91-4話、洗脳も解ける清々しいゴリ押し

「ああ〜、もうダメだぁ〜……。私達まで洗脳されちゃうよぉ〜……」


 クロの腕力から逃れられず、既に洗脳済みの雹華ひょうかが前に座られた事により。ほぼ孤立無援と化した花梨が泣き言を喚き、せめて抵抗してやると体を丸くしていく。


「大丈夫よ、花梨ちゃん。私は洗脳なんてされていないわ」


 花梨の反応を楽しんでいるのか。体を微かに震わせている雹華が声を掛け、その細い光明が差した言葉に、花梨はしょぼくれている顔を上げた。


「じゃあ、さっきの光は何なんですか?」


「花火の光よ」


「やっぱり洗脳されてるじゃないですかぁ〜……、うわっ!?」


 差した光明が即座に閉じ、雹華も洗脳されていた事を再確認させられた矢先。『ズンッ』という地鳴りを彷彿とさせる振動音を合図に、部屋全体が一瞬だけ左右に大きく揺れ。

 ほぼ同時。先ほどよりも一層強く、熱まで帯びた朱色の光がカーテンの僅かな隙間を縫い、そのまま反射して部屋内を照らしていく。

 更には、雨音に混じり、強烈な炎を噴射したような耳を這う重音や、渦巻く烈風の風切り音まで鳴り出し、窓ガラスが割れんばかりに叩きつけていった。


「なに、なにっ!? 今度は何が起こってるの!?」


 一度に幾重もの異変が起き、取り乱した花梨がひっきりなしに辺りを見渡していき。

 これは誤魔化せないと判断した雹華は、とりあえずぬらりひょんの意見を聞くべく、恐る恐る顔を動かしていった。


「あの、ぬらりひょん様? この音は、一体なんでしょうか?」


「これはすごい花火の音だ」


 即座に返ってきた清々しいゴリ押しに、流石の雹華も表情を引きつらせ、唖然として言葉を失う。


「いやいや、絶対花火じゃないですって! だって、大型の火炎放射を放ったような音がしますし、台風みたいな風が吹き荒れてるんですよ!? 永秋えいしゅうのすぐ隣で打ち上げないと、そんな事にはなりませんって!」


「ほら、噴出花火という物があるだろう? それの強化版だ」


 あくまで花火だと言い切り、断固して貫き通そうとするぬらりひょんの姿勢に、絶句した花梨の口角がヒクつき、そのまま黙り込んだ。


「で? 本当は何なんだ?」


 涼しい顔で嘘をつき続けるぬらりひょんに、真横に居たぬえが、みやびの耳にも届かない声量で呟く。


「すごい花火の音だ」


「え? 私にまで、それを言うのかよ?」


「花梨の耳に届いたらどうするつもりだ? ゴーニャも怖がっているし、終わったら後で纏めて説明してやる」


「……へいへい」


 まさか、自分まで蚊帳の外へ追いやられようとは思ってもいなかった鵺は、不貞腐れた口を尖らせ、鼻からため息を漏らした。


「それにしても、とてつもない熱気ね。体の温度を下げたけど、まだ暑く感じるわ」


 雪女にとって熱が最大の天敵であり、気だるそうに手で顔をパタパタと仰いだ雹華が、「ふうっ」と堪えた息を吐く。


「私は寒い」


「ああ、ごめんなさいねまといちゃん。そうだ、ゴーニャちゃんの懐に潜ったらどうかしら?」


「そうする」


 逆に、雹華の冷気に当てられた纏が凍え出し。雹華の提案に甘えると、凍てついた太ももから降り、花梨に抱きついているゴーニャの元へ行き、隙間を縫って無理やり中に入っていった。


「ゴーニャ、大丈夫?」


「うんっ。音も無くなってきたし、ちょっとだけ落ち着いてきたわっ」


「そう、よかった」


 しかし、まだ恐怖心は完全には消えていないようで。腹部で丸く収まった纏を、片手でそっと抱きしめた。


「どうやら、すごい花火も収まってきたようだねー」


「そうっスね。熱気と眩しい光が、だんだん薄れてきたっス」


 平常心だけは保っていたみやび酒天しゅてんが、カーテン越しから感じる異変の終息を認め。このまま立っているのもどうかと思った二人は、そそくさと雹華の横に付き、腰を下ろしていく。

 再び、窓に雨足の音だけが鳴る静寂が戻ってくるも、束の間。遠雷の音が蘇り、ゴーニャの恐怖心を煽っていった。


「あちゃー。やっぱり、まだ終わらないかー」


「私、この音嫌いっ……」


「ゴーニャちゃん。音が聞こえないように、両耳を手で塞いであげましょうか?」


「うんっ。お願い、酒天っ……」


 遠雷から逃げるように、纏の格好を真似て丸くなったゴーニャの両耳を、しっかりと塞ぐ酒天。


「これでよしっス、おわっ!?」


 直後。天の怒りを代弁するがの如く、鼓膜を裂きかねないけたたましい迅雷が轟き、不意を突かれた酒天の体が飛び跳ねる。

 その迅雷は、鳴り止む事を知らず。一発一発の間隔が非常に短く、数秒もすれば間髪を容れぬ荒々しいものへとなり。

 鋭利な迅雷の乱打に、ゴーニャよりも聴覚に優れた雅の心が先に折れ、酒天の腹部に頭を当て、迅雷の音に屈した狐の耳を全力で塞いだ。


「あーーっ、無理無理! もうやめてーー! 耳が壊れちゃうよーー!」


「きゃあああーーーっ!!」


「グゥッ! これは堪えるっすね……! 皆さん、大丈夫っスか!?」


 歯が砕けんばかりに食いしばり、己よりも周りに気を配った酒天が、全員に問い掛けながら目で安否の確認をする。


「耳以外は、なんとか……」


「同じく」


「耳の奥が痛いですけど、他は大丈夫です……」


「私も大丈夫だ」


 分厚い氷を纏わせた両手を耳に当て、片目を開けつつ答える雹華に。ゴーニャの腹部越しから、無事だと知らせる姿の見えない纏。

 この鋭い迅雷音より、凶悪な暴音を聞いた事がありそうな花梨も後を追い、ススキ畑がある方面を冷めた視線で睨みつけているクロが、あっけらかんと言う。

 しかし、雅とゴーニャの耳には届いていないのか、返答が無く。互いに、花梨と酒天の体に深く潜り込み、その身を限界まで縮こませていた。


 音をものともしていないクロは、花梨とゴーニャを。だんだん音に慣れてきた花梨は、纏とゴーニャを。

 片目を開けて状況確認を欠かさず続ける酒天は、ゴーニャと雅の耳と心を守りつつ、空を裂く耐えない迅雷音を浴びていく。

 場が大荒れし、ただ音に耐え凌ぐしか出来ない中。クロは、ぬらりひょんに『私も行きましょうか?』と意味を込めた横目を送る。

 が、その横目の意図を汲み取ったぬらりひょんは、『お前はそこに居ろ』と目を瞑りながら顔を横に振り、臨戦態勢に入り掛けていたクロをなだめた。


「なあ、ぬらさん。この雷、どこに落ちてんだ?」


「どこって、一つしかなかろう」


「その一つってのは無事なのか?」


「強烈な閃光と稲光のせいで、まともに見えん。しかし、心配には及ばんだろう。そろそろ終わる」


 鵺とぬらりひょんの耳にだけ届く会話を始め、現状は確認出来ぬものの、結果は分かり切っているとぬらりひょんが口にした、数秒後。

 特に強い一撃を最後に、迅雷音は嘘の様にピタリと止み。野太くも甲高い耳鳴り音の余韻が始まり、やがて遠ざかっていく。

 そして、雨足と風の音も一気に弱まり。窓ガラスを叩き付ける暴風が一度だけ当たり、皆が待ち望んでいた静寂が部屋内を満たしていった。


「……止まった?」


「そのようっスね……」


 また虚を衝く暴力的な音が来ないかと、疑心暗鬼に陥った花梨達は、両手を耳に構えながら辺りの様子をうかがう。

 十秒、三十秒、一分、三分までども、次なる音は来ず。いつの間にか雨風の音も止んでいた事にも気付くと、皆して安堵のため息を吐いた。


「どうやら、終わったみたいっスね」


「ううー、まだ耳がキンキンするよぉー……」


 涙目で訴える雅に、酒天は痛みが和らぐようにと、狐の耳が弱々しく垂れている雅の頭を、そっと撫でた。


「雅さん。あたしの太ももを貸してあげますので、横になってて下さいっス」


「ありがとうございますぅー、酒天さーん……」


「雅。辻風つじかぜさんから貰った薬があるけど、耳に塗ってあげようか?」


「本当ー……? ごめーん、塗ってー……」


「分かった、ちょっと待っててね」


 酒天の太ももに、雅の顔が吸い込まれるように落ちていったタイミングで、心配し出した花梨が問い掛け。

 決して離れようとしないゴーニャを抱えながら立ち上がり、薬が入っているリュックサックへ歩いていく。

 片手で器用に漁り始めると、おもむろにぬらりひょんも立っては、「すまんが、一服してくる」とだけ言い残し、一人でそそくさと部屋を後にした。


「あっ、しまった。今の音がなんだったのか、聞き逃しちゃったや」


「流石にぬらさんも、ありゃあ雷だって言うだろうよ」


 試す意味も込めて呟くと、ボヤくように花梨の独り言を会話へ昇格させた鵺が、大あくびをする。


「あっははは……。もしかしたら、とんでもなくものすごい花火だって言うかもしれませんよ?」


「へっ、かもな」


 本人が居ない事をいい様に、皆を洗脳したと信じてやまない花梨が苦笑いし。鵺も後頭部に両手を回して、鼻で笑う。


かえで様、大丈夫かなー……?」


「んっ? 雅さん。今、何か言いました?」


「ああ、いやっ、こっちの話ー。ああー、耳が痛いなー」


 ぬらりひょん、クロ、鵺同様、慣れ親しんだ妖気と神気を発した者の正体を知っていた雅が、だんだんと不安に駆られて表情を曇らせていく。

 どうにかして連絡を取りたいと、巫女服の袖にしまい込んでいた携帯電話を取り出そうとするも、体が思う様に動いてくれず。

 メールすら打てないと諦めた雅は、楓が無事だという事を信じ、酒天の太ももに顔をうずめていった。

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