作し、会話がし易いようスピーカーモードにして、酒呑童子の
「そろそろじゃな。酒羅凶よ。ワシの力は、仙狐以外に開放した事が無い。故に、他の輩に力を使った場合、どうなるかはワシにも分からん。なので決闘が始まったら、巻き込まれぬよう気を付けろ」
『忠告あんがとよ。てめえが力加減をミスって、秋国を滅ぼさねえよう祈っとくぜ』
「それについては安心せえ。ワシとぬらりひょんで、秋国全体に二重の結界を張っておる。たとえ
『そうか。なら、ここは一生安泰だな』
遠回しに、それ同等の大暴れをすると宣言した楓の補足へ、酒羅凶の呆れたため息が追う。
「それでじゃ。手筈通り、お主はススキ畑に居るか?」
『店先で終焉もたらされても困るからな、とっくに居るぜ』
「酒羅凶よ。少々、ワシに怯え過ぎじゃないかえ?」
『アホか。あいつも喧嘩っ早いから、温泉街に居る客に配慮してやってんだよ。なんなら、あいつが来る前に体を温めておくか?』
特に悪気の無い挑発をすれば、気の利いた挑発が電波の火花を散らし。ある種の余興と受け取った楓が、「ふふっ」と笑う。
「それだけやる気があるというのに。何故、今まで決闘の申し込みを断ってきたんじゃ? ここへ来る前は、毎日の様にやっていたと聞いたが」
『ここへ来たからだよ、文句あるか?』
ぶっきらぼうながらも、これ以上の言葉は不要と言わんばかりの、中身が詰まり切った短い説明に、楓の口角が妖々しく上がる。
「ああ、なるほどのお。護る者が出来ると、たとえ三大悪妖怪と謳われたお主でも、ここまで丸くなるか」
『初めての戦闘だからって、ずいぶんいきり立ってんじゃねえか。俺様に向かって尖るのも、そろそろ大概にしとけよ?』
「いきり立っているのは、お主と同じ理由じゃよ。小童にはキツいお灸を据えてやらなければ、腸の煮えくりが収まらん」
『はっ! 我を失わないだけ上出来だぜ。だからこそ、厄介つーのもあるがな』
耐え難い怒りを冷静にコントロールしている天狐へ、降参だと賞賛を贈る酒呑童子に、「ほっほっほっ」と勝ち誇った笑いを返す。
「なに、日々の賜物じゃ。どうやら互いに、苦労しているようじゃのお」
『護るもんの一つに、世話の掛かる奴が居るからな。憎たらしいったら、ありゃしねえ』
「その様子だと、相当愛でているようじゃな。どうじゃ? 可愛くて仕方がなかろうて」
『あったりめえだ───』
惚気話に入ろうとするも束の間。電撃に似た鋭い殺気が辺りを迸り、楓と酒羅凶の口を強張せる。
瞬く間に充満した殺気は、やがて分厚い黒雲へと変わり。晴れ渡った夜空を遮り、満月まで隠しては、温泉街に真の闇で塗り潰していった。
『どうやら来たみてえだな』
「そのようじゃな。あやつめ、殺気を張り巡らせ過ぎじゃ。お陰で、ぬらりひょん達にも悟られてしまったではないか」
『おい、
真っ先に酒天の安否を気にした酒羅凶へ、楓は千里眼を同時に展開させ、
「酒天も、温泉街の入口に顔を向けておる。おっ、凛々しい顔をしながら花梨に抱きついたぞ。ゴーニャも呼んでいるし、二人を護る気でいるな」
『おお、ならいい。シケた殺気で怯えでもしたら、後でぶん殴ってたぜ』
「酒羅凶よ、そろそろ小童が大通りに来る。通話を切るぞ」
『あいよ』
千里眼で小童と称した者の動向を探っていた楓が、通話を切り、携帯電話を巫女服の袖にしまい込む。
そのまま入口方面へ体を向けると、地下鉄の出入口から、稲光を纏う鬼らしき妖怪が姿を現した。
が、その
清らかな雪原を彷彿とさせる、純白に近い長髪。しかし、露出した肌と角は墨を被ったような黒。
肩と下半身に装着した禍々しい鎧も、光を寄せ付けぬ漆黒に塗り潰されていて、過去に激しい戦闘でもしたのか、やたらと古傷が目立っている。
両手に持つ長刀は、青色の光を帯びており。時折、小さいながらも威嚇の稲光を発している。
全体像が君臨した頃には、既に臨戦態勢に入っていた相手も楓の存在を目視していて、紅蓮の眼で見下していた。
その楓はというと、まるで臆する事無く相手を見上げており、丁寧に深々と一礼しては、素っ気ない糸目を合わせた。
「女狐、我に何用か?」
「雄々しき百戦錬磨の風貌。そして、見惚れてしまいそうな気高き妖気。貴方様を、かの名高き
「次は無い。我に何用だ?」
あからさまな媚びが仇となり、二言目で死を匂わせる窮地に立たせるも、楓は眉一つ動かさず話を続ける。
「私めは、酒呑童子様の命により派遣された、名も無き妖狐でございます。どうぞよしなに頂ければと」
「ほう? 酒羅凶の使者、と?」
「そうでございます」
酒呑童子の名が出てきた事で、妖艶に微笑む楓を見下していた紅蓮の眼に、若干の警戒心が芽生えていく。
「女狐。何故、我を前に平然としてられる?」
「私めの事は、血の通ったからくり人形だと思い下さいませ」
「からくり人形?」
「はい。私めは、酒呑童子様にとって遊道具同然。遊道具に心と感情は無用と、とうの昔に壊されております故。お気に障ってしまったのであれば、深くお詫び致します」
この場を楽しみ、排除すべき者を言葉で化かし、酒羅凶を残忍酷薄者へ仕立てていく嘘を重ねた楓が、無難に会釈をする。
中身が無く、限りなく透明な感情を抱いた説明を、大嶽丸は真実と受け取った印に、鼻笑いを一つ返した。
「なんだ。我と戯れてた時より、らしくなったようだな。あいつは」
妖怪の総大将、ぬらりひょんの元へ付いたのにも関わらず。
三大悪妖怪の一人として、より名を馳せる凶行の一つを垣間見た大嶽丸は、紅蓮の瞳に嬉々と滾らせていた。
「女狐、酒羅凶の遣いと言ったな? あいつは、どこに居る?」
「広大なススキ畑にて、己を高めている所でございます」
「そうか。なら、我をそこまで案内しろ」
「仰せのままに。では、私めに付いてきて下さいませ」
相手の機嫌を損ねぬ一礼をした楓が、体を
そのまま、背中で強烈な威圧感を、地から大嶽丸が歩く事を知らせる振動を感じつつ、温泉街の奥へ向かっていった。
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