91-2話、時には譲る事も母親の務め

 夜の七時過ぎとはいえ、人っ子一人居ないせいで、やたらと静かに感じる廊下へ出たぬえは、早歩きで先を行くぬらりひょんの後を追い、背後へと付いた。


「な、なあ、ぬらさん?」


 恐る恐る声を掛けようとも、ぬらりひょんは慣れた手つきで携帯電話を操作しており。問い掛けに答えぬまま、携帯電話を右耳に当てた。


「もしもし? ワシだ」


 相手はすぐに出たのか。会話が始まると、ぬらりひょんはいつの間にか来ていた支配人室の扉を開け、暗闇を纏う室内へ入っていく。

 ただ気まずさが先行し、黙ったまま一緒に支配人室内に入った鵺は、この中で電話をするのはいかがなものかと思い、こっそりと部屋の電気を点けた。


「お前さん。大嶽丸おおたけまるが温泉街に来る事を、いつから知っていたんだ?」


「お、大嶽丸!?」


 会話の途中で出てきた、酒呑童子、玉藻前たまものまえ崇徳天皇すとくてんのうと、三大悪妖怪の名に連なってもおかしくない大妖怪の名に、鵺が思わず声を荒らげる。


「なに? お前さんも、昨夜知ったのか? ……ふむ、脅迫紛いな果たし状が届いたと。なるほど。だから店員達の安全を最優先し、急遽店を臨時休業したという訳か」


 電話の向こう側に居る、酒羅凶の声は鵺の耳まで届かぬものの。

 ぬらりひょんが確認の意味を込め、復唱していく言葉により、大体の状況が把握出来た鵺が、「は〜ん……」と相槌を打っていく。


「どうやら、避けられぬ戦いのようだが……。お前さんよりも、結託した楓の方がやる気に満ちているとは意外だな。逆に、お前さんの方が戦意が無いとは。分かるわ、あからさまに呆れ気味な声色をしているからな」


 全容が明らかになり、心に余裕が出てきたぬらりひょんは、携帯電話を首と肩で挟み、和服の袖からキセルを取り出す。


「で、どこで戦うつもりでいるんだ? ああ、ススキ畑か。確かに、あそこなら被害は最小限に抑えられるだろう。しかし、ワシと楓の結界は、天変地異如きで破れるほどヤワではない。……なら、楓に伝えておけ。やるなら遠慮はいらん。徹底的にやれ、ワシが許可するとな」


 楓の強さは未知数ながらも、どこか安心感を覚える許可を与えると、ぬらりひょんは通話を切り、白い細いキセルの煙をふかした。


「なんだか、色々すげえ言葉が飛び交ってたけどよ。まさか、楓と大嶽丸が戦う事になるなんてなあ」


「なんでも、果たし状はかなり前から来ていたらしいんだ。しかし、酒羅凶はことごとく断っていたと。それで、今回送られてきた果たし状には、決闘を断ったら秋国をぶっ潰すと書いてあり、それを聞いた楓が激怒して、代わりに決闘をさせろと申し出たらしいぞ」


「ま、マジか……。まあ、楓が怒るのも無理はねえか。私だって、それを聞いたら間違いなくプッツンするだろうしな」


「ワシだってそうだ。もし楓が名乗り出ていなかったら、ワシが行く所だったぞ」


 下手すれば、秋国総力戦まで発展していたかもしれない、大嶽丸からの果たし状に、二人は僅かながらもいきり立っていく。

 しかし、天狐という地位に居るだけで、温泉街のナンバー二にまでのし上がった楓の出現に、今回は出る幕が無いと悟り、落ち着きを取り戻していった。


「けどよ、ぬらさん。楓って、強えのか?」


 落ち着きを取り戻したせいで、楓の実力をまったく知らず、シンプルな疑問が湧いてきた鵺が、あっけらかんと質問をする。


「ワシ、クロ、お前さん、雹華ひょうかが同時に相手をして、ようやくといった所だろうな」


「……え、嘘? 私や雹華はともかく、ぬらさんとクロって最強の一角だろ? それでもやっとって感じなのかよ?」


「阿呆。身近に居るから、忘れているんだろうが。あやつは神通力を習得した天狐であり、神に等しき妖怪だぞ?」


「あ、そういえば……」


 『妖狐神社』に行けば、ほぼいつでも会える存在で、同じ日常を過ごす親しみやすい人物もあるせいか。

 己達とは違う次元に居る妖怪だという事実が、頭からすっかり抜けていた鵺が、肩をストンと落とした。


「いや、よく考えると……。あんたら二人でも渡り合えんだろ? それでも十分すげえや」


「褒めても何も出んからな。それよりも」


 そろそろ時間がないと、話を切ったぬらりひょんが、キセルの煙を穏やかにふかす。


「もう少ししたら、ススキ畑で楓と大嶽丸の戦いが始まる。生々しい戦闘音がここまで届くだろうから、なんとかして花梨達を誤魔化すぞ」


「そういや、そんな事も言ってたな。けどよ、大嶽丸って火の雨や暴風雨、剛雷まで呼び起こせんだろ? とんでもねえ戦闘音が鳴り響くんじゃねえか? どうやって誤魔化すよ?」


「そこは、ワシが機転を利かせる。お前さん達は、ワシの言った事に相槌あいづちを打ってくれるだけでいい」


「相槌、ねえ。だったら私は、あまり下手な事を言わねえ方がいいなあ」


 つい口を滑らせて余計な事を言いかねないと、自らに釘を打った鵺が、後頭部に両手を回す。


「それでもいい。後、クロにもある程度の事情を説明したいから、ここへ連れて来てくれ」


「りょーかい。クロを呼んだら、私は戻って来ないで部屋に残ってるぜ。雹華には、メールで知らせとくわ」


 先月の事もあり、花梨達の不安をこれ以上煽らせぬと、愛娘を想う密会を終えた鵺は、クロを支配人室に呼ぶべく、携帯電話を取り出しながら部屋を後にした。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 何食わぬ顔で花梨達の部屋に戻って来た鵺が、クロに支配人室へ行けと指示を出してから、約十五分後。

 鵺にも説明した内容を、神妙な面立ちで聞いていたクロにも伝え終えると、二人して支配人室を後にし。

 嵐の前の静けさが佇む廊下を歩き、あまり落ち着きのない様子のクロが、鼻からため息を漏らした。


「しかし……。なんでこうも毎回、何かが起きるんでしょうね」


「外出禁止令まで出した今回は、と思ったが。中々上手くいかぬもんだな」


「ですね。あの日を境に、花梨は満月と聞くと見るからに意気消沈します。普段通りに振る舞ってますが、内心相当怖がってるでしょう」


「あれが起きたのは、僅か二ヶ月前だからな。心に負った深い傷は、そうそう癒えるもんじゃない」


 皆もが忘れたい、二ヶ月前の過去を振り返る度に、部屋へ戻る足取りは重くなり、歩幅が小さくなっていく。

 会話も無くなり、クロは視線すら合わせなくなり、ぬらりひょんとは真逆の方へ逃がしていった。が、一人で考え事でもしていたのか。目を瞑ったクロが、「よし」と覚悟を決めた様に力強く呟いた。


「ん? どうした?」


「決めました。今夜は、花梨をずっと抱きしめていようかと思います」


「……は?」


 クロらしからぬ突拍子もない決意表明に、ぬらりひょんはただ呆気に取られ、理解に苦しむ目が細まっていく。


「ほら、私は花梨の母親じゃないですか。母親が傍に居るだけで、花梨はきっと安心するでしょう。ですが、それだけでは足りません。心の底から安心させてやりたいんです。なので、花梨を後ろから抱きしめ続けてやれば、絶対の安心感を覚えると思うんです。どうでしょう、ぬらりひょん様? 良い案だと思いませんか?」


「……ま、まあ、一理ある。確かに、お前さんの母性は暖かみがあるし、花梨を安心させる事が出来るだろうが……」


 ひとまず、欲が垣間見えるクロの提案を肯定したぬらりひょんが、持っていたキセルを袖に入れる。


「お前さん、ただ花梨に甘えたいだけなんじゃないか?」


「それもあります」


「やはりな……」


 むしろ、それが目的だと曇りなき眼で答えたクロへ、呆れた眼差しを送るぬらりひょん。


「しかし、今は酒天が同じ事をやっているぞ。もし、まだやっていた場合、お前さんはどうするつもりなんだ?」


「あ、そういえばそうでしたね。どいてもらう訳にもいかないですし、……むう」


「阿呆、真面目に悩むな。お前さんは、いつでも花梨に甘えられるだろう? ここは、花梨と会える機会が少ない酒天に譲ってやれ」


「……えっ? あいや。はい、分かりました」


 やや意気消沈し、諦められていない様子のクロの体に、侘しい気持ちがのしかかって項垂れていく。

 そんな、暖かな母性の行き場を失ったクロの肩を、ぬらりひょんはポンッと叩きながら花梨の部屋へ戻っていった。

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